ごきげんようチャンネル

鳥倦飛而知還 鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る


陶淵明・歸去來兮辭


仕組みがわからないと練習できないものもある

仕組みが分かっていなくても、使えるものはたくさんある。

 

車も、スマホも。歩行でさえ、われわれはその仕組みを知らないで使っている。母語もそうである。人体も、自然も、人生もそうだ。

 

 

 

だが、仕組みが分からなければ使う練習もできず、けっきょく使えないものもある。

 

外国語は、<仕組みが分からなければ練習もできない>ものに入る。

 

仕組みが分からなくても、使う練習をするだけでひとつの言語が覚えられるのは、10歳前後までだろうと言われている。そのあとは、仕組みが分からないと練習もできなくなっていく。

 

10歳くらいから自意識が高まり、母語による思考の概念化がすすむ。つまり言語がしっかり体系化されてくる。すると大人は、別の概念体系である外国語に対しても、仕組みを理解して概念的に対応しようとする。

 

外国語は、仕組みが分からなければ練習さえできない。大人は、そう思ったほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
現在完了は、終了 be ~en と未了 be ~ing を止揚した保持 have -en の概念

何年か前、名古屋で中学校の英語教師の勉強会を傍聴したときのこと。

 

指導者の一人の白髪の老人が、すっくと立ち上がって、こういう発言をした。

 

 

「私は、英語を話すとき、現在完了を使ったことがありません。私には現在完了というものがよくわからない。わからないものは使わない。それが誠実な態度だと思うからです」

 

 

この人は、記号論の本を出したことのある元大学教員で、その人が、「現在完了がわからない」と宣言したことが印象に残った。

 

 

...

 

 

たしかに、現在完了は英語のなかでも理解のむずかしいもののひとつといえる。なんとなく使えなくもないが、それがどういう概念であるか、きちんと説明するのは案外とむずかしい。

 

文法を考えるときは、関連する概念と対比していくのが有効である。現在完了 have -en と対比すべき表現とはなにか。

 

それは、 be ~ing と、be ~en である。ここでは、~ing を「未了」、~en を「終了」と呼ぶことにすると、現在完了とは、

 

 

<終了した動き ~en を、今も保持 have している>

 

 

という概念である。

 

 

つまり現在完了とは、<現在における過去の保持>、つまり<終了したが未了>という矛盾した概念である。

 

 

 

...

 

 

 

保持 have -en は、終了したものが未了である(今も have している)という矛盾が心の世界では実現することを、敏感にとらえた概念である。

 

「矛盾の実現」というとむずかしそうだが、これは誰でも理解できる心の働きである。

 

 

 

失恋したのはしばらく前だが(終了)、心の傷は今も残っている(未了)。

 

これまでパリに三回行き(終了)、その記憶がある(未了)。

 

彼はさっき部屋に入ってきたが(終了)、その余韻は今も感じられる(未了)。

 

 

 

<終了した動き -en を、今も心に保持 have している>

 

 

 

この矛盾した概念を理解し、場面に応じて使う練習をすれば、現在完了は大丈夫、使えるようになる。

 

なお、ここでいう「終了」は、現実に起こったことである必要はない。言語は直接には心(観念)の表現であるから、心のなかの空想でも、現在完了の表現は成立する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
抽象名詞はなぜ無冠詞か

以前、CBS の番組でグーグルの幹部が、

 

 

"Innovation never comes from the established institutions."

 

 

と述べていた。  

 

 

http://www.cbsnews.com/video/watch/?id=50154136n

 

 

 

私はこの言葉が好きだが、この文は、冒頭の innovation には冠詞がなく、終わりの established institution には -s と the がある。それはなぜだろう。

 

 

 

 

私は、英語の冠詞を、感覚や意味ではなく、社会的に共有された冠詞の概念と、名詞についての話し手の具体的な認識との関係において説明する方法を考えてきた。

 

冠詞を理解しようとするとき、ヒントになるのは、<なぜ、名詞以外のものには冠詞をつかわないか?> というベーシックな疑問である。

 

つまり、<名詞以外のもの、たとえば動詞や形容詞や副詞や前置詞、接続詞が、冠詞と無縁なのはなぜか>ということだ。

 

それは、ひとくちに言うと<定形性>の有無ということだと思う。

 

名詞には定形性(構造性、反復性、分類性)が認識しやすいが、他のものにはそれが乏しいというのが、英語を支える基本感覚のひとつである。

 

定形性が認識しにくい概念の代表は、動詞や形容詞である。学校文法でいう「抽象名詞」とは、動詞由来や形容詞由来の名詞のことであり、抽象名詞が 冠詞の a や -s をとりにくいのは、それらがもともと動態→動詞や状態→形容詞という、不定形な概念だからである。

