ごきげんようチャンネル

 魚、水を行くに、行けども際なし  道元『正法眼蔵』



国家と個人を区別せよ アメリカのイスラエル政策の根本矛盾

数年前、パレスチナ政権が国連加盟を申請した時、イスラエルのネタニアフ首相が国連でイスラエルの立場を熱弁したビデオを見たことがある。

 

彼の英語の流暢さには感心させられたが、流暢ゆえに、かえって彼の弁舌には毒が含まれていると感じた。これは彼がヘブライ語で演説しても同じことだろう。どういう言語で語るかよりも、本人の認識の当否によって、人の心を打つかどうかが決まる。

 

 

 

ところで、タイムの関連記事をのぞきこんだら、若い世代の在米ユダヤ人には、イスラエルの傲慢な行動に疑問をもつ人が増えているという。

 

その根拠を述べたなかに、27歳のユダヤ人学生の指摘があって、ハッとさせられた。

 

 

 

 

「アメリカ政府のイスラエル支持政策には、根本的な矛盾がある。それは人種や宗教を問わない個人の自由の尊重を口にしながら、同時にユダヤ国家としてのイスラエルを支持していることだ。

 

 

Benjamin Resnick, 27, is one of the rabbinical students who took the survey. In July, he published an op-ed pointing out the ideological inconsistencies between Zionism, which upholds the principle of Israel as a Jewish state, and American liberal democracy, which emphasizes individual rights regardless of race, ethnicity or religion. "The tragedy," Resnick says, is that the two worldviews may be "irreconcilable."  」
 


 http://www.time.com/time/world/article/0,8599,2095505,00.html#ixzz1ZXjaqM3k

 

 

 

 

これは、アメリカ国家の矛盾を鋭く突いている。

 

この種の矛盾は、なにもアメリカ政府に限ったことではない。個人の人格の尊厳をうたう憲法をもち、国内ではそういう建前を口にしながら、同時に「中国人だから…」というようにもっぱら「国」によって個人を判断して平気な政治家もいる。

 

国家や民族や宗教を越える価値として、個人を見失わないこと。その実行に一歩でも近づくためには、まずこういう矛盾に気づく必要がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 22:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
私が奈良時代に関心をもつわけ

「奈良時代」とは、西暦700年代の約100年である。

私は、奈良時代が始まる西暦700年ころに「日本」史がはじまると考えている。

「日本」という国号、「天皇」という王号、中央集権的法制(官僚組織・軍事組織・地方組織・税制・刑法)、文字、詩文、貨幣、暦、年号、国教(神道+仏教)、歴史編纂(記紀)、本格的な都城建築、大規模な木造建築(平城京・東大寺)、肉体的特徴の確定(縄文系+弥生系+渡来系)、「国際」関係の樹立(対唐・対新羅)など、「国家」という場合にイメージされるものがそろったのが、このころだからだ。

それ以前は、「日本」成立にいたる序曲のようなものとイメージして大過ない。条里制の跡や字名、各地の寺社、旧国名など、現代の生活にも生きている歴史的遺産は、このころ以降のものが多い。

故土田直鎮氏(東大国史学科教授・国立歴史民俗博物館長)が、奈良時代には、現存する史料がそれ以前に比べて「圧倒的に多様かつ豊富」になると書いている。

 

たしかに、古事記、日本書紀、続日本紀、正倉院文書、木簡、漆紙文書、風土記など、奈良時代ころから文字史料が急増する。文字を駆使して支配する本格的な官僚制国家が、この頃に生まれたからである。しかも、日本では古代の文字史料の残存率が、比較的高い。たとえば、同時代の唐や新羅の律令には伝存しない条文がかなりあるのに対して、日本の律令はほぼ全体が伝存・復元されている。
 

日本書紀から、当時の記録の一例をあげてみよう。

 

 

 

夏四月癸卯朔壬申 夜半之後 災法隆寺 一屋無餘 大雨雷震

 

