ごきげんようチャンネル

Life is for those who have a hope.

Action is of those who embrace a yearning.

History is made by life and action, hope and yearning.


安倍首相の頭のなかを”安倍コベ” にしてみたら?
しばらく前(今年2月)のことだが、ワシントン・ポスト紙(ネット版)が、安倍首相の参議院での答弁をやや詳しく紹介している。



http://articles.washingtonpost.com/2013-02-20/world/37196937_1_prime-minister-shinzo-abe-south-china-sea-chinese-education



答弁は安倍氏の中国観を述べたものだが、これを読んでいると、彼が中国を揶揄している内容は、ほぼそっくり安倍氏自身のことでもある。

たとえば、



◯ 中国の政権は、国民の支持を得るために外国との紛争を利用する傾向がある。


◯ 中国では愛国教育がおこなわれ、反日感情があおられている。


◯ 中国が現状のような拡張的態度をつづけると近隣諸国の不信を買い、そうなれば中国の貿易に支障が出て、十億の民を一党支配する上で困難が生じるだろう。


◯「強制や脅かしによって他国の領土や領海を犯したり、国際ルールを変更したりすることはできない。中国政府は、このことをよく理解すべきだ。」




以上はみな、中国側が安倍政権について思っていることでもあろう。

政権を担う中心人物は、外国について述べるときは注意深くする必要がある。

まして、このような「天に唾する」ような言葉を口にするのは、国にとって利益にはならない。

しかし彼は、自分自身にたいして、そして日本国にたいして自傷行為を行っていることに気づかない。

そこが安倍氏の愚かさであり、恐ろしさでもある。










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 22:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「主権回復の日」のブラックユーモア
昨日、政府主催の「主権回復」を「記念する」式典が行われた。

当然、沖縄、奄美から強い異議の声があがった。いったい何を記念しているのか、と。

天皇の挨拶はなかったとのことだが、出席じたいが天皇を政治的に利用する行為ではないかという批判もあった。

この催しについては、英語圏でも報道されているが、海外からみると時代錯誤的な催しと感じられたようである。

たとえば、アメリカのNational Public Radio の記事の見出しは、




「日本、”主権回復”をはじめて記念

Japan Marks 'Restoration Of Sovereignty' For The First Time」


 

となっていて、今ごろ”主権回復”を記念することへの違和感を示唆している。


http://www.npr.org/blogs/thetwo-way/2013/04/28/179664908/japan-marks-restoration-of-sovereignty-for-the-first-time



戦後日本は、沖縄をはじめとする全国土をアメリカの軍事力に差し出し、この超大国の威光と暴力に依存して自国の威厳?と市場を確保してきた。

こうした日本の保守の従属戦略は、”主権回復”とは根本的に相容れない。

彼らが”主権回復”を口にすることじたい、無理があるのである。

総じてこの催しは、”主権回復”なる言葉が、過去にかんしても未来にかんしても、たんなる空文句であることを浮き彫りにしたといえるだろう。










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 17:29 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「侵略」の定義は国際的に定まっている 安倍首相の勝手な思い込み おわり
なお、上記の「侵略の定義に関する決議」の(e)項と(f)項は、次の行為も「侵略」と「定義」している。




(e)受け入れ国[日本]との合意[地位協定]にもとづき、その国の領域内にある軍隊[米軍]の、当該合意に定められている条件に反する使用…


(f)他国の使用に供した領土[米軍基地]を、当該他国[アメリカ]が第三国[たとえばベトナムやイラク]に対する侵略行為を行うために使用することを許容する国家[日本]の行為」




(e)によれば、犯罪をおかす米兵を滞在させ、犯罪をおかした米兵をかくまうために米軍基地を使用することは、アメリカによる日本に対する「侵略」である。

(f)によれば、アメリカに在日基地を自由に使用させ、イラクなどへの「侵略行為」を「許容」する日本の行為は、「侵略」である。


もちろん、日本政府にとって、こういうものはけっして「侵略」ではないのだろう。


つまり、日本政府からみれば、国連で「侵略」とされているものは、どれひとつ「侵略」ではない。

アメリカ政府や日本政府がなにをしても、それは「侵略」にならない。

ならば、他国が同じ理屈を唱えても文句はいえない。

だから、



「安倍首相の理論なら、日本に攻め入っても必ずしも侵略にならないということだ」



という中国や韓国の民衆の声がでてくる。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130427-00000001-scn-cn










(おわり)









追伸:最近では、2010年に採択された国際刑事裁判所の規定に「侵略犯罪」の項がある。これは上記の「侵略の定義に関する決議」とほぼ同じ定義を採用している。

http://unic.or.jp/security_co/res/other13.htm








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 11:21 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「侵略」の定義は国際的に定まっている 安倍首相の勝手な思い込み その3
当時の日本が「侵略」と言わなかったから、他国も同じようなことをしていたから、それは「侵略」ではないという論法を聞いたことがあるが、これが幼稚な議論であることはすぐわかる。

