ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


新装開店に”NEW OPEN” は日本語です

「新装開店」の意味で ”NEW OPEN” と書いてある掲示を、ときどき見かける。

 

 

<新装+開店> → <ニューでオープン> → <new open>

 

 

としたくなる気持ちはわかる。

 

ただ、英語としてみると、"new open" は「新しい開く」のような言い方をしていることになり、片言っぽい。

 

  "We newly open."  などとするか、宣伝文句なら

 

 

 

NEW SHOP OPENING!

 

 

 

とするとおさまりが良い。

 

opening と表現することで、「すでに開店準備がはじまっています」「まさに開業したばかりです」のような臨場感が出るので、おすすめである。

 

 

 

ときどき見かける"Grand Open" というのも、英語として表現するなら、

 

 

Grand Opening!

 

 

にしたほうが良い。

 

 

もっとも、日本語の感覚では、こんな英語っぽい言い方よりも、 NEW OPEN や GRAND OPEN のほうがぴったりくるのも事実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Rohan Perth

 

スコットランドのアウトドア衣料品チェーンの広告.  "NEW Store Opening" とある.

storeは、shopよりも品揃えが豊富で大きい店というイメージがある.

 

http://rohantime.com/24165/rohan-perth-new-store-opening/

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語の世界への三つのドア 発声・冠詞・前置詞

日本人が英語を習得するとき、三つの壁がある。

 

 

一つめは発声である。小学校で習うローマ字が英語のアルファベットと同じ文字であり、ワープロでもローマ字変換を使う。そのため、意識して練習しないと、われわれは英語の綴りをついついローマ字読みしてしまう。 "e" や "o" を「エ」「オ」と読んだり、"r" を日本語の「らりるれろ」で代用したりするのは、英語ではないものを英語だと勘違いする、第一の「壁」である。

 

 

二つめは冠詞である。日本語には、冠詞にあたるものがないため、「英文和訳」では訳す必要がないことが多い。だから、「英文和訳」に頼っていると、いつまでたっても冠詞についての理解が深まらず、苦手となる。

 

 

三つめは前置詞である。冠詞とは逆に、日本語には助詞(てにをは)という前置詞類似のものがある。だから、「英文和訳」に頼っていると、前置詞に日本語の「てにをは」を適宜あてはめて満足してしまう。そのため、英語の前置詞が本来どういう概念による認識なのか、なかなか習得できない。

 

 

 

他に語順感覚の習得や、表現チャンスの不足といった問題があるが、初めに壁になるのは、この三つである。この三つが壁だということは、これを崩せば、それが新しい世界の入り口になるということである。

 

三つの壁を崩すには、冠詞、前置詞を含む英語の概念を理解し(このとき日本語で説明してOK)、その英語の概念で対象を認識して、英語の発声で表現する練習をすればよい。「英文和訳」ではなく、「英語の概念による自分の認識を、英語の発声で表現」すればよいのである。そうすれば、自分が発した英語の意味(英語の概念・認識・発声の三者の関係)を、日本語を介さず直接経験できる。

 

壁が発見できたなら、そここそチャンスととらえて意識的に攻略すれば、壁がそのままドアになり、英語の世界に入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
お店の ”New Arrival” は、微妙に日本語です

ファッション関係のお店で見かける

 

 

 

"New Arrival"

 

 

 

という掲示。これがときどき気になる。

 

arrival は、動詞 arrive の名詞形で、本来「到着すること」という動作の種類をいう。そこから、到着という動作の結果「到着した人や物」を表すこともできる。

 

だから、"new arrival " は、「新着商品」という意味になり、立派な英語である。しかし、違和感が生まれるのは、そのコーナーに何種類もの商品が置いてある場合。

 

自動車とか宝石のように高価なものが、一種類とか一個だけ「新着商品」として展示してあるなら、単数の "new arrival " でいいが、カジュアルなファッションのように、何種類も新着商品を並べる場合は複数にして、"new arrivals" とすると、ぐっと印象が良くなる。

