ごきげんようチャンネル

Life is for those who have a hope.

Action is of those who embrace a yearning.

History is made by life and action, hope and yearning.


”I” とは、<言語世界の話し手>という概念を表す音声・文字

”I” とは「自分」のことを指す代名詞だと思っている人が多いかもしれない。

 

じつは、”I” とは話者が「話し手」という概念を表現する音声・文字であって、現実の話者(自分)とは限らない。

 

次のような文を見ると、このことがわかりやすくなる。

 

 

 

He said, "I'm tired."

 

 

 

ここで、 " " のなかの”I” は、he のことであって、現実の話者ではない。

 

こういう言い方が可能なのは、言語の世界では、”I” はたんに「話し手」という一般的概念を表す語だからである。言語は、概念が規範となる観念の世界であって、現実とは別の次元にある。

 

とはいえ、こういう文はやや特殊であり、日常的表現では、 ”I” という概念が指す対象はたいてい現実の話し手自身である。だから、”I” とは話し手自身(自分)のことだと思っても無理はない。経験上、”I” という概念と現実の話し手(自分)は、いわば癒着しているのである。

 

 

 

”I” という概念から、現実の「自分」をいったん剥がし取ってみよう。

 

 

たとえば、過去の自分について語るときの ”I” は、今現実の”I” ではない。

 

俳優がセリフで ”I” と言うとき、それは役=概念としての”I” であって、俳優自身の”I”ではない。

 

 

このように考えると、ほんらい概念としての”I” は、現実の私個人を超えて、「話し手」という一般的概念であることがわかる。"you" や "he" と同様、”I” は言語世界の一概念にすぎないのである。

 

このことがわかると、「人称」の意味もわかる。

 

 

第一人称 ”I” とは、言語世界での「話し手」一般のことであり、第二人称 "you"とは、言語世界での「聞き手」一般のことであり、「第三人称」とは、言語世界で話し手でも聞き手でもない存在一般のことである。

 

 

これら三つの人称は社会的に確立した概念であり、この概念を用いて、肉体をもつ個々の話し手が、自分の個人的な認識を物質化する(音声・文字にする)。こうして生まれたものが、言語である。この言語に込められた<概念+認識>が、個々の聞き手にとって<意味>となって伝わる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
話し手はそこにいるか?  hereとthere、thisとthat、nowとthenの違い

weとthey、thisとthat、theseとthose、hereとthere、nowとthen。

 

これらの違いは、案外と説明しにくい。

 

ポイントは、これらは話し手と対象とのあいだの個人的かつ一時的な関係をいう社会的概念だということである。一般の文法書では、これを「代名詞」と呼んでいる。

 

英語の代名詞は、人、物、場所、時に 、<話し手が入っているかどうか>によって言い分ける。

 

 

 

we は、話し手が入っている「人々」である。

 

 

We don't carry this type of tire. (当店ではこのタイプのタイヤは扱っておりません)

 

 

 

これが they なら、お客さんが言っている文になる。

 

 

 

They don't carry this type of tire. (あの店では、このタイプのタイヤは扱ってない)

 

 

 

同様に、話し手がいる場所、物、時は here, this, these, now であり、話し手がいない場所、物、時は there, that, those, then である。

 

 

 

My car is here. (there なら話し手がいない場所)

 

Look at this picture. (that picture なら、話し手がいない場所の picture)

 

She doesn't smoke much these days. (話し手がいるdays →「このごろ」。those days なら、話し手がいない「そのころ」)

 

 

 

 

最後に、now とthen。

 

 

△ He was busy now.

 

 

は、「今や彼は多忙であった」のような、やや特別な語感があり、

 

 

○ He is busy now. 

 

 

の方が普通な感じがする。

 

これは、now とは、話し手がいる時=「現在」を表すので、現在形と同居するのが普通だからである。

 

 

これが、

 

 

○ He was busy then.