(夏四月(うづき)の癸卯(みづのとのう)の朔(ついたち)壬申(みづのえさるのひ)に、夜半之後(あかつき)に、法隆寺に災(ひつけ)り。一屋(ひとつのいへ)も余ること無し。大雨(はさめ)ふり雷震(いかづちな)る。日本書紀、巻二十七、天智天皇9(西暦670)年)

 

 

 

夜明けに、法隆寺が火災になり、すべて焼け落ちたという。放火も疑われる。大雨が降り、雷が鳴ったのは、その後のことであろうか。記述は簡潔だが、日付まで特定されており、古代の記録としては精度が高い。日本では、こうした記録が、奈良時代から多く残されていった。

 

 


「1200年以上も昔の世の中に関して、一貫してこれだけの高い密度をもって察することができるというのは、まったく珍しい例であろう。」(土田直鎮「時代解説」『遣唐使と正倉院』ぎょうせい、1986年、9頁)
 

 

 

こうした記録を残すだけの「国家」の背後にあったのは、班田などの農地制度と税制の整備であった。

 

激しい政争、建築熱、そして「天平文化」の華。これらは、「国家」創生の時代が放った、熱病的な息遣いだったのではないか。

 

そして、どうしてこの時期に、こうした大きな変動が起こったのかが、歴史研究の基本的課題になるはずだ。

 

 



 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 21:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
超巨大銀河「ミルコメダ」の話  地球の消滅と「思考する精神」の復活について

宇宙関連でひとつメモを。

 

数年前の『日経サイエンス』日本語版に、われわれのいる銀河系と隣のアンドロメダ銀河はいずれ衝突するという予測が載っている。

 

該当部分を引用しよう。

 

 

 

 

 

 

「天の川銀河に住む私たちは間もなく(といっても数十億年後)、隣の巨大渦巻銀河であるアンドロメダ銀河の突入という事態に突入する。

 

これら二つの銀河の中心にある高密度の領域は互いに衝突するか、共通重心を周回しはじめるだろう。

 

ミルキーウェイとアンドロメダの相互作用の結果、一つの超巨大銀河『ミルコメダ』が生まれる。」

 

(『日経サイエンス』日本語版、2012年6月号、37頁)

 

 

 

 

 

 

同記事によると、「ミルコメダ」が生まれるだけでなく、いまから十億年〜60億年のあいだに「太陽系の内惑星の軌道が不安定になる可能性がある。太陽が白色矮星になる」という。(同上、37頁)

 

つまり、地球は数十億年後には太陽の膨張・爆発によって消滅する。むろん、それ以前に地球は人間が住める環境でなくなるだろう。

 

地球上の生命の歴史が数億年、人類が誕生してから500万年というから、いまから数十億年という時間はそう短いわけではない。

 

しかし、たとえ人類が火星に移住できたとしても太陽の膨張をまぬがれることはできないから、太陽系の消滅すなわち人類の消滅は不可避である。

 

人間は、こうした超長期の予測をリアルに認識する能力をもっている。「知らぬが仏 Ignorance is bliss. 」とばかり、このことに知らんぷりを決め込むわけにもいかない。

 

 

ここはエンゲルスにしたがって、次のような認識で満足するほかないようだ。

 

 

 

 

「ある永遠の循環過程のなかで物質は運動している。それは、地球年を尺度としては十分に測りえないほどの長時間を経てようやく完結するような循環過程である。そこでは、有機的生命が存在する時間、生命と自己意識とが活動する空間はごく限られたものである。

 

ここでは、永遠に運動しつづけている物質と、その物質が運動し変化するさいに従う諸法則のほかには、なにも永遠ではない。

 

しかし、われわれは確信する。

 

物質は、地球上で最高の精華である思考する精神を絶滅させるのと同じ鉄の必然性をもって、この思考する精神を別の場所、別の時に再び生み出すにちがいない、と。」

 

(エンゲルス『自然の弁証法(抄)』新日本出版社版、30-31頁より要約)

 

 

 

 

 

 

 

 

The Hubble Space Telescope is completing its 22nd year in space

 

 

ハッブルがとらえた系外銀河.   通称UFO.