 

 

 

 

冒頭の英文の innovation に冠詞がないのは、それが innovate するという動詞由来の抽象名詞であり、概念として定形性に乏しいからである。innovation とは、この世の不特定の人々が、任意の場所や時間で行なっている多種無数の行為がもつ共通の特徴を名詞にしたものである。innovation に「定形性が乏しい」というのは、「革新」という抽象的な特徴をもつ多種無数の行為には、定まった「かたち」がイメージできない、ということである。

 

文の末尾の institution も、動詞 institute に由来する -tion 型の抽象名詞である。だがここでは、「組織」という定形性(構造性。たとえば上下関係)を認識して述べているので、複数-s になっている。

 

最後に、established institutions に the があるのはなぜか。

 

established なものがあるなら、そこには unestablished なものもあるはずである。established institutions と unestablished institutionsの二つがペアになって、institutions の全体を構成している。全体で二つあるもののうち、話し手は、established のほうを選んだ。表現場(概念が組み合わされる心内の場)の枠(institutions)における、このほとんど無意識の選択の軌跡が、the という「特定性」の表現となってあらわれたのである。

 

 


英語の話し手は、冠詞のような社会的概念をつかいながら、自分の個人的な認識を音声・文字で表現している。

 

こうした概念と認識のからみあいを、英語ネイティブがいちいち意識しているわけではない。それはちょうど、車を運転する人が、車の仕組みをいつも意識しているわけではないのと同様である。むしろ、自分が使っているスグレものの仕組みを意識せず、無意識に使えることほど効率のいいものはない。

 

 

 

えらく理屈っぽい説明になったが、言語がつくる世界は、このように理屈で説明できるし、その理屈が面白い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語は、希望を分かちあい歴史をつくるための表現体である

言語は、人間が社会を作り、認識を交換しあうことで洗練されてきた、希望を分かちあうための表現体である。

 

歴史の推進力は希望である。

 

希望を表現する意識形態が、土台と上部構造の矛盾の展開を先導する規範となってきた。

 

そして人間が希望を持てるのは、言語による観念世界があるからである。観念は、物質的制約を超える夢である。

 

言語によって希望をもった人間の行為によって、歴史がつくられる。

 

言語と歴史の交点には、希望という人間の本性がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
お試し・ひとコマレクチャー 「言語はモンブランである」

写真なので画像に問題があるが、試しに、パワーポイントでつくったスライドをアップしてみた。どうもPDFなどはアップできないらしい。

 

言語の仕組みは、商品づくりの仕組みと同じなので、「モンブラン」という商品がもつ属性と、「モンブラン」という音声・文字がもっている要素は対応関係にある。

 

<言語は、モンブランのケーキみたいなものです>というメッセージ(のつもり)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<ちょっと説明>

 

 

「モンブランといえば、こういうものだ」という概念を規範にして、ケーキ屋さんはモンブランを作る。意欲的なケーキ屋さんは、「これがモンブラン?!」と客に言わせるような商品をつくって、モンブランの概念を革新する。

 

いくら「モンブラン」という概念があっても、材料(話し手の認識)と、それを調理する身体(話し手)がなければ、実際のモンブラン(「モンブラン」という音声・文字)は作れない。

 

材料(話し手の認識)と調理人(話し手)の技量が優れていれば、おいしい味(一般的意味)がでる。一般的には高く評価されていても、その味が好きではない人もいる(個別的意味)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 08:24 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
スポーツも言語も、ルールを理解し、運動能力を鍛える

スポーツなら、ルールとやり方は、見てわかりやすい。

 

しかし言語は音声・文字という微細な身体運動なので、見ただけではルールややり方がわかりにくい。

 

そういう違いはあるが、スポーツも言語も、ルール(概念)にもとづいて自分の認識を身体で表現するところは共通である。

 

 

だから、外国語上達のためにするべきことは、スポーツと同様、三つにしぼられる。

 

 

 

まず、ルール(概念)を理解すること

 

そして、そのルールにもとづいて自分の認識を表現する身体運動を練習すること

 

,鉢△鬚佞泙┐董∋邱腓両貎瑤鯑Г爐海

 

 

 

この三つが王道である。

 

英語を習得するために「英文和訳」に頼るのは、サッカーを覚えようというのに、いちいち自分の得意な野球の身体運動に「翻訳」して、自分で納得しているようなものである。

 

自分で納得するのは結構なことだが、野球の運動をしても、それはサッカーではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
和文英訳にも欠陥がある

和文英訳は、日本語を英語にするのだから、英語を習得する高度な方法だと思う人もいるだろう。

 

これは間違いではない。だが、和文英訳という方法にも欠点がある。

 