 

 

ならおかしくない。話し手がいない「過去」は、 then で表すからである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
概念は認識を通して実在する

言語学の本などに、「この言葉(概念)は○○を指す」という表現が出てくることがある。

 

これは、言葉がこの世に物質として現存するものごとを「指す」かのように聞こえやすい。だが、そうとは限らない。過去や未来のものごとは現存しないが、概念で「指す」ことができる。「指す」とは、個人の認識の対象に、概念が内容を与えることである。

 

「明智光秀」は、物質としては現存しないが、心内の認識にとって実在する人物を「指し」ている。実在とは、心にとってそれが存在するとみなせるものである。「明智光秀」という概念は、個人の心が認識するとき、その個人にとって実在している。

 

 

「心にとって存在するもの」など、あやふやで、「実在」の名に値しないと思うかもしれない。

 

 

しかし、「明智光秀」も「人を殺してはならない」という約束(概念)も、物質としては現存しなくても、私と相手に認識されれば、私と相手にとって実在する。概念の実在を否認すれば、非社会的な人間とみなされ、軽蔑や制裁の対象になりかねない。概念は「実在」の名に値する。

 

認識は、生きている個人の心内に存在するのだから、概念は、認識を通して物質的に現存する身体にのみ存在する(唯物論)。ただ、概念は多くの人間に共有されているから、ある個人が滅びても、概念じたいはその後も実在できる(これも唯物論)。

 

歴史も物理学も神も、概念である。物質的に現存する人々が概念を媒介として認識を共有することによって、歴史も物理学も神も実在してきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秋の空。この雲は物理的にはもはや現存しない。しかし、この画像イメージを認識する人々にとっては、心内の実在である。

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 22:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
赤ちゃん命名法 日本とアメリカの共通点

昔アメリカにいたころに買った、

Lareina Rule, Name Your Baby, Bantam Books 

 

という新書サイズの本が手元にある。

赤ちゃんを命名するための本だが、初版が1963年、私がもっているのは1980年版で、250万部を超えるベストセラー、6500以上の名前を載せたという宣伝文句が表紙に書いてある。アメリカではけっこう知られた本なのだろう。

前半に女の子の名前、後半に男の子の名前がアルファベット順にズラリと並んでおり、それぞれの名前の原意や有名人の例が書いてあって、なかなかおもしろい。

本書のまえがきをみると、次のような<命名のさいの注意>が書いてある。日本人の命名にも通用しそうなことが含まれているので、メモしてみる。25頁。

 

 


・名前は子どもへの大事な贈り物。耳に心地よい名前を選びましょう。

・姓が短い場合、ファーストネームまで短くするとぶっきらぼうに聞こえたり軽い名前に聞こえるので注意しましょう。姓が長いときはファーストネームを長くし、姓が短いときはファーストネームを長くするとバランスがよくなります。

・人口が多く人種も多彩なアメリカでは、個人を特定するのにミドルネームが有効です。名前を考えるときはイニシャルがどうなるかも忘れずに。場合によってはまずい組合せになりかねませんから。

・調査によると、自分の名前が嫌いな人は自分自身を嫌っている傾向があります。妙な名前をつけると子どもは友達をつくるのに苦労します。もしも子どもが自分の名前を言うのをいやがったら要注意です。

・Martin Newcomb とか Ralph Forbes のように、姓とファーストネームの発音がかぶる名前は聞き取りにくいので避けましょう。

・女の子に男の子のような名前をつけるのはよくありません。その逆も同じです。本人がたいへんな迷惑をこうむるだけでなく、結局はあなたにも影響が及びます。

・名前はあなたの家系の出身地や宗教をあらわすものでもありますが、今日のアメリカではそういうことにこだわらない人も増えています。

 

 


 

 


ところで、この本に興味ある冠詞の使用例がある。1頁。

 



THE ARIES CHILD

The birthstone is the diamond
The flower is the daisy.
The color is deep red.

 


牡羊座の赤ちゃんの説明だが、theがずいぶん出てくる。

なぜこんなにたくさんのthe が出てくるのか。うまく説明できる人、いるかな?

