ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


なぜ人類史は自然過程か 歴史法則が長期的に貫徹する

自然過程としての歴史。それは長期的に貫徹する。

 

ならば、人間の「自由意志」は、この自然過程にどう含みこまれるか?

 

ここで、高校の物理の「力の合成」の説明を引用させてもらおう。

 

 

 

「力はベクトルであり、どれもが同じ方向を向いているとは限りません。違う方向を向く力同士の合成はどう考えればよいでしょう。

 

 

たとえば

 

 

  

 

 

このような2つの力があった場合、数学のベクトルの加法にならいます。すなわち平行四辺形の対角線が合力となります。

 

 

 

 

 

もし  2つの力の角度が120°であるなら  この青い三角形は正三角形であり、平行四辺形の対角線の長さは各辺の長さと同じになるので、

 

 

 

 

合力は 2N となります。2N + 2N が 2N となるのです。4N とはなりません。

 

 

 縦方向の成分は打ち消し合ってしまい、 横方向の成分だけ残るからです。」

 

 

 

http://wakariyasui.sakura.ne.jp/p/mech/tikara/gousei.html#ittann

 

 

 

「力の合成」の原理は、歴史の理解にも役立つ。

 

自由意志による人間の行動をひとつのベクトルだとすれば、人間が二人いてベクトルが二つ集まれば、ひとつの平行四辺形になる。その結果は、上記の「力の合成」が示すように、個々のベクトルの方向とは異なるし、量も単純な和にはならない。

 

このように合成された力が無数に集まって、社会全体の方向が決まる。個々の人間の行動は自由意志によるが、全体の方向は、個々の人間からみれば「無意識、無意志」に決まっているようにみえる。つまり社会全体の方向は、個々人の自由意志を超えた「自然過程」のように貫徹していく。

 

この自然過程は、多くの逸脱、逆行、中断をともないながら、長期的にはある一定の方向へと進む。人間は、それがどの方向であるかを洞察することもできる。その長いプロセスにおいて働く諸法則を洞察することもできる。

 

こうして方向と法則が洞察できたら、それらを加速したり遅延させたりすることもできる。知恵と努力次第では、歴史の方向と法則を修正することさえ不可能ではない。

 

 

 

 

資料:エンゲルスによる「歴史(力)の平行四辺形」の説明

 

 

「歴史のつくられ方というのは、多くの個別意志の葛藤のなかから最終結果が いつでも生れてくるものであり、しかもそれらの個別意志はそれぞれまた多く の特殊な生活条件によってそのような個別意志になっているのです。

 

つまり無数の、たがいに阻害し合う力、すなわち力の平行四辺形の無限の集まりがあり、 そのなかからひとつの合成力――歴史的結果――が生まれるのであり、それ自身はまた全体として無意識に、また無意志にはたらく力の産物とみなすことができるのです。

 

なぜならば、個々の一人ひとりの者がもとめるものは、他のそれぞれの者によってはばまれ、そして出て来るものはだれもがもとめなかったものということになるのです。

 

こうしてこれまでの歴史はひとつの自然過程のように経過していますし、また本質的には同じ運動法則にしたがっています。

 

しかし、個々の意志が―そのそれぞれが体質や外的な、最終的には経済的 な事情(それ自身の個人的な事情または一般的-社会的事情)にせまられて、そ のもとめるところがきまってきます―

 

―そのもとめることを得られず、溶け合って全体の平均、すなわち共通の合成力が生れるからといって、個々の意志イコール・ゼロとみなすべしなどと考えてはなりません。

 

それどころか、個々の 意志はそれぞれ合成力に寄与するのであり、そのかぎりでそのなかに含まれているのです」

 

 

(エンゲルスからヨーゼフ・ブロッホへの手紙、1890年9月21日、全集第 37 巻。太字は引用者)

 

 

http://benkaku.typepad.jp/files/tokuchou.pdf

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
脳科学には要注意 サッカー選手の身体の仕組みは、サッカーではない

「磁力」について、次のような説明がある。

 

 