http://www.time.com/time/photogallery/0,29307,1984100_2344299,00.html

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 10:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
政治家は、推薦母体と奉仕対象にズレがある "The People vs. America" より

アルジャジーラの特集番組で、 The People vs. America (Feb. 2017)  というのを見ていたら、オバマ前大統領についての鋭い指摘が述べられていた。

 

 

http://www.aljazeera.com/programmes/the-big-picture/2017/02/big-picture-people-america-170216063801575.html

 

 

 

政治家は、住民を母体とした選挙区や政党を基盤にして当選するが、いったん当選すると、その瞬間に立場が変わる。全町、全市、全国といったものが観念上、建前上の奉仕対象となる。

 

そして、当選後の政治活動を実際に支えてくれるのは、選出してくれた有権者ではなく、資金援助してくれる団体(企業)である場合が多い。

 

じっさい、すでに存在する産業や企業を敵に回すことは、有権者の職を奪いかねない、企業が納める税金が減るかもしれないといった配慮から、なかなか出来ることではない。

 

 

以下、番組に登場した三人の識者の発言を抜粋し、私の意訳?をつけておく。

 

 

 

...

 

 

 

■Elane Brown: Former Chair, Black Panther Party

 

オバマは、アメリカの富裕層がつくるカルテル(独占利益を守るための、協定による連合)に、有望な人材として目をつけられた。アメリカ大統領は、アメリカの資本への奉仕者である。

 

 

"It didn't occur to anyone that one of the reasons that Obama could even get this far was that he had to be totally,  totally emerged and protected by a very big, I can say, cartel of rich people, who thought, 'Here's what we can do.'"

 

"This distinction between this individual President and that individual President. ...  They are there to protect the interests of the American government as it exists in service to the American corporations."

 

 

 

 

 

■Chris Hedges: Author, Death of the Liberals

 

オバマは上院議員時代、次々に企業献金をもらっていた。...この時期に、彼はアメリカ株式会社の”政治部長” として目をつけられたのかもしれない。

 

 

"Obama spent two years, only two years in the Senate.  His voting record which is the only thing which should have been accounted was one corporate giveaway after another."

 

"Our capitalist democracy which had already created systems by which most of the marginalized, in particular people of color had very little say in governance and in their own capacity to serve themselves for their society. They are really seized up. That's what happened. And that's very dangerous because when the state is unable ro respond in a rational way to legitimate grievances, it gives rise to extremism."

 

 

 

 

 

 

■Nomi Wolf: Author, The End of America 

 

 

オバマが大統領になった。しかし彼は、世界化した企業利益が動かす駒のひとつである。誰がホワイトハウスにいようと、世界企業を統制する力は、ほとんどない。

 

 

"Obama got in.  And he is the pawn of, you know, globalized interest, you know, I mean, the problem is not left or right. The problem is whoever is in the White House has very little reign to it."

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
インターネットの衝撃 その本質はメディアの民主化

ミッチ・ウオルツ(神保哲生訳)『オルタナティブ・メディア 変革のための市民メディア入門』(大月書店、2008年)

この本の訳者解説に、インターネット登場の意味について明快な指摘がある。

そもそもメディアはコンテンツと「伝送路 delivery path 」のふたつが車の両輪になって成り立つ。

これまでのマスメディアの最大の特徴は、伝送路が希少状態に制限され、そのため情報の送り手が一部の者に独占されていたことにある。電波帯の割り振りや放送局の認可制度や新聞の配達網や出版社の販路がそれを示している。「マスメディアの力の源泉はほぼ100パーセントここにあるといっていい」258頁。

つまり、マスメディアの権力は希少な伝送路を独占していることから発するものであった。

マスメディアはこの独占状態を利用して収益をあげようとするため、テーマの重要性よりもスポンサーの意向や視聴者の多さを重視することになり、コンテンツの面で限界が生まれる。

ところが、インターネットという新たな伝送路は、まったく違う性質をもっている。誰もが情報を不特定多数に送ることができるので、伝送路の希少性というマスメディアの権威の拠り所を突き崩してしまった。また、コンテンツについてもマスメディアのような制約にしばられることもない。264頁。