「悪いことはしていない」「他の者もやっていた」と言ったからといって、その者が客観的に無罪になったり、道徳的に正当になるわけではない。


ところで、ときどき気になるのは、学生などで、



<有罪と決まっていない以上、無罪を推定される>



という刑事裁判の論法を、歴史にそのまま適用する者がいることだ。

もちろん、歴史は裁判ではない。

歴史上の責任には、法的なもののほか、政治的・道徳的・心情的なものも含む。

刑事裁判で適用される狭い論理をもちだして、暗い歴史を「無罪」にしようとするのは、そもそも自分たちが被告席に立たされているような気分を抱いているからである。

彼らが被告席にいるような気分になる原因は、明らかである。

多数の犠牲者がいるからだ。









(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 11:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「侵略」の定義は国際的に定まっている 安倍首相の勝手な思い込み その2
しかし、どういうケースを「侵略」と呼ぶかについては、すでに1974年に国連総会が採択した「侵略の定義に関する決議」がある。

市販の条約集にもたいてい載っており、内容も明確である。

その第三条(侵略行為)の冒頭には、次のように書かれている。




「次に掲げる行為は、いずれも宣戦布告の有無に関わりなく、…侵略行為とされる。

(a) 一国の軍隊による他国の領域に対する侵略もしくは攻撃、…占領、または武力の行使による他国の全部もしくは一部の併合」




戦前の大韓帝国「併合」や、中国に対する日本軍の行動は、まぎれもない「侵略」であって、定義上、疑問の余地はない。














(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 11:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「侵略」の定義は国際的に定まっている 安倍首相の勝手な思い込み その1
安倍首相は、4月23日の参議院予算委員会で、村山談話にふれたなかで、


「侵略という定義は、学界的にも国際的にも定まっていない。

国と国の関係でどちらから見るかで違う。」


と述べた。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130427-00000001-scn-cn


「侵略」かどうかは簡単に断定できないのだと国民に思わせて、戦前日本政府の行動を正当化するのがねらいである。











(つづく)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 11:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
首相の靖国神社参拝は「信仰の自由」か?
閣僚や国会議員による靖国神社参拝が、「信仰の自由」として正当化される傾向がある。

安倍晋三氏の著書『美しい国へ』を素材にして、彼らの間違いを指摘しておきたい。

この本は靖国神社に政府の指導者が参拝することについて、外国人の見解を紹介している。

たとえば敗戦直後、マッカーサー元帥の副官が駐日バチカン公使代理だったブルーノ・ビッター神父に意見を求めたところ、


「いかなる国民も、国家のために死んでいった人びとにたいして、敬意を払う権利と義務がある。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るでしょう。」


と答えたという話を引用して、こう結論している。


「この言葉からは、信仰の自由と権利 にたいする神父の強い意志が伝わってくる。神父の提言もあって、靖国神社は難を逃れた。」(73頁。イタリックは三浦


ここには、自分の都合のいいように事実をゆがめて解釈してしまう安倍氏の癖が出ている。

神父は、

「国家のために死んでいった人びとにたしいて、国民が敬意を払う権利と義務がある」

と言っているのである。

国民が各自の望む仕方で死者に敬意を払うことは、神父の言うとおり、いかなる国民にも与えられるべき「権利」である。

これに対して靖国神社の問題は、

国家の指導者が、特定の宗教施設を選んで公然と崇拝し、参拝することが憲法に反するかどうか>

である。


そもそも安倍氏には、「人権」というものについての自己満足的な甘い発想がある。

「信仰の自由」は、安倍氏のように信仰を侵害されるおそれのない多数者(たとえば死者に敬意を払うために神社に参拝することに違和感をもたない人たち)を直接の対象にするものではない。

日本に住むイスラム教徒のように、信仰上の少数者が特定の宗教を信じる権利を国家に妨害されない。

これが信仰の自由の本来の主旨である。

憲法は、「国及びその機関は、いかなる宗教的活動もしてはならない」(20条)と、国家の代表者の靖国神社参拝を明確に禁じている。

彼らが戦前日本における信仰弾圧の歴史を少しでも知り、それでも靖国参拝を自分の信仰活動として実行したいなら、休日に議員バッジをはずして行けばいいことである。

閣僚や国会議員が靖国神社参拝を「信仰の自由だ」などと筋違いの言い分けをするのは、自分の参拝が政教分離違反の政治的行為であることを意識している証拠である。

彼らは、国家がやった大失敗(侵略戦争)を、死者をとむらう一般的心情や、少数者を保護するための「信仰の自由」をもちだして正当化しようとしているだけである。 













| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 09:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
閣僚・国会議員の靖国参拝 こうしたらいい おわり
◯ あの戦争については、日本国民に共通する願いがある。

それは、死者だけで日本人300万人以上、中国人を中心に、アメリカ人をふくむ外国の人々2000万人以上という犠牲を無駄にしたくない、という願いである。

ただ、そこは共通でも、そこから「どんなことがあっても二度と戦争をしない」と思うか、「国家間にはいまだ戦争が必要な場合があり、かつ国の命令にしたがって死ぬのは名誉であるから、場合によっては戦争も辞さない」と思うかで、感覚が分かれる。

