ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


今年のセンター試験の「英語」を分析する その4
第一問の残りの問いはアクセントに関するもの。出題された単語をまとめて分析してみる。

英語の単語はアクセントの位置どりがわかりにくい。

アクセントのコツは、語尾に注目することである。

◯母音の重ねつづり型の接尾辞 -ee, -eer, -oo,- oon があれば、そこにアクセントをつける。この法則は単純だが出題されやすく、今回は career が選択肢に入っている。

他にアクセントをつける語尾として、

-ade       例:persuade
-ain   例:entertain(今回出題)
-ay, -oy  例:decay(今回出題)


◯直前の音節にアクセントをつける接尾辞は単語の数が多く、便利なのでぜひ覚えておく。-ion, -ian, -ic(重要な例外あり), -ical, -ics, -ify, -ity, -ive(例外あり), -eous, -ious, -logy, -graphy, -meter, -metry, -pathy など。

今年は musician, electronics, geography が出題されている。








(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 09:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今年のセンター試験の「英語」を分析する その3
問3 enough,  laughter,  mighty,   rough

このうち発音しない gh をもつのは mighty だけで、これが正解。

英語では語頭の gh は[g]と規則的に発音する。例:ghost.

その他の位置では、ghの前が i のときは長音で[ai]と発音し、そのとき gh は読まない。

high,  sigh, thigh

上の問いにある mighty はこの系列の語(might +y)で、ghを読まない。






(つづく)






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今年のセンター試験の「英語」を分析する その2
問4 accuse,   circumstance,  decay,  facility

正解は facility だが、これは

<前寄り高位置の母音[e]と[i]の前にあるつづり c は[s]と発音する>

という原則が背景にある。

center, city, accept, accident, pharmacy

などがその例で、フランス語のつづり方と発音を継承した結果である。

英語では、

<ce や ci とつづってあるなら、[e]や[i]から口内でもっとも遠い[k] といっしょに発音するといかにも発音しにくいと感じるべきで、[se]や[si]と発音するほうが自然なのだ>

というフランス語の原則に<おつきあい>しているわけである。

[s]と読むならつづりも s にするとか、 cake, cut, class のように[k]と読むならつづりも k にするとかすればつづりと発音が統一できるとも考えられるが、英語はつづりを変更しないで継承することで単語の歴史を保存する道を選んだ。

このように、つづり方によって語の来歴を残すという方法の親玉は、日本語である。

古い大和言葉はひらかな、中国由来の語は漢字、近代以降の外来語はカタカナ、西洋語はローマ字といった書き分けの傾向がそれである。

日本語ネイティブが外国語に直入しにくいひとつの理由は、日本語の中核部分からの<遠さ>をこのような書き分けによって測る感覚が発達しているからかもしれない。

ただ、一般的にいってつづりと発音がひたすら統一的であればよいという言語は少なく、たいていの言語は多様なつづり方を工夫することで個々の単語の由来ひいては言語そのものの歴史を表現している。

たしかに、つづりの多様性は読みにくさの原因になる(だからこういうセンター試験の問題が成立する)。しかしつづりと発音は言語の来歴を示す貴重な遺産であり、格好の教育素材でもある。

なお、つづりのc の読み方にはおもしろい付属的原則があって、

<-ableの前の c を[s] と読ませるために、つづり e を残す>

というのがある。

noticeable,  replaceable,  serviceable 

といった語がそれで、これもフランス語系の発音[s]を示すためのつづり方である。







(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 07:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
今年のセンター試験の「英語」を分析する その1
先日終わったセンター試験の英語の問題が新聞に載っていた。