 

複数の-s は、英語ではたんに複数というだけでなく、同じ名前のものがひしめきあっているという生き生きしたニュアンスもある。だから"new arrivals" は、お店の活気も感じられ、お勧めの表現だ。

 

もしも、単数複数の意識なく、たんに「新着」だから "new arrival " と掲示しているとすれば、それは英語の形を借りた日本語ということになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「shop sign "new arrivals"」の画像検索結果

 

 複数の新着商品を表すには、"new arrivals" のほうが生き生きして、お勧め。

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 19:23 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語には英語の身体意識がある それはピアノの練習と同じ

英語を流暢に発音するのは、意外にむずかしい。

 

学生の発音を聞いていると、単語と単語のあいだで休みをとるクセがある場合がある。ひとつひとつの音素の発音は悪くないが、単語ごとに区切ってしまうので、音の流れに滑らかさがない。

 

私の場合、次のような説明をする。

 

 

 

言語の語りには、<息、声、音>の三つのレベルがある。

 

基本は、最初の「息」の仕方にある。英語では一定の力で連続して息を出し続ける。鉄道でいえば、電車は止まることがあっても、線路は途切れないのに似ている。

 

単語ごとに区切るクセをなくすには、息を出しつづける練習をするのがいいが、もうひとつ役立つのは、単語をひとつずつ拾うのではなく、意味のまとまりごとに、いくつかの単語をひとつのフレーズとみなして、「一気に旅をする」ような意識をもつことである。ひとつひとつの駅で停車するのではなく、目標の駅まで、いくつもの駅をスーっと通過していく。普通電車より快速電車、といったところか。

 

このフレーズ感覚は、言語を言語として話すコツである。

 

 

 

ピアノの練習方法に、「先取りの身体意識を作れ」というのがある(ジャン・ファシナ(江原・栗原訳)『若いピアニストへの手紙』音楽之友社、2004年、34頁)。

 

この場合、「身体意識」とは、身体じたいが意識をもつことをいう。ピアノでは、身体が無意識に動作するように、意識的に練習するのである。すると、先の時点までの動作を身体が先取りするようになる。

 

こうなると、動作じたいは無意識にできるので、人に思考の余裕が生まれる。

 

英語を日本のわらべ唄のように区切って発音するのも、「発音を身体にまかせる」には違いない。だが、それでは日本語の身体意識にとどまってしまい、英語を練習したことにはならない。

 

ピアノをやるならピアノの身体意識が必要なように、英語をやるなら英語の身体意識を作りあげることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
英文法はいつまでも屁理屈でいいのか 若林俊輔氏の屁理屈

中高の英語教育問題の専門家として知られた若林俊輔氏(東京外国語大学教授、1931−2002)の本に、こういう部分があった。
 

 



「教師は、いいか英語は理屈ではないぞ、屁理屈こねるひまがあったら素直におぼえろと怒鳴りつけ、生徒の口を封じてしまう。生徒は「ナンダイ、英文法こそ屁理屈ばかりじゃないか」とくる。

たしかに英文法などというものは所詮理屈の羅列である。だから、特に高校などで英文法を教えるとすれば、徹底的に理屈をこねまわすべきである。

 

英語について、いろいろと自由に理屈をこねまわし、その文法体系をできるだけ簡潔に説明する方法がみつかれば、大したものである。生徒にああでもないこうでもないと理屈をこねまわす楽しさを感じさせたら、その授業は大成功であろう。

もし、英語の学習には文法について理屈を楽しむ必要がないと言うのならば、英文法の授業など即刻停止すべきである。」

 

 

(若林俊輔『これからの英語教師―英語授業学的アプローチによる30章』大修館書店、1983年、5-6頁から、一部要約)

 

 

 

 