「磁力は、電荷の運動によって引き起こされる基本的なである。...よって磁性は電荷を持つ粒子運動をすればいつでも現れる。磁性は電流の中の電子の運動によって発生して電磁気と呼ばれたり、電子の量子力学的な軌道運動やスピンによって生じ、永久磁石の力の源となったりする」(ウィキペディア「磁性」より)

 

 

誰でも知っている磁石のはたらきを、「電荷の運動」という本質においてとらえた解説。物質の現象を、さらに微小な物質的な運動へと還元して認識している。

 

物質がおこす現象は、その本質もまた物質的なものである。

 

 

人間や社会を対象にした学問は、こうした自然科学の着実な進歩に大きく水をあけられている。それはなぜか。

 

人間の意識(その本質は規範)と物質の物性。このふたつの区別と関係があいまいにされているからである。

 

物質としての身体がなければ意識をもてない以上、意識は身体が支えている。しかし、身体と意識は次元がちがう。意識は物質ではないからこそ、意識なのである。

 

脳科学の話を聞いていると、意識をこまかく調べれば、目にみえない物質の運動が発見でき、それが意識の物質的実体であるかのようにイメージしやすい。

 

だが、意識は人間が社会的に発展させた作法による内心の行為であって、意識やその表現は物質の運動が支えているにしても、意識は物質ではない。物質の物性が物質の運動として現象する。人間が身につけた社会的規範が意識として運動し、意識の運動が人間の行動として現象する。

 

 

「これまでのところ、交換価値を真珠やダイヤモンド [⇨脳] のなかに発見した化学者は、ひとりもいない。」(マルクス『資本論』初版(幻燈社版)、322頁)

 

 

サッカー選手の身体をいくら調べても、サッカーのルールはわからない。まして、今日のサッカーの試合展開はわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 15:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
トランスの実体は投射力・転態力・反射力

磁石が鉄片を引きつける現象の実体を「磁気力」と呼ぶように、トランスにおける投射の実体は投射力であり、転態の実体は転態力であり、反射の実体は反射力である(ここで実体とは、その内実をなすもの、それをつくる主体となるもの)。

 

人間がおこなうトランスの場合、実体となる「力」には、次のような種類がある。

 

主体がもつ投射力には、労働力・行動力・認識力の三種類がある。これらの投射力を、人間身体がもつ「自然力」ととらえるのが、史的唯物論である。

 

客体がもつ転態力には、生産力・変革力・表現力の三種類がある。生産力には、人間身体がもつ能力、人間が利用できる自然条件、分業・協業・機械の利用といったものが入り、これらは歴史的に変化する。変革力には、戦争のような破壊も入る。表現力も、ワープロやスマホの普及のように、手段によって変化する。

 

転体がもつ反射力には、主体力・客体力・保持力の三種類がある。あらたに主体となる主体力、他の投射をひきつける客体力、そして転体としてとどまる保持力である。

 

これらの「力」は、たがいに排除しあうのではなく、継起的に発揮されたり、同時に発揮されたりする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 14:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人間の労働力は「自然力」である

物質(身体としての人間をふくむ)を客体とする投射を、労働という。観念としての人間を客体とする投射が行動であり、自分の観念を客体とする投射が認識である。

 

労働という投射の実体は労働力である。労働は、客観的には生産であり、生産をおこなう実体が生産力である。行動という投射の実体は行動力であり、行動は客観的には組織づくりである。組織づくりをおこなう実体が組織力である。認識という投射の実体は認識力である。認識は客観的には表現づくりであり、表現をおこなう実体が表現力である。

 

『資本論』は、物質を客体とする投射である生産力を、「自然的生産力」と「社会的生産力」に分けている。

 

自然的生産力は、人間自身にそなわる労働力(筋力、集中力、認識力、協調力など)と、それ以外の「外的自然」からなる。人口(人間の多さ)は、社会がもつ人間自身の自然的生産力の可能量の、ひとつの指標である。外的自然には、土地の豊穣、天産物など生活手段における自然的富と、落流・可航水流・金属・石炭など労働手段における自然的富がある。歴史の初期には生活手段における自然的富が重要であるが、歴史が発展してくると、労働手段における自然的富が決定的に重要となる。