オバマ候補が大統領選挙運動中、ほぼリアルタイムで自分の演説をネットに上げ、若い世代に支持を広げていったのがよい例である。254頁。

いまやマスメディアは存亡の危機にあり、すべてがオルタナティブ・メディアになる可能性が出てきた。

これからは、オルタナティブ・メディアの作者たちも、マスメディアの製作者と同じくらいの責任と役割を自覚する必要がある。267頁。

NHKをはじめ大マスコミの不祥事が増えているのも、マスメディアの独占的地位の崩壊→自分自身へのあせりとプライドの低下が背景にあると見ることができる。

マスメディアを敵視する必要はないが、もはやマスメディアだけに情報を頼る必要もない時代がやってきた。

「インターネット革命」(267頁)は現在進行中の、世界中の人たちが担う現代的革命だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 08:27 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人格は<偏見からの自由>から生まれる

アメリカでは、トランプが人種問題についての言及を含む演説をした。この人がどこまで人種問題とその根源を知っているのか、よくわからない。おそらく、彼にはこの問題がピンと来ないのかもしれない。

 

トランプがどう思おうと、なにを言おうと、人種問題を政治の力で実際にどう変えているかが、政治の評価の中核になる。

 

 

 

 

...

 

 

 

 

四年前の2013年8月28日は、キング牧師が "I have a dream speech" をおこなってからちょうど半世紀にあたっていた。

 

ワシントンDCでの記念式典の映像を見たら、三人の大統領経験者が参加しているのには感心した。そのうち、現役(当時)の大統領は、黒人である。

 

アメリカ合衆国の偉いところは、世界の資源と矛盾の集まりのような土地にあって、つねに人類の最先端をいくような前進をつづけてきたことだ。

 

 

 

式典ではたくさんの人が演壇に立ったが、そのなかに、<偏見からの自由>という表現をした人がいた(どの人だったか忘れた)。

 

これはいい言葉だと思う。われわれは、偏見から自由になったとき自分を自由にでき、人格をのびのびと育てることができる。

 

黒人だから、ゲイだから、◯◯人だから… といった偏見から自由になること。それは自分が自由になることなのだ。

 

 

 

 

労働の生産物が交換価値をもつのは、人間が社会的必要に迫られて生産物の交換をくりかえすうちに、価値が生産物に内在しているかのように思うようになり、それを前提にして行動するようになるからだ、とマルクスは言った。

 

偏見も、交換価値と同じく社会的産物である。

 

人間が社会のなかで関係をつくる(たとえば奴隷制度をつづける)うちに、ある外見の人間にはある特定の性質が内在していると思うようになり、人はそれを前提に行動するようになる。

 

奴隷→黒人という現実から、黒人→劣者という思考回路(黒人についての概念)が生まれて社会に定着する。いったんそうなると、人々は言葉を覚えるのと同じように、この思考回路を知らず知らずのうちに身につけていく。黒人たち自身も、この思考回路から自由になれないことがある。

 

偏見は、いちど形成されると人々の心に根強く残る。

 

 

 

...

 

 

 

キング牧師の "I have a dream " 演説の末尾では、 "Free at last!" という黒人霊歌の歌詞がくりかえされる。

 

偏見と不平等から自由になって、みんなが自由に互いの人格を成長させている。そういう光景を先取りした言葉であろう。

 

それで思い出すのは、敗戦直後、三好達治が戦死した若者の霊をイメージして書いた詩にある、

 

 

 

「ついに自由は彼らのものだ」

 

 

 

というリフレインである。これは合唱曲にもなっている。

 

 

 

キング牧師の "Free at last! " は、死者たちの自由ではなく、

 

 

 

「ついに自由は我らのものだ」

 

 

 

という、人種差別を越えた現世への意志だろう。

 

 

 

...

