ごきげんようチャンネル

Life is for those who have a hope.

Action is of those who embrace a yearning.

History is made by life and action, hope and yearning.


他人としてしゃべれ おわり

■結論

今井氏はいう。

他人が書いた言葉を他人の言葉としてしゃべればよいのだ。

一度は意識に与えられたセリフを徹底的に解体して無意識にゆだねてしゃべる。[セリフを]支配しようなどと考えずセリフに支配されてしまう。

そのことの有効性、そのことの心地よさを知っている者の身体こそが、他者に対してひらかれる可能性を秘めている。…

支配から被支配へ。

自分の言葉という呪縛から解き放たれたとき、俳優の語る言葉は声となって届き、他者を立ち上がらせる。

そこに演劇の言葉のエネルギーが生まれ、スリルが生まれ、そして可能性が生まれるのである。」200頁。

これを英語を話すときに応用するとどうなるか。

他人の言葉としてしゃべる。これがキーワードだろう。

言葉はもともと他人の作ったものである。外国語はそれが母語以上に明確でもある。

サウンド・ステップスはdream field(身体外部の意識の場)で手を動かすので、意識を意識するという集中した意識となる。

いったん意識的に外国語(いわば民族料理)をたんなる音(栄養素)に分解し、サプリメントのカプセルのように体内にとりこむ。

その正確な音のカプセルをサウンド・ステップスによって吸収したら、自分が構築した堅固な「他人のアイデンティティ」の枠に入れ、「他人の言葉」として周囲に充満させる。

そのとき異国に飛んでいくようなスリルが生まれる。

たしか勘三郎さんだったか、役者のセリフやしぐさは型にすぎなから、舞台で泣きながら内心では焼肉食べたいと思っていてもいいんだ、と言っていた。歌舞伎の身振りや声(身体の文法)が確立し、役柄(アイデンティティ)が堅固だから、それができる。

他人の身体の文法をサウンド・ステップスという仮構のシステムによって取り入れ、他人のアイデンティティをたとえば「パトラ」という架空の人格によって取り入れる。

このふたつの要素の結合によって、人は「自分らしさ」をより豊かにすることができる。







(おわり)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:48 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その5

■他人を演じるには、言葉を音に解体するプロセスを通じて役柄になりきることだ。

解体とは、セリフをたんなる音の連続まで分解すること。つまり役柄がどうだとかいった「前提とするものを必要としない」、たんなる音にまで単純化してしまうのだ。193頁。

杉村春子は「ひとこと千回」とアドバイスし、小津安二郎は旅館の仲居の「いらっしゃいませ」というセリフを60回やりなおさせたという。188、195頁。

「セリフが内在している情報を解体する」191頁。

「その役を生きた人物として考え、生きた人物として演じるならば、[そのセリフの感情のような]情報はしゃべったあとに事後的に知るものなのだ。したがって、解体してもセリフは言える。」193頁。

ここで思い出すのは、英語の達人・國弘正雄氏が英語を話すときの感覚だ。

「息に声が乗り声に意味が乗るという境地を目指すのです。枕木を並べてレールを敷き、その上を電車が通るという感じです。野球でいえば下半身をちゃんと使えるということでしょう」(國弘正雄『國弘流英語の話し方』たちばな出版、1999年、68頁)

自分を電車=機械にする感覚。英語を解体し、自分をたんなる肉体=自動機械におとしめつつ、自我は意味の役割を演じる。

サウンド・ステップスは英語をたんなる音にまで正確に解体してしまう。ただ、外国語であるぶん、その音を意味に変えるには堅固なアイデンティティ(役柄)が必要になる。。

だから英語を話すときはアイデンティティ(役柄)を人工的に作っておくことが非常に役立つのだ。










(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:46 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その4