この文章、なかなかおもしろい。言語の仕組みの論理性を味わうのも英語学習のおもしろさだよ、という主旨のようだ

問題は、現状では英語の表面的な事実を整理した「屁理屈」(これが英文法といわれる)しか普及していないことである。

車にたとえれば、今の英文法は車の構造や部品(=結果)の説明にすぎない。英語の構造や部品について、「ああでもないこうでもないと理屈をこねまわ」すのはおもしろいし、そのうちもっといい説明が見つかるかもしれないが、それだけで英語ができるようにはならない。構造や部品がわかっても車が運転できるようにはならないのと同じである。

必要なのは、英語を理解し、操作するための科学と技術である。車を運転したいなら、構造や部品の知識だけでなく、ドライビングの技術を覚えることだ。

英語を理解する科学と、英語をドライブする技術。それが英語教育からみた真の「英文法」である。それを「こねまわし」、それを「楽しむ」ならば、それは身体技術となる。

文法は、分厚い製品仕様書ではなく、コンパクトな運転教習書にならなければならない。

そのとき英文法は、屁理屈のレベルを脱することになる。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「ど忘れ」は ”a senior moment”

和英辞典では、一時的な「ボケ」とか「ど忘れ」を、

 
 


It's slipped my mind for the moment. 

It's on the tip of my tongue...
 

 


などとしているが、ちょっと長い。それこそ「ど忘れ」タイプの人には向かない。

いちばん使えそうなのは、
 

 


I'm having a senior moment.
 

 


senior moment で、「年のせいで起きるボケの瞬間、ど忘れ」のこと。seniorは「シニア」ではなく「シーニオ」の感じで。何度も起こることの「一回分」だから、aもつける。

若い人でも、おどけて使えるから、おすすめ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「毛沢東」は中国語か? 発音が決定的である理由

外国語をやりたければ、発音は重要だ。「そうだよね」という人は多い。

 

だが、じっさいに外国語の発音を身につけるのは難しいし、発音が重要である理由をきちんと説明するのも、案外むずかしい。

 

そのせいか、

 


「発音はだいたいでいい」

「発音は最後でいい」

 


という発想もけっこう広まっている。

 

こういう発想が根強く残るひとつの原因は、文字があるからである。

 


たとえば、中国語と日本語なら、漢字という共通の文字がある。短くてわかりやすい例として、人名で考えてみると、

 

 


「毛沢東を、『もうたくとう』と発音しても、それで中国語になる」

 

 


と言ったら、そのおかしさに、誰もが気づくだろう。

字は同じでも、中国語をやるというなら中国語の発音で読まなければ中国語にはならない。中国語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も中国語が体験できるのだ。



英語の場合もこれと同じである。

 

 

 

「McDonald を『マクドナルド』と発音しても、それで英語になる」

 

 

 

もしそう思っている人がいるとしたら、それは McDonald という文字をローマ字風に読めば英語になるという思い込みがあるからかもしれない。じっさい、日本人のあいだでは「マクドナルド」で通じる。これは立派な日本語であり、本質的には英語ではない。

 

 

最近、kaki(柿)とか adzuki(小豆)が、フランス語や英語として認められるようになっているという。これも、アルファベットという文字が媒介になって、彼らの言葉として発音しているから、フランス語とか英語として理解できるのだ。

 

 

 

 

英語のつづりを見て、それを日本語風に読んだり自己流に読んでいたのでは、英語にはならない。英語の発音ができてはじめて、話し手も聞き手も英語が体験できるのだ。

日本語風や自己流で通じたとしたら、それは聞き取った相手が優れているからであって、自分の実力ではない。









 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
柔道の嘉納治五郎は英語の専門家だった! 武道と外国語の深い関係 

