ごきげんようチャンネル



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音楽の三角錐の発見 おわり
日常動作(広義の労働)、話し言葉、そして歴史。

音楽はこうした具体的な地盤の上にそれぞれ特徴のある花を咲かせる。

四つが切り離せない関係にあることはなんとなくわかる。しかしその具体的な関係を論じるには知識と集中力が必要だ。

本書は西洋音楽と日本音楽を頂点に、底面にそれぞれの労働・言語・歴史の三角形をもつ二つの三角錐として具体的に描いてみせた。

日本と西洋という地理的に遠いものを直接比較することのある種の無理、そして比較という思考が過剰な対比的結論を招きやすいこと。

そういう危うさはあるにしても、本書がひとつの思考モデルを提供してくれているという意義は残る。

つけくわえるとすれば、音楽を規定する実体のなかに「憧れ」を加えるべきなのかもしれない。

自然や人間や社会の理想的な姿のイメージは美意識を先導する。たとえば宗教や学問や美術や建築がどういう世界観を描いているか、その相違は音楽の方向を左右する。いわば「憧れ」がもつ実体性である。

もうひとつは変化への視点を導入すべきことである。日常動作も言葉も伝承も変化している。音楽は変化をとらえ、ときに変化を先導するものでもあろう。

「憧れ」にせよ「変化」にせよ、過去ではなく未来を見て音楽が作られるという面があるはずだが、それが本書からは見えにくい。

ところで、著者が提示した三角錐をコロリと転がしてみたらどうだろう。

たとえばコロリと転がして言語を頂点にすれば、労働と音楽と歴史がつくる三角形が底面にくる。言語は労働と音楽と歴史に支えられながら発展していくことになる。

この三角錐の中央に内と外、本と草、公と民といった矛盾するものどうしの交流と対決というダイナミズムがあり、これを原動力として三角錐が「憧れ」に向かってコロリコロリと転びながら変化していく。

そういうイメージが浮かんでくる。









(おわり)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
音楽の三角錐の発見 その5
音楽の基盤の三つめは伝統ないし伝承(歴史)である。

日本の芸は師匠と差し向かいになり、弟子が「体当たり」で真似ていく。体験が先であり教科書はその補足にすぎない。178頁。

修行の論理性(なぜこうするか、なぜこの順か等)は不明瞭のまま、弟子の「我」が否定され「素直」が褒め言葉になる。

これに対して西洋では体系的な論理が構築され、そのうえに確立する「自我」すなわち個性が重視された。孤独のなかで空間構成の美だけを追求しようとしたセザンヌのような画家は、こういう下地から生まれた。181頁。

こうした結果、日本では芸が「集約的」になり、西洋では分散的になる。192頁。

西洋音楽にとっての「歴史」が論理的な「伝統」ならば、日本の音楽の「歴史」はむしろ身体的な「伝承」と呼ぶべきものである。193頁。

以前に東儀秀樹さんの講演を聞いたとき、「自分は幼少期を越えてから雅楽の世界に入ったが、雅楽を先輩から手伝えに教えられるうちに『これなら千年経ってもまったく変わらなかったはずだ』と実感した」と語っていた。

音楽を支える歴史が、伝統というより伝承という形式をとったことが日本の音楽を「集約的」にした。










(つづく)











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音楽の三角錐の発見 その4
人間の言語が五度関係を基軸にした「調的な法則」をもつとして、それではなぜ西洋音楽は七度の音階をもつのか。

これは言葉のあり方だけでは導きだせない難問であり、著者にとっても長い間の疑問であった。120、122頁。

そして著者は西洋音楽がある不動点を基準とする「合唱」(ポリフォニー)に起源をもつことに思い当たる。

「ヨーロッパの音楽は、本来合唱の世界に属していた。教会という祈りの場所で始まったこの音楽は、言葉の音階がどうあれ、アーメンやキリエの交叉する響きを、おのずから彼らの祈りにふさわしく七つの音に要約していったに相違ない。」122頁。

これに対して日本をはじめとする多くの民族音楽は「合唱」というよりめいめいが自分の音程によって「並行線をたどる」もので、全体の調和は音程よりも「声色」の重ねあわせによって実現していた。123頁。

西洋音楽の七音階について、この説明がどれほど正しいのか私にはわからない。

しかしここで面白いのは、<言語→音階>という無媒介的な説明だけでなく<言語→合唱→音階>という媒介的な説明を著者が試みていることである。

因果関係の類推に困ったときは媒介を入れてみる。

そういう弁証法的な思考の例がここにある。








(つづく)










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音楽の三角錐の発見 その3
音楽の基盤となる第二の実体は言語である。

母音中心の日本語と子音中心の西洋語。日本語は管楽器的で西洋語は打楽器的。61頁。

そこからくる唇や舌の動きの違いは音楽に影響を与えずにはいない。

われわれが毎日話し、聞いている言葉は音楽の「自然」であり「原型」であり「音楽の土台を支えるリアリティ」である。120、95、74頁。

音楽はトニック(主音)とそれに対する五度すなわちドミナント(属音)という二つの音を基軸にしている。もちろん話し言葉の主音はまちまちであるが、人間の耳はこの五度関係を中心にした「音の関係」に鋭敏である。言葉にも「調的な法則」があるのだ。81ー82、86頁。