 

 

 

 

 

 

 

 








 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
そう言う理由は認識、そう認識する原因は概念 

理由とは、「物事をそう判断した根拠」、原因とは、「物事を引き起こす元になること」と説明した辞書がある(デジタル大辞泉)。

 

理由は主観的な根拠、原因は客観的な根拠ということであろう。

 

言語には、理由と原因の両面がある。そのように表現する理由は個人的な認識によるが、そう認識する原因は社会的な概念によっている。

 

母語では、認識と概念が癒着しているため、認識と概念という言語の両面性に気づきにくい。

 

 

 

外国語の学習のためには、概念と認識をいったん区別してから、両者を融合させる練習が有効である。

 

すなわち、

 

 

その語や語順が表す概念を理解する。

 

 その概念を表現するための規範(音声・文字)を習得する。

 

こうして身につけた<概念+表現規範>にのっとって、自分の認識を表現する練習をする。

 

 

 

このプロセスを、無意識にできるまで繰り返せば良い。読解と聞き取りは、このプロセスを逆にたどる練習である。

 

大人は、 と を母語の概念と表現規範で代用してしまいやすい。

 

そして と がうまく習得できていないと、でも母語による認識(たとえば和訳)に頼ってしまい、結局いつまでたっても外国語に自信が持てないことになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ ”the flu” というのか 「theで言う病気」考

英語で、病気の名前にtheをつけるケースには、三つある。

 



仝貳に-sがついた名前。発症から回復まで、症状にいくつもの特徴的な変化があることを、-s で表現している。そういう名前には、「何かと起伏はあるが、全体で一回の、あの病気」というために the をつける。「一回分」の意味なら単数扱いだが、「何回もの」という意味でいうなら、複数扱いもありうる。
 

例・the hives(じんましん), the hiccups(しゃっくり), the bends(潜函病), the blues(気鬱), the shakes(悪寒)

 

 


 流行病なので、その時点での「あの病気」という特定意識がもてる名前。症状が複雑で、,-sをもったものも多い。

 

例・the mumps(おたふく風邪), the measles(はしか), the sniffles(流行中の鼻風邪), the flu(インフルエンザ), the chikenbox(水ぼうそう)

 

 


J数の-sでも流行病でもなく、「ほら、例のあの病気」という特定意識がもてる名前。例・the pox(梅毒), the clap(淋病)

 

 

 

 



以上は、樋口昌幸『例解 現代英語冠詞事典』大修館書店、2003年、259ー260、272頁を参考にした。
 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ "It's me." というのか ”It's I.” と言わない理由

英語には、

 

 

It's me. Shinzo! (僕だよ、晋三だよ。ドアの外から名のるときなど)

 

 

His wife is taller than him. (彼より奥さんのほうが背が高い)

 

 

 

のように、主格(I, he)になりそうなところを目的格(me, him)にする表現がある。

 

フランス語の強調形の影響だとか(C'est moi. 私だよ)、動詞や前置詞の後ろなので、類推で目的格にするようになったといった説があるが(江川泰一郎『代名詞』1955年、13頁)、これらは由来の推測であって、文法的解明ではない。

 

 

実は、これらは「一語文」と呼ばれる表現の一種である。

 

一語しかないのに、立派に独立した文になっているものを一語文といい、「はい」「いいえ」のように認識した内容じたいは表現されず話し手の判断だけが示される場合と、「やった!」「火事!」のように認識内容の一部が表現される場合がある。

 

英語の目的格表現は、認識内容の一部が表現される場合にあたる。

 

上記の文だと、 "I am here. " とか"he is (tall)." のような認識を、"me"  や "him" の一語で表しているのである。文相当の一語であって、単なる主格ではないことを示すために、目的格で表現する慣習ができたと考えられる。

 

 

 

 

 

Most people my age are ready to retire, but not me and my band. (Mick Jagger)

 

 

 

(私の年令になるとたいていの人が引退を考えますが、私と私のバンドは違います。ミック・ジャガー。not me and my band = I am not ready to retire. And my band are not, either.)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
will の概念は「話し手の確信」 田中茂範『表現英文法』から考える