■言葉が消えるとき

無意識から、そして他人からやってくる言葉。それがどうやって自分のものになるのか。

稽古のとき、はじめ台本のセリフは「私の前にキチンと浮かぶ。私はそのセリフを声に出す。」181頁。

つまりdream fieldに浮かぶ「文字」をなぞっているのだが、そのときは自分が言葉を支配しようと苦闘している。

ところが「あるとき、ある場面のセリフが突然ストンと身体の奥に落ちていくような感覚に襲われる。空気中に散り散りになるような感覚になるといってもいい。」181頁。

「姿を消したセリフはどこに行ったのだろう」182頁。

それはdream fieldから体内へと入り込んだのだ。

すると「何かに突き動かされるようにそのセリフを『言わされる』、そんな感覚に変わっていく。」182頁。

dream fieldで文字をなぞるのではなく、全身で言葉をなぞりはじめたのだ。

言葉は自分のものになるのではない。自分が言葉のものになる。そのとき自分は他人でもある。

つまるところ、役者は他人の言葉を他人として演じるのだ。









(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その3

■「外部からやってきた言葉」のおもしろい例が、マニュアル化された店員のセリフである。

店員のよどみのないセリフは俳優も感心させることがあるが、「決定的に何かが欠けている」196頁。

お店という場の明確性と、誰に対しても同じ態度で同じセリフを繰り返す必要から、店員はお腹を使わず鼻に通す高い声を使い、かつ他者に対するセンサーのスイッチを消す。すると自分の「身体を消す」ことができる。そのとき他者(客)の身体も消える。196‐197頁。

欠けているのは「身体」である。

■俳優のセリフや外国語は他人が作ったものである。そのぶん外部性が強いが、もともと母語による日常の言葉も、既述のように過去や他人からやってくるものだ。

そう思ってしまえば「自分の言葉を話す」ことにこだわるのは、むしろ本末転倒なのだ。

人間は言葉に支配されているのだと開き直ってみれば、何かが見えてくる。








(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その2

■言葉は無意識からやってくる。

人が自分の自由意思によってしゃべっていると思っているのは幻想である。自由意思の前に無意識の神経活動があり、その後に意識(自由意思)が生まれ、それによって言葉が出てくる。182頁。

たとえば「ボタンを好きな時に押す」という単純な実験をしたところ、人はボタンを「押したくなる」(自由意思)の一秒も前に脳の運動前野が活動していることが分かった。

「自由意思というのは潜在意識の奴隷にすぎない」182ー183頁。

■言葉は他人からやってくる。

言葉は無意識からやってくるだけでなく、他人からやってくる。

「無意識が選び取っている言葉は自分のものだろうか。われわれはほとんど無意識が選択した他人の言葉を語り、それを自分でも聞いている」199頁。

母語は過去の他人からやってくる。外国語は外部の他人からやってくる。

母語も外国語も、自分の外からやってくる。








(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
他人としてしゃべれ その1

今井朋彦「身体言語論」(今井邦彦編『言語学の領域II』朝倉書店、2009年4月所収)

文学座の俳優による言語論。これがえらくおもしろいのでメモしてみる。

■意識は未来を先取りする。

「オートバイでコーナリングする時、コーナーを抜け終えた時の体感をコーナーに入るまえにはっきりと持っていないといけないんです。いつでもわずかに『フライイング』して未来の体感を先取りして、それをいわば設計図にして現在の身体操作をコントロールしている。ある種の志向性に導かれていないと身体は動かない。」(内田樹)184‐185頁。

先を予測してはじめて動く人間の身体。しかし予測が浮かぶ場が問題。

「ダンスで振りを間違えるときは、たいていその振りが自分の『前』にある」(ダンサー木佐貫邦子)186頁。

身体のすぐ前(私のいうdream field。両手の届く範囲)に予測が浮かぶと、人間は思わずそれをなぞろうとするので身体全体の勢いを失う。勢いを失ったという意識がミスをさそう。