嘉納治五郎(かのう・じごろう。1860 -1938)といえば、講道館柔道の創始者だが、じつは彼は英語教師でもあった。

樋口聡『身体教育の思想』(勁草書房、2005年、201-202頁)によると、嘉納は日本武道と西洋的教養(英語)つまり文武両道の人だった。

神戸の裕福な家に生まれ、私塾や官立外国語学校で英語を学んだあと、東京大学を卒業。日本美術の復興で有名なフェノロサの講義も受講。

1882(明治15)年、講道館創設と同じ年に、文館という英語学校を創設している。嘉納が柔術をはじめたのは18歳だったが、英語を学びはじめたのは12歳だった。

32歳で文部省官僚になり、教科書検定課長をつとめるかたわら熊本高等中学校、第一高等中学校、東京高等師範学校の校長も歴任。

文部省を退官したあと、67歳で英語協会発起人の会長に就任。

John Stuart MillのPrinciples of Political Economyのような原書を講義したというから、読解力は相当なものだったらしい。

なぜこんな話をするか? 

 

身体運動と外国語という、無関係に思われがちな二つのことが、嘉納治五郎の身体で合体していたはずだからだ。

身体と言語の関係を思わせる有名人は、けっこういる。

多数の英文著作で禅を世界に広めた鈴木大拙は、言葉以前に、手の平を動かしながら考えていたという。

かつてNHKの「プロフェッショナル」に出演したカーデザイナー・奥山清行氏も外国語を流暢に話すが、これは奥山氏が大量のデッサンを重ねたことと関係があると思う。

 

また、外国からきたお相撲さんは、日本語がうまい人が多い。


そして今回紹介した、嘉納治五郎。

外国語がうまくなりたかったら、身体を動かすことが役立つ!

 

... のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「it は答えである」 英語の達人・松本道弘氏の眼力

日本が生んだ英語の達人・松本道弘(1940 -  )。

 

日本語と英語をつなぐココロを探求しつづけ、100冊以上の著書と啓蒙活動、ジャーナリスト活動を通じて、英語に関心をもつ人々に大きな影響を与えてきた。

 

その松本氏が、70歳を越えて快著を完成させた。

 

 

 

『難訳・和英口語辞典』(さくら舎、2017年4月)

 

 

 

はじめから読んでいくと、氏の到達点がとてつもない深みと広さをもっていることが感じられる。

 

はじめのほうにある、深い指摘。

 

赤ちゃんが生まれたとき、男の子なら、”It’s a boy.”   なぜ he ではなく、it なのか。高校生のころ、文法書をみても理解できず、氏は頭をひねったものだという。

 

こうした疑問が晴れてきたのは、「60歳を越えてから」であった。

 

 

 

「見えないものは it、見たいものも it 。itは、求めるべき解答なのだ。」7頁

 

 

 

赤ちゃんが男の子か女の子か。答えは男の子だった。それが答えだから、it 。

 

 

...

 

 

氏にそう言われただけで、われわれが英語について抱く疑問がいくつも氷解していく。

 

たとえば、"It is clear that... " のような it は「形式主語」で、とくに意味はないといった説明が流布しているが、「とくに意味はない」ことを、人間は口にするだろうか。これは説明に困った末のごまかしなのだ。

 

じつは話し手にとって、求めた末の「答え」だから、it なのだ。その内容は、that 以下で聞き手に説明する手はずになっている。この形が慣用化したのだ。「答えは clear。なにが clearかというと...」というのが、この英文のココロである。

 

"What's this? "  という問いに対する答えに、”This is a pen.” はどことなくぎこちなく、"It's a pen." のほうが自然に聞こえるのはなぜか。"What's this? " という問いにたいして、自分が探しだした「答え」なのだから、"it" なのだ。 「私の答えは、 a pen だ」ということ。

 

マイケル・ジャクソンが最後に企画していた世界ツアーのタイトル。そのココロも、it にこめられていた。

 

”This is IT. ”  「これこそ、求めていた答えだ」

 

 

 

...