例年と同じように、第1問(解答欄は7個)が発音に関する問題になっている。

出題の内容を具体的にみてみる。

問1から問4は、四つの単語のなかから下線部の発音が他と異なるものをひとつ選ぶ問題。

問1 amuse,  cute,  future,  rude 

正解は rude だが、この問題の背後にあるのは、

<語末が"子音字+e"になっている語はその前のアクセントのある母音字をアルファベット読みする(=長音で読む)>

という英語の基本原則である。

問2の正解である gene も、問4に登場する accuse も、この基本によってそれぞれ[i:], [ju:]と読む。

中高の段階でこの原則に気づかせるのは英語教育の必須事項のひとつだと思う。

たんにつづりと発音の重要な関係というだけでなく、長音で読む母音は英語のゆったりしたリズムの一因になっており、これを味わうことは英語の発音体感の基礎でもあるからだ。

rude は<長音はアルファベット読み>の原則の例外で、[ju:]ではなく[u:]である。

[rju:]がいかに言いにくいか、他の rule, flute などといっしょに口内で味わってみるだけでも言語への興味が鋭くなるだろう。

「例外」と聞くと「面倒」と思う人が多いようだが、原則が十分に納得できていれば、例外はむしろ興味をかきたてる面白い存在となる。

いまの中高の教室にそういうことを考えている余裕はないようだが、英語のこんなに面白い部分を切り捨ててしまうとすれば、いかにももったいない話である。







(つづく)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 23:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
所有格おそるべし

英語についての一般向けの本(ベストセラーになったと思う)を見ていたら、ちょっとおもしろいことに気がついた。

科学の法則の名前のことなのだが、まず二種に分けて並べてみると、

【Iグループ】

Archimedes' principle(アルキメデスの原理)

Pascal's principle(パスカルの原理)

Mendel's laws(メンデルの法則)


【IIグループ】

the law of gravitation(万有引力の法則)

the law of inertia(慣性の法則)

the theory of evolution(進化論)

the general(special) theory of relativity(一般(特殊)相対性理論)

以上のように所有格の人名がつく法則名(Iグループ)にはtheがない。theがあってもよさそうだが、なくても唯一性は十分である。

他方で人名がない法則名(IIグループ)はtheがあるほうが唯一性が充足して正式名称になる。(theは堅苦しいので会話などではtheなしで済ませてOK)

最後にもうひとつのグループを。


【IIIグループ】

the Doppler effect(ドップラー効果)

the Archimedean principle(アルキメデスの原理)

the Copernican(Ptolemaic) theory(system)(地(天)動説)

the Copernican revolution(コペルニクス的転回)

the Pythagorian theorem(ピタゴラスの定理)

このグループには人名が出てくるが、IIグループ以上にtheが必要になる。個人の活動は多彩なので、「アルキメデス的な」といっただけでは特定性が不足するからである。

いいかえるとこのグループは人名が所有格になっていないためにtheを必要としている。IIIグループの存在は所有格(Iグループ)がいかに強い特定性を発揮するかを裏から証明しているともいえる。

<所有格の人名による無冠詞型><一般名詞によるthe型><非所有格の人名によるthe型>という三つのタイプは語の複合による「固有名詞」の作り方の代表的パターンとして記憶しておくとよさそうだ。

(以上の例は『続・これを英語で言えますか?』講談社インターナショナル、2001年、160‐161頁より)

所有格は強烈な特定性をもつのでtheは不要になる。所有格は一見わかりやすいので使い方に無頓着な人がいるが、ある人がある対象を排他的に支配しているときはtheではなく所有格を使うことは立派な<文法>である。

You didn't sort your garbage.(ゴミを分別しなかったね)

これを

You didn't sort the garbage.

とすると、場面によっては誰のゴミかが特定せず、たとえば「そのゴミ捨て場のゴミ全体を分別しなかった」のように文意が変わってしまう。















| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:50 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
スターバックスのクリスマス英語 

クリスマスシーズン。

スターバックスでコーヒーを買ったら紙バッグにこういう文が印刷されていた。

STORIES
ARE GIFTS.

SHARE.

どういう意味だと思う?と何人かに聞いてみたが、意外にむずかしいようだ。

私流にポイントを解説してみよう。

■最初の文は「物語は贈り物だ」と訳せるのだが、その意味するところがわからない人がいた。名詞は多面的なので意味がつかみにくいことがある。そういうときは認識の角度をずらして動詞的・形容詞的に理解してみるといい。storyはhistoryの短形で原義は「知ったことを物語る」。giftはgiveの姉妹語で「与えられたもの」。すると Stories are gifts. は「人に語るということは人に何かを与えるということに等しい」という意味が浮かんでくる。