 

 

 

 

偏見を打破するひとつのダイナミックな方法は、1963年、25万人のワシントン大行進のように、多数の人々が集まって抗議する姿を見せることである。

 

そしてもうひとつの方法は、偏見が生まれる人間社会の仕組みを理解することである。

 

偏見の原因を根底から理解したとき、差別される側だけでなく、差別する側も自由になれる。

 

科学とは、ほんらいそういうプロセスに貢献するものであるはずだ。

 

 

 

...

 

 

資料:

 

キング牧師の"I have a dream speech" (Aug. 28, 1963)から、末尾部分

 

 

"... From every mountainside, let freedom ring. And when this happens, when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

 

"Free at last! Free at last!

 

Thank God Almighty, we are free at last!"

 

 

http://aboutusa.japan.usembassy.gov/e/jusa-majordocs-king.html

 

 

 

 

三好達治「鷗」(1946年)から抜粋

 

つひに自由は彼らのものだ

彼ら空で戀(こい)をして

雲を彼らの臥床とする

つひに自由は彼らのものだ

 

 …

 

つひに自由は彼らのものだ

彼ら自身が彼らの故郷

彼ら自身が彼らの墳墓

つひに自由は彼らのものだ

 

つひに自由は彼らのものだ

一つの星をすみかとし

一つの言葉でことたりる

つひに自由は彼らのものだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 10:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
アメリカ大統領は、アメリカ国家ではない 当然だが忘れがちな視点

先ごろのトランプのアフガニスタン新政策に関する声明について、アルジャジーラが三人の識者を招いて討論会をやっていた。

 

 

 

http://www.aljazeera.com/programmes/insidestory/2017/08/trump-full-term-170821185240336.html

 

 

 

トランプのアドバイザーだった人と、トランプに非常に批判的な人。そして三人目は大学の研究者で、Jeanne Zaino という人だった。Iona College で政治学、国際学を担当しているという。

 

この人の発言は、目前の事実を追うだけでなく、視点がもっと遠くまで届いている感じがした。

 

たとえば最近、側近のバノン氏がホワイトハウスを去ったことについて、Zaino さんは、トランプの政治スタイルからいって、近くにいないほうが大統領に影響を与えることさえある。マスコミはこうした個々の人事のことをあまり大げさに扱わない方が良い、とクールにコメント。確かに、マスコミは目前の動きの意味を伝えようとするあまり、実際以上に事件性を持たせようとすることがある。

 

もうひとつ、彼女の発言で感心したのは、「大統領と合衆国は別物」という直球の指摘である。アメリカ合衆国は、「大統領」と呼ばれる人が表現したり約束したりするのとは別のレベルの存在である。

 

誰が大統領になろうと、合衆国には合衆国の、独自の利害、独自の制度、独自の経緯があり、個々の大統領がそれを無視することはできない。トランプもまた、選挙戦でなにを言おうが、それとは別に厳然と存在するアメリカ合衆国の利害・制度・経緯から自由ではありえない。

 

政治の真の問題は、アメリカ経済をどうするか、社会保障をどうするか、人種問題をどうするか、アフガニスタンへの派兵をどうするか、といったリアルな問題への対処が、現実にどうなっているかである。トランプの言動や、彼の政権内部について語っているだけでは、真の政治論にならない、と。

 

これは正論である。大統領をはじめとする人たちが、リアルな問題にひとつひとつ対処していく以外に、「合衆国」のあり方自体を変える方法はないのだから。

 

 

 

 

...

 

 

 

 

以下、Jeanne Zainoさんの発言から。

 

 

"What we see with, quite frankly, every presidency is ... Presidents come in,  they get into the office and the real governing powers at work in the United States take over.

 

And now we've seen a President Trump who has bombed in Syria, we've seen now a President Trump who is likely tonight to call for increased troop levels in Afghanistan,  and he will blame that on the war on terrorism when in fact the US has funded and been perceived helping those terrorists in the past in Afghanistan and elsewhere in that part of the world.

 

And so, you know ... I think that Presidents as individuals come in with ideas of isolationism or whatever it is, the United States as a country has interests, and those interests are not the interests we hear about when Presidents come out to speak, nor the interests, quite frankly, we hear about on the campaign trail."