じっさい、日本の歌曲の伝統的な五音階(たとえば民謡や演歌)は、日本語の上げ下げの五段階を原型としている。「話し言葉の中に五音音階の原型が潜んでいる」のである。115頁。

このことを著者は

「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。」

という文で例証する。

この文を著者は五つの音程の楽譜に書き取っている。なるほど、その楽譜にそってゆっくりと日本語を語ると、なつかしい昔話の世界が立ち上がってくる。

ここは作曲家ならではの解明であり、本書の白眉である。114頁。








(つづく)









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音楽の三角錐の発見 その2
音楽の基盤の第一は労働や生活が規定する身体の動きである。

日本の農民の動きは田植えにみられる「抜き足差し足」が基本で、腰を折って上半身の上下動をゆるやかにくりかえす。直立的な動きは稀である。23−25頁。

それに対して貴族や武士といった支配階級の動きは能にみられる「平面の歩行」すなわち摺り足が基本である。これは儀式の荘重や武芸の緊張からくるものであろう。27頁。

いずれも跳躍や旋回や横っ飛びには不向きな姿勢であり、ゆるやかな二拍子系が多く、早いリズムの動きを不得意とする。38−39頁。

西洋音楽が三拍子系の早いリズムを得意とする理由は、おそらく馬の歩調が速度をあげるにつれて2/4拍子から3/8や6/8拍子へと変化することと関係がある。西洋では騎馬や馬車で感じるリズムが体内に生きているのであろう。40頁。

日本人の盆踊りの動きがピタッと決まるのは、鍬や刀をすっと上げてから振り降ろす動作と関係がある。42頁。


労働や生活のなかの動きが身体の動きやテンポを規定する。それが音楽のリズム感に影響を及ぼす。








(つづく)











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音楽の三角錐の発見 その1
小倉朗(おぐら・ろう)『日本の耳』(岩波新書、1977年)。

1980年代に日本人論が流行したころに読んで良質な印象を受けた本。

いま読み返してみても第一章「日本の耳」はとくに瑞々しいエッセイだと思う。

本書の中心発想は音楽の民族性の基盤を探ることにある。どうして西洋音楽は"ああ"で邦楽は"こう"なのか。その原因を音楽の基盤に目を向けることで理解しようとする視線である。

音楽を生む基盤すなわち「実体」を、本書は三種あげている。











(つづく)














| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新著が出ました! 中公新書『新・現代歴史学の名著』
久しぶりに本が出ました。

樺山紘一編著『新・現代歴史学の名著』(中公新書、2010年3月)

分担執筆で、私が書いた部分は短いけれど、私としては文章というものについて開眼したところがある。(右下に写真あり)

思い出に残りそうな一冊。

出たばかりで、今なら書店にあると思います。
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 08:34 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
本は幕の内弁当である
本は情報の幕の内弁当だ

きれいに並べた寄せ集め

うまくて完食

それがいちばんいいけど

つまみ食いでも、とてもいい





| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ページの革命から声の革命へ  ページの革命によせて  おわり
「ページの革命」において、あらためて重要なこと。

それはテキストのフォーマットが豊かになったことによる個人の解放である。

つまりは、テキスト=外部がやってくれることの安楽さ。

段落替えや句読点、ページのレイアウトができることで、テキストを読解する作業のかなりの部分をページじたいがやってくれるようになった。

読み取りの労力が省けたぶん、読者の想像は豊かになったかー 

それは疑問かもしれない。しかし読書が高速化したことは確かだろう。

ページの革命によって、ぶどう畑の喜びは消滅した。しかし以前に帰ろうという人はあまりいない。

イリイチが言うように、いまや「ページの構造は私の思考、計画、記憶の輪郭」となっている。

考えてみればサウンド・ステップスは、手がやってくれる安楽な「声の革命」である。

声が母語のくびきから解放される。かわりに英語の音が与えられ、ひとりで咀嚼する夢が見られるようになった。

それが本当に進歩なのか。それはやってみてから考えればいいし、いったんくびきから解放された個人は、もはや以前にもどろうとはしないだろう。



(おわり)

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 09:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ページは思考のフォーマットである   ページの革命によせて その2
紀元1130年から1200年ころ「ページの革命」が進行し、黙読可能なテクストが出現した。

都市が発展して、多忙な市民・商人が文化の担い手になり、必要な情報、紙や製本技術も変化して、黙読の必要が増した。

イリイチはこまかく指摘していないが、「ページの革命」とは、次のような新しい<思考のフォーマット>の開発のことである。

単語の分かち書き
大文字・小文字の書き分け
見やすい字体の開発
句読記号、かっこ、ハイフンの使用
段落分け
章にタイトルをつける
ページや章の番号づけ
巻頭に目次
脚注
索引
より小さく、扱いやすい製本

ページが読みやすくなっただけでなく、本の持ち運びが楽になり、印刷術で廉価にもなると、ますますテキストの個人化がすすんだ。

テキストの個人化。

ならばプロテスタントの出現は「ページの革命」の影響ではないかとも思えてくる。(いや、個人化をすすめるためにページの革命が要請されたのか…)

ページの革命は、テクストを個人化し、読書を高速化した。

こうしてテキストはもはやみなで収穫するぶどう畑ではなくなり、ひとりで咀嚼する夢となった。



(つづく)



| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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