人間は予測しないと動けないが、予測が浮かぶ場はdream fieldではなく身体の内部でなければならない。

dream filed を利用して覚えた発音体感(サウンド・ステップス)は、身体の内部に収納されてはじめてスムーズな英語体験となる。







(つづく)









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 10:40 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英会話の教科書はなぜ覚えられないか(再掲) おわり
山崎氏は、

「会話のすべてのことばを<ことば>としてきちんと成立させることができたとき、そこにしゃべりことばによる劇物語の世界が創出されたことになる」148頁。

という。

「自分たちのしゃべりことばを劇言語へと上昇・飛躍させることで初めて、あるがままの感性を脱する」134頁。

ともいう。

「英会話」も同じでなければならない。

外国語を「劇言語」にまで高めることによって、私たちは母語で培われた「あるがままの感性」を脱し、これまでとはちがう世界を垣間見、そこに入りこみ、あらためて自分を知ることができる。

それは易しいことではないが、 外国語をやるというのは、そういうことでなければならない。

それには、俳優の稽古に類似した「往還」の仕組みを確立する必要がある。



(おわり)



| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 22:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英会話の教科書はなぜ覚えられないか(再掲) その7
英会話の教科書が「覚えられない」理由は「セリフ」というものの深さ・重さにあったのだ。

このごろの大学入試の英語は、かつての深みのある評論文から軽いエピソードや会話表現へと重点を移しているが、これをたんなる易化とか実用化ととらえるのは早計であろう。

会話だから易しいのではない。会話だから実用的とは限らない。

劇におけるセリフはひとつの世界のすべてを担うほど深く重い役割を与えられる。逆に「英会話」で暗記する「決まり文句」は、そうした意味深い世界から剥離された、言葉以前の抜けがらにすぎないことが多い。

深く重い言葉を消化するのは難しい。しかし抜けがらを覚えよ、というのも空しい。難しい。理不尽である。





(つづく)



| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 22:44 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英会話の教科書はなぜ覚えられないか(再掲) その6
俳優が世界を立ち上げるために行う方法は、山崎氏のいう「発生史的な過程」を繰り返すこと、すなわち「往還」である。

自宅と稽古場を往還する。

稽古場で演じる「あちら側」と、見ているほうの「こちら側」を往還する。

「往還」を繰り返すことで、俳優はようやくセリフを覚えていく。203頁。

いよいよ上演となると、自宅を出発し楽屋で化粧し、舞台で虚構を演じ、また自宅に帰るという「往還」を繰り返す。

俳優が「往還」によって虚構を立ち上げる力。それを鍛えるのが演出家の仕事である。29、145頁。

「英会話」の場合も、教科書に載っているなんでもない文であっても、それを身につけるには俳優と同じくらいの「往還」の仕組みとエネルギーが必要であるはずだ。

「日常会話」だから簡単なはず、身近なはず、覚えられるはず、というのは安易な思い込みにすぎない。





(つづく)







| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 22:41 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英会話の教科書はなぜ覚えられないか(再掲) その5
英会話のセリフは戯曲のセリフのような大きな負荷がかかっている。

それを自分の中で消化して演じるには、どうしたらいいのか。

山崎氏は、幼稚園の園児たちを見よという。

園児たちは木になる、森になる、風になる、月になる。

劇のなかの人間もそれと大差ないのだ。

演技とは虚構=「あちら側の現実」を生きることである。演技とは、もともと人間(→自分)以外のなにかを演じることなのである。19、24、59頁。

セリフという断片的なものから虚構の世界を作る作業は、人間以外のものから人間を作りだすようなものである。

ゼロから何かを立ち上げる巨大なエネルギーが必要なのだ。

「あらゆる芸術表現の過程には、この世界を私たち人間がどうやって立ち上げてきたのか、この世界をどうやって獲得してきたのかという起源論的な、あるいは発生史的な過程が含まれている」157頁。

「個体発生は系統発生を繰り返す」(ヘッケル)という名句を思い出させるような言葉である。





(つづく)




| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英会話 | 22:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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