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
価値の尺度は社会的必要時間 ロビンソン・クルーソーが証明してくれる おわり

マルクス『資本論』は言う。

 

 

 

「労働の有用な性格を無視するなら、労働に残るものといえば、それが人間労働の支出であるという事実だけである。裁縫労働と織布労働は、質的に異なる生産活動であるとはいえ、どちらも人間の脳髄・筋肉・神経・手などの生産的支出であり、この意味でともに人間の労働なのである。」(『資本論』』第一巻、第一章、筑摩書房版、68頁)

 

 

 

個々の労働の質的な違いを捨象してしまえば、商品と呼べるものの価値の源泉は、なべて<人間の労働>である。労働価値説とは、そういう抽象的な認識である。孤島のロビンソン・クルーソーがたった一人であらゆる労働をこなしていく姿は、労働価値説のいう「価値」という概念を理解しやすくしてくれる。

 

そして『資本論』は、次のように述べる。

 

 

 

「ところで、上着とリネンはたんに価値一般であるだけでなく、特定の大きさの価値でもある。かりに一着の上着が20エレのリネンの二倍の価値があるとすれば、この価値の大きさのちがいはどこから生じるのか。それは、リネンが上着の半分の労働しか含まないこと、すなわち上着を生産するための労働力は、リネンを生産する場合よりも二倍の時間をかけて支出されなければならないことから生じる。」(『資本論』同上訳書、70頁より要約)

 

 

 

個々の労働の質のちがいを度外視して、あらゆる労働を抽象的で均一な「労働」にまで還元してしまったとき、なお残る商品の価値の大小は、なにを根拠に生じるか。

 

それは、その商品を完成するのに必要な「時間」以外にありえない。

 

 

 

 

 

 

以上のように、マルクスの労働価値説は寓話でも仮説でもなく、ロビンソン・クルーソー物語さながらの推論を通じて得られる必然的な概念、すなわち人間世界の客観的真実なのである。

 

 

そして『資本論』は、ロビンソン・クルーソーの物語について、次のように述べている。

 

 

 

「彼がおこなう生産活動はそれぞれ異なっているとはいえ、同じロビンソンの異なる活動形態にすぎず、したがって同じ人間の労働の異なるやり方にすぎないことを彼は知っている。

 

彼は必要に迫られて、自分の時間を異なる活動のあいだに几帳面に分配する。わがロビンソンは、時計、簿記原本、ペンを難破船から救いだすと、ただちに良きイギリス人らしく自分自身について帳簿をつけはじめる。

 

彼の財産目録は、…さまざまな生産物の特定量のために彼が平均して費やす労働時間などの明細を含んでいる。

 

ロビンソンと、彼が自分で作り出した富たる種々の物との関係は、ここではきわめて単純で透明である。この関係のなかに、価値のすべての本質的な規定が含まれているのである。」(『資本論』第一巻、第一章、同上訳書117-118頁より要約)

 

 

 

労働価値説は、ロビンソン・クルーソーの物語のなかに単純化されたかたちで示されている。

 

 

...

 

 

 

ところで、『資本論』を読む人は、マルクスの叙述がもっぱら経済の話だと思っているかもしれない。しかし、マルクスの論理は、労働に限らず、「人間の脳髄・筋肉・神経・手などの生産的支出」(『資本論』第一巻、第一章、同上訳書、68頁)、つまり人間の労力支出全般についていえる。

 

たとえば言語は、労働と同じく、<人間の平均的能力の生産的支出>という面をもっている。

 

 

 

「人間の労働は、ふつうの人間なら誰でも特別の発達を経ることなく自分の肉体的な有機組織のなかに平均的にもっている単純な労働力の支出である。」(『資本論』第一巻、第一章、同上訳書、69頁)

 

 

 

これは「社会的平均的労働力」と呼ばれるものの説明であり、この労働力の発揮が「抽象的労働」であるが、同じことが言語についてもいえる。

 

 

 

<人間の言語には、ふつうの人間なら誰でも特別の発達を経ることなく、自分の肉体的な有機組織のなかに平均的にもっている単純な創造力の支出という面がある>

 