■クリスマスシーズンに Stories are gifts. という言葉を聞いたら、アメリカ人は年に一度のクリスマスに親戚が集まって「今年はこういうことがあってね…」と語りあう様子を思い浮かべるだろう。親しい者どうしの体験談こそが最高の贈り物だというのがスターバックスのメッセージなのだ。

■見落としたくないのは、stories と gifts が複数形になっていること。人が違えばいろんな話があり、それぞれが立派な贈物なのだという意味がこめられた複数形である。

■そして案外わかる人が少ないのが最後の share という一言。動詞ではじまる命令文だから、これは「分かちあおう」という呼びかけである。では何を「分かちあう」のか? 何も書いてないと思うのは早とちり。他動詞shareに目的語がないということは磁石でいえばマイナス磁極のようなもの。これはプラス磁極たるテーマ語storiesへと吸い付くようにつながっていて share the stories (贈り物たる話をみんなで楽しもう)という意味であることが自然に了解される仕組みである。

■こうしてstoriesとshareつまり冒頭と末尾の語が引き合ってメッセージの全体がきれいにまとまっている。同時に、このフレーズが印刷してあるのはスターバックスの紙バッグなのだから、shareのもうひとつの目的語としてイメージされるのは、もちろんスターバックスのコーヒーやフラッペというわけである。

スターバックスの店舗で見かける英語はどれもこのように洗練されていて感心させられる。







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
グロービッシュは救世主になるか? おわり

結論として、グロービッシュについては次のようなことが言えそうだ。

■語彙と文法は限定的で発音は許容的という基本線は、中高大の英語教育の現状と変わらない。ただ、グロービッシュは一般人向けなので、そこが21世紀的で斬新な感じがある。

■グロービッシュは語彙・文法・発音いずれをとっても言語の科学が不足している現状の産物である。世界の現状に根差しているので支持者はあらわれるだろうが、これがグローバルな英語問題の決め手になることはないだろう。

■けっきょくグロービッシュは、本質的には「国際英語論」と同様、<新しい英語の構築>というより<英米支配の弱体化とともに英語への反感が過ぎ去り、非ネイティブ間で簡易な英語が話されるようになった21世紀における、英語習得にあたっての心がまえ論>のひとつである。

もちろん、<心がまえ>などたいした意味はないと考えるのは間違いである。

外国語は、どういう心がまえで語るかによって大きな影響を受ける。

ネリエール氏が言うとおり、「言葉がヘンだと言われて喜ぶ人はいない。 No one likes to be called BROKEN.」 

しかし実際問題として、ヘンであることを知りながら英語を話すほかはないのが非ネイティブである。

ならば、「これはヘンではない。立派な英語の一種なのだ」という強い心がまえを作るべきだ。そのとき、相手と平等になって堂々と話せるのだ。

この「開き直り論」がグロービッシュ(→国際英語論)の要点である。

それは悪いことではない。むしろ、国際的に堂々とわたりあうために有効なストラテジーのひとつである。

それなら、これからは次のようにするのがいいことになる。

ー尊櫃墨辰甲覆砲覆辰燭蕁◆崋分の英語はヘンではない」と開き直ること。「ヘンなのではなく、語彙と文法が限られ、発音もわかりやすい普遍的な英語を話している。だから多くの人と語りあえるのだ」と積極的に考えること。こういう心がまえを言語ストラテジーとして訓練する。

他方で、「自分の英語はこうすればもっとよくなることがわかっている」という領域を増やす必要がある。自分で選んだ理念型をもとに、そこに向かって洗練できる体制が必要である。

,漏き直りであり、△枠疹覆叛鎖覆任△襦

ところで、この一見矛盾する両者を、うまく両立させる方法がある。

それは学習者を科学でささえ、ユーモアでつつむことである。

「私はこれでいいんです!」と開き直るのではなく、柔軟に別人格を立てて、「英語を話すときのユーモアたっぷりの自分」を作り上げてみるという言語ストラテジーはどうだろう。いわば「ごきげん英語」であり、たとえば女性なら「プリンセス英語美人」をストラテジーにするのだ。

そしてこの「プリンセス英語美人」はとても謙虚であり、相手によっては「少々ヘンな英語でごめんあそばせ」とか「もっときれいに話せるように練習しておりますわ」と堂々と言う。肝心の発言の中身はとてもきちんとしている。