英語教育論、英語文法論で知られる田中茂範氏(慶應大学教授)の本を見ていたら、will について、氏の説明が進化していることに気がついた。

 

 

2008年の本では、

 

 

「willは現在の意志・推量を表す」

 

 

となっていた(田中茂範『文法がわかれば英語はわかる!』NHK出版、2008年、34頁)。この説明だと、「意志・推量」が誰によるものなのかがはっきりしない。

 

 

ところが、2013年の本では、

 

 

「will は発話時における話者の『意志』か『推量』を表す」

 

 

となっている(田中茂範『表現英文法』コスモピア、2013年、280頁。太字は引用者)。will は主語の意志や推量ではなく、話者の意志や推量を表す、と明記されたわけである。

 

 

しかし、will について、その他の説明部分には大きな変化がないように見えるし、そこに問題が残っていると思う。

 

 

 

どちらの本も、will が表すのは「意志か推量」であるといい、意志の他になぜ推量の意味もあるかが、かなり丁寧に説明してある。だが、氏の説明を読んでも、意志と推量の違いがピンとこない。

 

 

If it rains tomorrow, I'll stay at home. のように、条件のif 節ではwill を使わないが、その理由についての氏の説明は、どちらの本でもよく理解できない。

 

 

「時・条件などを表す節の中には、推量の余地のない確定的な内容が含まれるため、推量の意味合いがあるwill は使えない」(『文法がわかれば...』2008年、前掲、35頁)

 

「条件のif 節では推量を含まない内容(条件)を語るため、『推量』のwill は使わない」(『表現英文法』2013年、前掲、282頁)

 

 

氏が言いたいことは、if が表す条件は客観的で、will が表す推量は主観的だから、両者は同居できないということなのかもしれないが、そういう理解でいいのか、この説明ではよくわからない。

 

 

 

 

上記の ↓△箸癲∪睫世曖昧な感じがする原因は、共通していると思う。

 

 

その原因とは、文の中で、 will が表す認識上の機能、意味を分類しようとする発想が先立ってしまい、will が本来どのような概念であるかを解明しようという意識が薄いからである。

  

概念は、話し手の具体的な認識とは別次元の、対象の抽象的な本質についての観念であり、認識にとっての規範である。概念は、それぞれ単一の実体として概念の世界にあり、他の概念と関係を結びながら存在している。will の場合なら、may, can, must などと共に、ひとつの群れを作っている。

 

物質的な現実のなかにいる個々の話し手は、自分の具体的な認識を、概念を使って表現する。その結果として、ひとつの概念から複数の「意味」が発生するのである。

 

このことは、以下のような三層でイメージすると良いかもしれない。

 

 

 

 

物質的現実  ー  個人が作る認識  ー  社会が共有している概念

 

 

 

 

話し手の直接の表現対象は、話し手の体内の個人的認識であって、体外の物質的現実ではない。このことは、認知文法の浸透などでかなり理解されるようになった。問題は、個人的認識と社会的概念の区別と関係が、まだあまり理解されていないことである。

 

個々の例文は、社会的概念をもとにした個人的認識の表現である。こうした個々の例文がもつ「意味」を分類することが、そのまま社会的概念の解明になるのではない。will の概念は、個々の例文(認識例)や他の関連概念を参照しながら、研究者が言語によって独自に言い表す必要がある。

 

will の概念は、「話し手の確信」である。この概念は、will の例文や、may, can, must など、話者の判断の揺れを表す同類の概念との対比において定めることができる。この単一の概念から、個々の認識においては、意志とか推量といったいくつもの「意味」が派生してくる。

 

 

氏の『表現英文法』(2013年)の will の項には、「will が表す4つの意味」という相関図が掲載されている。図の中心にある will から、「意味の表明」「推量」...といった四つの「意味」が 放射状に派生している様子が描いてある。281頁。

 

ところが、四つの「意味」の中心にある "will" のところには、何も書かれていない。このことが、本書の弱点を象徴している。そこにwillの概念として、「話し手の確信」と書きこめばよかったのである。この本にあげてある、いくつもの will の例文は、「話し手の確信」という概念をもとにした話者の認識の表れとして、どれも説明できる。

 

 


 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
自己紹介に "I am Taro. " は、なぜおかしいか

太郎さんが自己紹介して、

 

 

 "I am Taro."