 

 

言語の場合、この「社会的平均的労働力」にあたるものは何か。この問題、じつに面白いのだが、ロビンソン・クルーソーのことから離れてしまうので、ここでは答えだけ言っておこう。

 

それは、自分を対象化した「自己」である。「自己」は、社会の誰もが、年齢相応に(すなわち平均的習得時間によって)獲得していき、かつ社会全体の平均として認められる「社会的平均的言語能力」として、個々人に分有されている。この自己が、三浦つとむのいう「自己分裂」を行うのであるが、この話は、別の機会に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
価値の尺度は社会的必要時間 ロビンソン・クルーソーが証明してくれる その1

 

 

労働価値説では、商品の価値はそれを生産するのに必要な社会的・平均的労働時間によって規定されるとする。

 

そう聞くと、「まあそんなところかな」と、漠然と認める人もいるだろうし、根拠がよくわからないと感じる人もいるだろう。

 

ところで、ロビンソン・クルーソー物語の社会科学的解釈といえば、かつては大塚久雄氏の「悔い改めた中産的生産者・ロビンソン・クルーソー」論が有名だった(大塚久雄『社会科学の方法 — ヴェーバーとマルクス』岩波新書、1966年)。

 

増田義郎氏の完訳と解説によって、いまや大塚説は大幅に訂正された(ダニエル・デフォー(増田義郎訳・解説)『完訳 ロビンソン・クルーソー』中央公論新社、2007年)。

 

そして、増田訳のロビンソン・クルーソー物語を読む中で、労働価値説は人間世界についてのリアルな認識なのだと、私は思うようになった。

 

...

 

 

たった一人で孤島に遭難したロビンソン・クルーソーは、労働なしにはなにひとつ得られない。

 

自分が乗っていた船が近くに座礁していたので、ロビンソンはペン、インク、紙、望遠鏡、聖書などをそこから島に運びこむ。

 

これらは他人の労働の産物で、出来合いのものであるが、これとて、船から島へと運ぶというロビンソン自身の労働(労働の対象物を移動させる交通労働)なしには利用できない。

 

彼の30年近い孤島生活を支えたのは、狩猟と耕作という労働であった。労働が<自分自身を生産する=生き延びる>ための基本であることは、ロビンソンの生活が証明している。

 

 

また、ロビンソンはたった一人であったために、分業というものの威力も実感する。

 

 

 

「手伝う人や道具があれば簡単にできることも、それをひとりでやるとなると、どんなにたいへんな労働となり、莫大な時間を必要とするか」(増田訳前掲書、116頁)

 

 

 

遭難から一ヶ月ほど経って、サバイバルの要領がわかってきたロビンソン・クルーソーは、次のように日記に書く。

 

 

 

「11月4日 今朝、仕事をする時間、銃を持って出かける時間、睡眠の時間、娯楽の時間などを決めた。雨が降らない日には、2、3時間銃を持って歩き、それから11時ごろまで働いて、生きる糧を食べ、ひどく暑い気候なので12時から2時までは昼寝をする。そしてまた夕方働く。」(増田訳前掲書、74頁)

 

 

 

一日は24時間しかないので、どの労働にどれくらいの時間をあてるかが、彼の生活を決めるもっとも基本的な要素となった。じっさい、ロビンソンは、どの労働にどれくらいの労働時間がかかるかをしきりに気にしている。

 

 

 

「今日と翌日の労働時間は、全面的にテーブル制作に当てる。まだへたくそな職人だから、それもしようがない。しかし、時を経て、必要に迫られて、私は完全な職人になった。だれでもそうなると思う。」(同上74頁)

 

 

 

普通の社会では他人と分業しているから、必要時間こそ労働の価値の尺度であることが見えにくいが、ロビンソンのように孤独な場合、それが見えやすい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
武士は、土台と上部構造と意識形態を統合する地方支配層であった おわり

歴史は、人と土地との関係ではなく、むしろ人同士がとり結ぶ社会関係を出発点に考えるのが良い。

 