限られた語彙と文法、そして一貫性のある発音。それで目的にあった英語が話せるだけの科学の支えがある。

そうなったとき、英語は人を変える”パワースポット”になるかもしれない。

グロービッシュは21世紀型の英語論としてすぐれたところがある。そしてそれはあるべき姿の半分を示している。





(おわり)






| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
グロービッシュは救世主になるか? その3

■グロービッシュには、おそらく発音に関する戦略がないと思われる。

いやむしろグロービッシュは多様な母語の特徴を残した多様な発音を許容すべきだという立場であり、この許容性こそ、発音に関するグロービッシュの戦略なのであろう。

私としては、これに異を唱える気はないし、異を唱えたところで何かを止められるとも思わない。

ただ、ここでも私は近代英語500年の歴史を考えたいと思う。

言語は小さな人体を駆使しながら、多くの人が長い時間をかけて語ることで作られる。

その結果、それぞれにふさわしい音韻の体系を作り上げている。日本語は日本語流に話すのがいいやすいし、フランス語を日本語流の発音で話しても魅力は半減するだろう。

ある外国語を話そうとするとき、「ネイティブを真似る」(大人には不可能)のではなく、ネイティブも従っている「歴史的に形成された発音の理念型めざして訓練する」ことができれば、理想的である。

外国人もネイティブも、ある理念型をめざして発音している。心地よく明瞭な発音をするネイティブは、ネイティブのなかでもより高い理念を指し示しているから尊敬される。

外国人が英語の発音を学ぶときには、いろいろある英語のなかのどれかを選定し、その発音の理念型を明らかにして、それにむかって訓練していくシステムがあればよい。

あるタイプの英語の隠された音韻体系を明らかにし、それをめざす態度は、英語話者がつくりあげた歴史的遺産への敬意でもあると私は思う。

そして、ひとつのタイプの英語についてそうしたシステムができれば、他のタイプの英語や他の言語へと拡張できるだろう。

むろん、このシステムを現実に作るのは時間がかかるし、たとえそういうシステムがあったとしても、発音は肉体的な訓練でもあるから、学習者は相当な時間を必要とする。いや、相当な時間どころか理念型への漸近は一生つづくもので、終わりはない。

だからそういうシステムがあったとしても、学習者には母語の影響が残る期間があり、最初は「通じればよし」というレベルがあることも変わらないだろう。

しかし、めざすべき理念型とメソッドがある場合、そこには洗練のルートが存在することになる。どこをどうすればもっと快適に話せるかがわかる。

ところが発音は適当でよいと放任し、めざすものも方法もないなら、野球選手がバットでテニスをやるような不適応感が残るし、野球式テニスが文化の名に値するかも疑問である。

グロービッシュが発音について「母語の影響があってもいい」もしくは「通じればいい」という発想に立っているとすれば、現状ではそれしかできないのは理解できる。

ただ、それが理想的というわけでもないことは認識しておいていい。





(つづく)





| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
グロービッシュは救世主になるか? その2

ネリエール氏の発想と実践は、我が国でいう「国際英語論」のビジネス版といったおもむきがあり、それなりに賛同者がいるだろう。

私の感想を述べておくと、

■学習の目安として、限定された語彙リストを作ることには賛成である。

簡易な英語で話したいとき、先に身につけると有効な語彙はなにか。それを教える側がつかんでおくのはストラテジーとしてきわめて重要だ。

オグデンやリチャーズのベーシックイングリッシュなど、語彙を限定することで英語を簡易化しようという試みはこれまでもあったし、これからも必要だと思う。

ただ、この語彙リストを世界にひとつと決めることは不可能だろう。語彙リストが永遠に同じというのも不自然だ。国であれ学校であれ、教える側がそれぞれに作成し、自分から発信するとき「使える単語・わかってもらえる単語」のリストとして、学習者に活用をうながせばいいだろう。