こうしたふたつの感覚は、「あの戦争は侵略だったか解放のためだったか」といった、過去に関する解釈の相違という外観をとっている。

しかし、じっさいに争われているのは、日本のこれからをどうするかという問題である。

私の目には、閣僚として、議員として靖国神社に参拝する日本国の代表者たちは、軍服を着た死者たちに「いつまでもそのままでいなさい」と言っているように見える。

戦死者たちは、なにを願って死んでいったか。

それは靖国神社も言うように、究極的には諸国との「共存共栄」(遊就館ウェブサイト)であった。

そして戦争は、七十年近く前にもう終わったのである。

私は空想する。

内閣総理大臣はじめ閣僚と国会議員全員は、こぞって靖国神社を参拝し、戦死者の死を悼む。そして、「あなたがたの死は無駄にしません」と誓う。

靖国神社の性格がどうあれ、祀られた人々の死を悼む気持ちは共通しているだろうから、これは絶対に無理なことでもなかろう。

そして、彼ら日本国代表者たちは、死者たちにこう語りかける。


「戦争はだいぶ前に終わったのに、あなたがたを長いあいだ軍服を着せたままにしました。

どうかいちど家族の元に帰って、なつかしい人たちに会ってください。

そして、あなた方の死を無駄にしないためにはどうしたらいいか、私たちに教えてください。

なお、もう一度靖国神社に祀られたい場合はいつでもおいでくださいと、靖国神社も言っているようです。」













(おわり)











| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
閣僚・国会議員の靖国参拝 こうしたらいい その3
◯ この問題の背景には、靖国神社にたいする世間の無知があると思われる。

たとえば、靖国神社は自分をどう表現しているか。

現在、靖国神社は境内の遊就館で特別展を開いているが、そのウェブサイトは次の通り書いている。



「大東亜戦争七十年展2 〜すべては祖国を護るため、毅然と立ち向かった先人たち

…祖国の行く末を信じ、アジア諸国の解放と共存共栄の新秩序を確立するという理想に燃えて、雄々しくも勇戦奮闘された数多の先人達の御事績を是非この機会に御拝観戴きたく存じます。」

http://www.yasukuni.jp/~yusyukan/news/news_detail.php?article_id=0104



この文には、日本の軍事行動によって被害を受けた人々のことがまったく出てこない。

この文が言うとおりなら、日本軍は「アジア諸国」を「解放」しようとした救世主である。

しかし周知のとおり、その「アジア諸国」は、日本の行動を侵略ととらえ、閣僚・議員の靖国神社参拝を批判している。

TIME(2013年4月23日付)が表現したように、遊就館は「日本の過去の戦争を美化するための戦争博物館 a war museum glorifying Japan’s wartime past」なのである。

http://world.time.com/2013/04/24/japan-war-shrine-reflects-ruling-party-nationalism/ 



私のまわりの大学生に聞いてみると、靖国神社については「名前を聞いたことがある」という程度の認識であり、靖国神社の性格にいたっては、ほとんどの人が知らないようである。

そうした無知を前提に、「戦争で亡くなった人に政府や議員が敬意をはらうのはおかしくない」などと、なんとなく感じている者も多い。

しかし、閣僚や議員が、靖国神社のこうした歴史観と、それに対するアジア諸国の反発を知らないはずはない。(知らなかったとすれば、これも阿呆であるから、即刻辞職すべきである)

われわれ日本国民が選んだ閣僚3名と国会議員170名は、靖国参拝という行為によって、こうした歴史観を明確に主張し、ますます日本を孤立させているのである。








(つづく)









 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 06:16 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
閣僚・国会議員の靖国参拝 こうしたらいい その2
◯ 安倍首相には、思想というより行動に問題がある。

安倍首相は、自分の閣僚や自党の議員が、この状況下で大量に靖国参拝するのを制止あるいは抑制しなかった。

制止または抑制したかったが、できなかったというなら、首相・党首として権威不足・指導力不足である。

しかし、事実は逆で、自分も参拝したかったのだが、自制したということであろう。

じっさい、4月21日、首相の肩書きで「まさかき」を靖国神社に奉納したのは、参拝の替わりの意味をもつ。

首相や閣僚の地位にある者が、その肩書きにおいて特定の宗教施設に目立つかたちで参拝したり奉納したりして崇敬の念を示す行為は、憲法20条・89条の政教分離原則に反するかどうか。

参拝などの行為にあたり、公金が支出された場合については、愛媛県知事によるたまぐし料支出にかんする最高裁違憲判決(1997年)があるが、参拝・奉納という行為じたいの違憲性については、一般の意見が分かれるところだろう。

それを是と考えるか、否とするかは、憲法上も社会倫理上も議論になりうる。

そういうなかで、日本を代表する立場の人々が特定の宗教施設に公然と参拝・奉納したのである。

外国からの批判以前に、日本の国内問題としても、とくに閣僚の靖国参拝は国民の多様な感情を無視した政治的な行為である。











(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 08:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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