 

自然的生産力がある程度まで大きいことは、生活手段生産以外の生産的労働が可能になるための歴史的前提であるが、自然的生産力だけで生産的労働が増大するわけではない。自然的生産力が大きい(自然条件に恵まれている)ことが人間に直接与えるものは、多くのひまな時間である。人間がこのひまな時間を自分の生産力向上に利用するには、一連の歴史的事情が必要である。また、このひまな時間を他人のための剰余労働に消費するためには、なんらかの外的強制が必要となる。

 

社会的生産力は、人間自身をふくむ自然力の社会的統御や積極的利用にもとづく生産力のことであり、それは具体的には、社会的分業、協業、工場内分業、機械の利用といった歴史的発展から生まれる。

 

 

(以上の記述は、『資本論辞典』青木書店、1966年、457-458頁の「労働の自然的生産力」「労働の社会的生産力」の項(執筆・岡崎次郎)を下敷きにした。)

 

 

ここで注目すべきは、人間がもつ自然的能力たる労働力(筋力、集中力、認識力、協調力など)が、「自然力」としてとらえられていることである。


そう理解するなら、社会的生産力の歴史的発展によって人間の能力が開発され、人間の「自然力」が上昇すると、そのぶん自然的生産力も増大することになる。

 

むろん人間の世界では、道路水道電線などのインフラや道具機械のような、いわば「準外的自然」が、生産力を飛躍的に高めている。だが、これら準外的自然も人間の「自然力」=労働力の発揮たる労働が生んだものである。

 

つまり、外的自然および準外的自然による自然的生産力と、労働の編成による社会的生産力は、けっきょく人間の労働力という「自然力」に依存する。

 

史的唯論というときの「物 material」とは、人間の労働力を「自然力」とみる観点のことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
本質は三種類ある 物性・習性・規範

本質はトランスを規定する。

 

物質のトランスの本質は物性と呼ばれ、生物のトランスの本質は習性と呼ばれる。人間のトランスの本質は規範と呼ぶ。

 

人間は、あらゆるトランスの本質を認識の対象にできる。本質認識は、人間の実践にとって規範となる。人間の本質認識には深浅がある。

 

規範は人間にとって超感性的な実在であり、社会慣習、道徳、言語規範、科学、神仏、個人の記憶、所属感覚(アイデンティティ)、予測といった概念が、感覚・感情をともなって生成・貯蔵・修正され、人間のトランスを規定している。

 

社会の由来の認識すなわち歴史認識も規範である。

 

歴史認識は、個人を超えて共有される普遍的な認識であり、学校や読書や語りによって散布され、人々の心に植え付けられる。

 

神話伝説も歴史認識を支えるイメージであり、あなどれない力をもつ。

 

歴史認識は、ストーリー仕立ての集団的規範として、社会のトランスの深部で作動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
反射は三種類ある 主体型・客体型・保留型

転体がおこなう反射には、次の三種類がある。

 

 

主体型  転体が主体となって客体に投射する場合。これをもとの主体からみれば、転体がおこなう反射である。このときの客体=もとの主体は、転体から分離したものであることがある。いずれにせよ、これは投射=反射であり、弁証法で「同一」と呼ばれるものである。研究室で作った化合物に、研究者の身体が反応する。

 

客体型  転体が、あたらしい主体によって投射を受け、転態してあらたな転体になる場合。いずれ,亮臑侶燭箸覆覯椎柔がある。「過程的統一」と呼ばれるもの。誰かがつくった作物を食べて、人が自分の身体をつくる。

 

保留型  ,皚△盖こらない場合。誰も読まない日記。この場合、反射がないし、いずれ転体じたいが消滅するかもしれないが、いつか,筬△起こる可能性もある。

 

 

人間がおこなうトランスでは、みずからつくった転体に無関心な場合をのぞいて、認識力が転体に投射することで転体からの反射を受けるので、たいていの場合、,亮臑侶燭糧深佑惑Ъ云紂起こると考えられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
転態は三種類ある 変換・転置・等置