そうすれば、互いに作成したリストを元に共通する語彙が確認できたり、次第に改善できたりしていくだろう。

■文法の面については、英語の科学がぜひとも必要だと思う。

英語は近代英語だけでも500年の歴史がある。その間につちかわれた文法の本質はなにか。これがまだきちんと明らかになっていない。そのために「ブロークン」という場合も、どこがなぜブロークンなのか教える側にもよくわからないのが現状である。

中国の有名な英語パフォーマ―、Li Yangのことも先のニューズウィークの記事にあるが、彼の著書のタイトルは、「なんと even」、I Am Crazy, I Succeed. であると紹介し、これは英語としてぎこちないと示唆している。

では、I Am Crazy, I Succeed. のどこが、なぜぎこちないのだろうか。このようなタイトルは「文化的」といえるのだろうか。

Li Yangの場合、こまかいことは気にするなというメッセージをこめて、こうしたタイトルをあえて選んだのかもしれない。もしそうだとすれば、このタイトルはむしろ高度に文化的でもある。

ただ私としては、「意味はわかるがぎこちない」といった微妙な部分にこそ、言語の高度な本質が垣間見えると思う。ほんらい言語の研究はこうした部分の解明にまで及ぶはずだと考える。

残念ながら、現状ではそこまで英語研究がすすんでいない。

そうである以上、おそらくネリエール氏がそうであるように、非ネイティブが使いやすいと思われる基本文法を選定し、「習うより慣れろ」式にコースを作成して、できるだけ時間と労力を節約する戦術をとるほかないだろう。

しかしその場合も、たとえば冠詞のような「小さな」文法でさえも解明できない言語学の現状では、真に「やさしい文法」は成立しえないだろう。




(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
グロービッシュは救世主になるか? その1

先回とりあげたニューズウィークの記事「グロービッシュ」に、ジャン・ポール・ネリエールのサイトが紹介されている。

http://www.jpn-globish.com/

ネリエール氏はフランス人で、英語を駆使してIBMなど国際ビジネスの世界でキャリアを積んだ。

その経験を生かして、彼は1,500語からなる簡易化された英語="Globish"を開発し、すでに何か国語かでテキストを出版し、学習用サイトも開設したらしい。

このサイトで彼が語る7分間のグロービッシュ論を聞いてみたが、なかなかおもしろかった。

彼の「発見」は、語彙や表現が限られているときほど多くの人が意思疎通しあえるという事実にあった。 "And this was my discovery; if we all had the SAME limitations, it would be the same as we had NO limitations at all."

これを聞いて、私は道元の言葉を思い出した。「池の鯉は小さな世界で泳ぐだけだが、まったく自由である」。

限界を設けることは必ずしも悪いことではない。サッカーには限界を示すラインがあり、反則がある。だから人は自由にサッカーができる。これと同じ原理である。

ネリエール氏は、「英語を勉強する」となればそれは「きりがないendless」のであり、たとえば英語ネイティブがスピーチのはじめに飛ばすジョークは何がおかしいのか、私にはわからない。わからないがつきあいで笑っているのだ、と。

「きりがない」英語ネイティブの世界よりも、語彙も文法も限定されたグロービッシュの世界のほうが、じつは広大である。

語りあえる相手はグロービッシュのほうが圧倒的に多数であり、たとえば非英語圏の人たちは英語ネイティブと話すより、私と話すほうを好んだ。

もちろん、英語ネイティブのなかにはグロービッシュをブロークンだと馬鹿にする人もいる。そこで私は、この簡易型英語をグロービッシュと名づけ、英語圏文化とは切り離された、一種の正しい英語だと規定することにしたのだ。 "Of course, some of English speakers just wanted to laugh at us and call it "Broken English." Well, no one likes to be called BROKEN.  ... And this is why I decided to call this by a special word: GLOBISH. Globish is correct English without English culture."

英語ネイティブもグロービッシュを学ぶとよい。そのほうが世界中の人に理解され、成功へと近づけるのだ。 "As soon as a native English speakers can accept Globish and stick to it... Well, then...He or she will also be better understood, and will become part of the winning team. If they want to talk with US - and that is more than 5 billion non-native English speakers, Globish is the answer."

限定された語彙、厳選された文法、そして非英語圏の人にはわかりにくいイディオムやジョークは使わない。これがグロービッシュの特徴だという。





(つづく)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語 | 00:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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