それは、英語の出発点が日本語になってしまうことである。

 

和文英訳的な思考回路を強調しすぎると、英語で表現する前にまず日本語が浮かんでしまい、それを英語にするという、「一人通訳」のようなクセがつく可能性がある。

 

 

 

ならばどうすればいいかというと、英語をやるなら、自分が使える英文を増やすことに徹するのである。

 

それがどういう意味の英文であるかは、辞書を引き、日本語で理解すればよい。意味が理解できたら、訳さなくても英文記憶のための練習はできるはずである。記憶のとき、英語のつづりを正確に覚え、英語として発音できるように気をつける。

 

こうして、英語を英語として言える内容を増やしていく。英語習得の王道は、ただこれだけである。

 

 

 

日本語を英語に変換する練習(和文英訳)は、ことさら排除する必要もないが、英語習得に必須というものでもない。

 

英語を日本語に変換する練習(英文和訳)も、それをやらなければ英語ができるようにならないというものではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
なぜ「英文和訳」しても英語は習得できないか

「ひたすら英文和訳を続ければ英語ができるようになる」と思っている人がときどきいる。

 

これは勘違いであるが、それが勘違いである理由を説明するのは、案外むずかしい。

 

そこで、こういう簡単な図を作ってみた。

 

 

 

 

 

   和文     日本語人

 

   ↑

   〜

   ↑

 

   英文     英語人

 

 

 

 

 

左側の、「英文」から「和文」へと上向する縦のラインが、「英文和訳」を表す。英文を和訳すると、それがわかるのは日本語がわかる日本語人だけである(→ の横ライン)。

 

他方、ほんらい英語人とは、日本語などを介さずに英文がわかり、英文がつくれる人のことである( のライン)。

 

これでおわかりだろうか。

 

和訳とは、日本語人同士でわかるように英語を変換しているだけであって、それは英語人になるルートとはちがっている。

 

英語がわかる、わかってもらえるというのは、英語が英語としてわかり、話せる英語人になること、つまり 図の  のラインを、自分の中に養成するということである。それは、英文和訳のルートとは直接関係がない。

 

しかも、英文と和文の間には、図の 〜 で示したように、埋められないギャップがある。冠詞や前置詞がその例である。英文を和訳するには、冠詞や前置詞のような英語の根幹部分を無視したり、場当たり的に日本語に変換せざるを得ないことが多い。だから英文和訳に精進しても、英語が英語でわかる英語人になれる保証はない。

 

逆に、日本語人が和文を英文にする訓練すなわち「和文英訳」もある。これは高度なやり方だが、図からわかるように、これも英語が英語としてできるルート( のライン)から見れば、遠回りで筋違いである。

 

つまり、もっぱら日本語を英語にあてはめて「英文和訳」したり「和文英訳」したりするだけだと、日本語人のままで終わる可能性が高い。

 

 

 

では、日本語を介さず、英語を英語としてわかり、言えるようになるにはどうしたらいいか。

 

それは、英語の概念を直接つかみ、その概念にもとづく自分の認識を英語の声で言えるようにすることである。英語の概念をつかむためには、英和辞典などを使えば良いし、日本語人にはそれは必然でもある。英語の概念を日本語で理解できたら、その概念をつかった自分の認識を英語の声で表現すれば良い。そのように練習していれば、和訳は必要ない。

 

たとえば、サッカーのルール(概念)には特定の音も形もない。だから何語で説明してもサッカーのルール(概念)は理解できるし、そのルールに基づく身体運動は誰でも練習できる。ルールを理解したのが何語であろうと、サッカーの身体運動ができるようになれば、それがサッカーができるということである。

 

この身体運動の原理を使えば、辞書や文法の説明では日本語を活用し、しかも英文和訳・和文英訳を介さずに英語の世界に入っていける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英文和訳は、日本人どうしでわかっているだけ

英文和訳が英語習得の王道だという思い込みは、今も根強いようだ。

 

「和訳のほかにどんな方法があるの?」と思う人もいるかもしれない。

 

 

 

ここでは、一言だけ記しておきたい。

 

英文を和訳したものは、誰がわかるのか?

 

和訳したものがわかるのは、自分を含む日本人だけである。

 

ところが、英語がわかる、わかってもらえる、つまり「英語ができる」というのは、普通、日本語がわからない人とのあいだでのことである。

 

 

 

これだけでも、「英文和訳ができることが、英語ができるということだ」というのは、筋違いの思い込みであることがわかる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
あらゆる文字は、手話である

観念たる自己が身体たる自分を制御して、手を動かし、表面をこすっている。

 

その軌跡の残影(石川九楊氏の「筆蝕」)が、文字。

 

ならば文字言語は、手話である。

 

筆で描く絵画も、手話である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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