 

 

 

英語をここまで深く理解した日本人がいて、日本語で説明してくれている。普通の人にはとうてい到達できない深みだ。

 

われわれは、浅薄な学校英文法にしがみつくのはやめて、英語のココロの探求に生涯をかけた松本氏の成果を、積極的にひきついでいきたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 20:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
小中高の数学も、改革の可能性はない

十年余り前に、こんな本が出ていた。

 

 

上野健爾・岡部恒治編『こんな入試になぜできない - 大学入試「数学」の虚像と実像』(日本評論社、2005年4月)

 

 

最近見つけたので、のぞきこんだら驚いた。小中高の数学、そして大学入試の数学の状況は、英語科の状況に酷似しているようなのだ。

 

本書の「まえがき」に、こうある。

 

 

 

「我が国の制度上の重大な欠陥は、問題点を明らかにしてその改善をはかろうにも、改革のための制度が不備であり、その実現のためには大きな障害が横たわっていることである。

 

本書に指摘されているセンター試験の問題点ひとつをとっても、その改善のための制度は備えられていない

 

大学入試はマスコミを通して、様々なかたちで『評価』が行なわれているが、建設的な評価にならないのは、改善のための制度が確立していないからである。」(iii頁。太字は引用者による)

 

 

 

これは、問題のありかをズバリ突いている。そもそも、改革するための「制度」がない。だから、教員個人や個々の学校がいかに努力しても、なかなか全体の改革につながらない。

 

日本では、教育改革の道筋が、教育制度に埋め込まれていない。だから、あるものの存在が大きくなる。「学習指導要領」である。

 

本書には、

 

 

「制限が多く、数学の授業時間数の少ない学習指導要領が諸悪の根源。」287頁

 

 

という指摘がある(京都大学・上野健爾氏)。

 

 

...

 

 

最近、愛知県の教員養成系の大学で週に一回教えている人から聞いたことだが、そこの教員も学生も、ある傾向があるようだという。

 

 

<学習指導要領の内容を、生徒にいかに楽しく、要領よく教えるか。それが教員の仕事だ>

 

 

これが彼らの暗黙の、しかし堅固な了解になっているらしい、というのである。

 

ひとつの問題についても、いろいろな見方がある。社会科学系の学問をやってきたその人は、そういう視点からの講義を心がけているという。ところが、その大学の学生には、そういう講義は歓迎されない。

 

教員も学生も、

 

 

<目標は、上の誰かが決めてくれる。われわれの仕事は、その目標をいかに要領よく達成するかを工夫し、実践することだ>

 

 

という態度で固まっている。だから、「いろいろな見方」のような面倒なことはいいから、早く答えを言ってくれ、という雰囲気なのだという。

 

実際、そういう兵隊発想の人でないと、教員試験に合格しにくく、学校でも歓迎されないのかもしれない。もしそうなら、この教員養成系大学は、まさしく教員養成にふさわしい教育をやっていることになる。

 

教員志望者たちが、「お上の兵隊」という発想に染まっているとすれば、戦前の師範学校と変わらない。

 

 

...

 

 

 

本書の編者あとがきに、こうある。

 

 

「[文科省には] これまでの間違った教育行政に対する反省も、学習指導要領で被害を受けた世代に対する思いやりも、何ひとつ見られない。」(292頁。太字は引用者)

 

「教育は未来の大人を育てる大切な制度であるという観点がわすれさられ、教育を単なる個人の問題としてしか捉えることのできない、日本社会の貧困さ」(291頁。太字は引用者)

 

 

英語についても、VRとか、会話ロボットとか、アクティブラーニングだとか、とかく新手段、新手法が話題になる。だが、いま流布している英文法の内容とか言語観の欠陥を、根本的に改革しようという気運はあまり感じられない。

 

そしてなにより、数学にせよ英語にせよ、教育内容を改善するための制度が貧困であることが、教育に希望をなくさせる根因になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 07:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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