 

 

といったらおかしいだろうかと、在米20年の人に質問してみた。すると、「不自然な感じがする」とのこと。

 

 

 

" I'm Taro."

 

 

 

なら自然な感じだという。理由はわからないとのことだが、これは面白い現象だ。"I am... " というのは、「我こそは...」みたいに、気張って聞こえるのだろう。

 

 

 

そのこともあわせて、自己紹介しながら相手の名前を聞くための黄金パターンは、こうなる。

 

 

 

 

"I'm Taro, Taro Yamada.  And you are....?"

 

 

 

 

"I am" ではなく、手早く "I'm"。 相手に呼んでほしい自分の名前で、”I'm Taro"  そしてもう一度、自分のフルネーム。こうして、自分の呼び名を二回言って、覚えやすくしてあげる。

 

つづけて、"and you are...?"  と言うと、相手は自分の名前を、"Hanako, Hanako Itoh."  のように返してくる。このとき、”You're” ではなく、”You are...?” と、丁寧に尋ねる。

 

相手の名前が覚えにくい、聞き取りにくいときは、"How do you spell it? " などと聞いて、確認する。

 

 

この要領を覚えておけば、自己紹介はたいてい大丈夫だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

           朝の月

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
コロンは「すなわち」、セミコロンは「ところが」 使い分け方のメモ

コロン:とセミコロン;をどう使い分けるか。

これはわかりにくいし、説明もあまり見かけないのでメモしておく。



■colon(コロン)[:]は、「すなわち」(that is, namely)という感じで、同じ対象について違う言い方をしたいときに使う。

 

同じことを短くいいかえるだけなので、コロンはピリオドで代用することはできない。

 

たとえば、



He lived for only one thing: money.

 

これを

 

He lived for only one thing. Money.

 

では意味をなさない。



同様の原則で、次のような用例も理解できる。



Mary: I failed in the exam.
Bob: Sorry to hear that.   (セリフの前)
 


Ladies and gentlemen: (あいさつの冒頭)
 


Dear Sirs:  (手紙の冒頭)
 


他に



The clock showed 8:15 AM.  (時間と分。「八時なのだが、詳しくいうとその15分」)
 

 

 

 



■semicolon(セミコロン)[;]は、あることを言ったあと、別のことについて、「それに対してこちらは…」という意味で対称させるときにつかう。

 

We are never deceived; we deceive ourselves. (Goethe)  「われわれはけっして騙されるのではない。みずからをあざむくだけだ」(ゲーテ)… 強く前後を対称させながらつなげている。

 

 

セミコロンは、互いに独立した内容をつなげるものなので、ピリオドにして、別の文にすることもできる。

 

 

She liked him; he was kind to her; he was rich. (ピリオドにするとニュアンスは変わるが、意味は通じる)

 

 

セミコロンの重要な用法は、consequently,  furthemore, nevertheless, however, also, besides, moreover, otherwise, hence, then, thus のような「接続副詞」の前に置いて、前後を切断しつつ接続する書き方である。

 


He graduated; however, he was unable to get any job. 
 

 

 

 

 

 


簡単には、: (コロン)は「すなわち」(=)、;(セミコロン)は「ところが」(⇔)と覚えておくといい。また、コロンのほうが使用頻度が高く、セミコロンはそうしょっちゅう使われるわけではないことも、覚えておくと役立つだろう。
 

なお、タイピングでは、コロンもセミコロンも、その後を 1スペースあける決まりになっている。

 

 

 


(以上、原田敬一『英語句読法の知識と使い方』南雲堂、1985年、41-48頁を参考にした)

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 



 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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