マルクスの「資本制に先行する諸形態」を読んで印象に残るのは、人と土地との関係(土地所有)よりも、人と人の関係つまり社会編成のあり方、とくに労働のあり方が論理的に先行すると、マルクスがしばしば述べていることである。

 

人と土地の関係を出発点にする風土論や生態史観のような発想では、社会の成立事情を見誤る。これは歴史をみるとき、根本的に重要な視点である。

 

本書にも、このことを考えさせる叙述がある。

 

 

 

「開発所領・名字の地など本貫の地では武士の支配権は絶対的なものであったろう。しかし新補の地ではそうはいかない。中央の権門が荘園領主であり、権門の支配が確立した地域社会では、武士は新参者にすぎなかった。... 

 

そのような地域にあっては、寺社を主眼においた独自の視点を用意しなければならない。東国であっても、寺僧は絶えず京都や鎌倉とを環流していた。地域は武家の独占する所ではなかった。...

 

地域の武力装置としての武家と極楽往生・現世利益の装置としての寺社が、バランスをとって支配装置を構成していたに違いない。...浄土系寺院・顕密寺院などの寺家、そして武家が加わり、総体として地域社会と向き合っていた。

 

寺家は京都や鎌倉の本寺との関係があり、経典が地方へともたらされ、僧が送りこまれる。武家は幕府御家人として、もしくは京都の公家との関係を結び武芸を持って在地支配に参画する。

 

それぞれが中央とのパイプを持ち、総体として地域社会に対峙していた。比喩的に『地域社会の権門体制』ということもできるのではないだろうか。」204-205頁

 

 

 

 

「国取り」や「国替え」が盛んだったのは江戸初期までだが、どこでも武士団は多かれ少なかれ、外からやってきた、あるいは地域の外とつながった在地の支配集団という性格を維持していたのではないだろうか。

 

それが、明治政府によってより中央集権的に改変され、支配集団としての国家権力が、直接住民に対峙する体制となった。

 

私はかつて国立大学の教員だった。キャンパスはたしかに地域の中にあり、地域の大学をうたってもいるのだが、どこか国家の天下り組織という印象があった。今でも各地の役所は、首長をはじめ職員のほとんどが地元民であるにもかかわらず、「お上」というイメージが消えない。警察署や郵便局も同様である。

 

これを望ましくないことと考える人も多い。ただ、人が国家という包括的な支配体制をつくっている以上、この種の「外からの地域支配」という性格をゼロにすることは難しいだろう。

 

武士は、武力を独占する集団を形成し、その「外部性」を力の資源として、それぞれの地域を政治的に支配した。武士団は、耕地や山林の開発を管理し、地域のインフラを整備し、寺社と提携して意識形態を束ね、地域の安全を確保し、地域のプライドを代表する上部構造でもあった。

 

 

 

...

 

 

 

 

本書のエッセンスは、次の文に表れているように思う。

 

 

 

「武士と軍事は切っても切れない関係にあることは間違いない。しかし、武士という存在を軍事のみで考えようとしたことはなかったであろうか。地方の農村に生まれた武士が巨大な領主に成長していく姿を、軍事的サクセス・ストーリーとして理解しようとしてはいなかっただろうか。この推測が的を射ているならば、その背後には近代国家が理想とした兵士の姿を思い浮かべることもできるように感じる。」(198頁。太字は引用者)

 

 

 

近代以降の「日本史」イメージにおける「武士」には、狡知と武力で世界に成り上がっていこうとした明治国家の理想が、無意識のうちに読み込まれていたのかもしれない。しかも、近代世界にあっては、「武士」という限定された社会集団を再興するのではなく、社会の雑多な構成員を巻き込んだ国民軍を編成しなければならなかったから、歴史上の「武士」のイメージは、常に「忠君」と結び付いていなければ危険であった。

 

中世初期の「武士」は、戦国時代のように戦闘を主とするというより、勃興する生産力を束ね、「安穏」を願う社会の意識形態を先導する地域的権力集団であった。そうとらえる方が、歴史の見通しは良くなるような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 09:14 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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