主体は客体を転体へと転態させる。人間の労働力・行動力・認識力という主体がおこなう転態には、次の三種類がある。

 

 

変換(生産・組織・表現)  客体が物質であれば、人間は労働力を投射して生産という転態をおこなう。客体が人間であれば、人間は行動力を投射して組織という転態をおこなう。客体が観念であれば、人間は認識力を投射して表現という転態をおこなう。これらは表の変換であり、その裏では、消費・変革・享受という変換が同時に進行する。

 

転置(交通・交流・伝達)   客体の居場所だけを変更する転態。生産物の転置を交通と呼ぶ。組織体の転置を交流と呼ぶ。表現態の転置を伝達と呼ぶ。転置は、,諒儡垢鉢△療置に不可欠な転態である。たとえば物質をベルトコンベヤーに乗せて生産を行うのは、交通と生産が同時に進行する転態である。

 

等置   あるものに別のものを観念のうえで等置することによる転態。たとえば、イヌという認識を客体にして、これに「イヌ」という表現体を等置する。等置は観念のトランスに特有の転態で、認識上等置するだけなので、客体と転体が異類か同類か、形態的に似ているかどうかといったことは問題にならない。

 

 

 

「ほかの作品を養分にすること以上に、独創的で、自分自身であることはない。ただそれらを消化する必要がある。ライオンは同化された羊からできている。」(東・松田訳『ヴァレリー・セレクション』上巻、平凡社ライブラリー、2005年、220頁)

 

 

 

ライオンが羊を食べる。それはライオンを生産する=羊を消費する、変換の転態である。

 

ライオンが、捕まえた羊を別の場所に移動させたら、それは交通という転態である。

 

われわれが観念の世界でライオンを羊と天秤にかけたら、それは認識による等置という転態である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
投射は三種類ある 同類・異類・分離

トランスの出発点である投射には、主体と客体の関係に三つの種類がある。

 

主体と客体が同類の場合   主体は、客体が同類であり、かつみずからとは異なる種とみなして投射する。男と女。

 

主体と客体が異類の場合   この場合でも、主体は客体をみずからと同類のものとみなして投射する。車と人間の衝突。

 

主体が客体から分離する場合  「自己分裂」(三浦つとむ)による自己対象化という投射である。鏡と私。鏡は私の持ち物だが、鏡は私を映す力(→認識力)をもつ。すなわち鏡は投射の主体である。

 

 

注意すべきは、の分離タイプであろう。このタイプでは、客体(自分)自身が直接の主体ではなく、自分から分離したもの(これを「自己」と呼ぼう)が、投射の直接の主体である。

 

たとえば、人間がおこなう観念のトランスにおいては、自分から分裂した自己が主体となり、自分に投射するからこそ、自分の心が認識できる。

 

人間の観念の世界は、もっぱらこの分離タイプの自己言及的な投射によって成立する。

 

だが、投射の主体たる自己はもともと客体たる自分から分離したものであるため、客体からみると、自分こそ主体だという意識を離れるのがむずかしい。子は自分の所有物だという意識を、親はなかなか捨てられない。

 

 

✳ 分離タイプの自己言及的な観念上の投射は、空虚な業(ごう。理性によって制御できない心の働き)だと強調したのが、仏教の「空」の思想である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
心の実在

現実の裏で起こる、心にとっての実在がある。

 

実在は、人間の力では排除できない。四苦八苦、そして死。

 

そういう部分は、解決をあきらめるか、人間を超えた存在に解決してもらうしかない。

 

そこで、人間は神仏を生みだした。

 

神仏は、人間にとって実在する解決不能な問題を観念の上で解決しつづけてくれる。

 

その解決の手順と内容を書いたのが経典であり、それを信じるモデルになるのが神官僧侶である。

 

神仏は何度も何度も問題を解決しつづける。

 

心の実在についての、継続する解決。

 

それこそほんとうの実在なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
史的唯物論への補論 『諸結果』から

1863年ごろ、45才のマルクスが書いた草稿に、「新しい社会構成体」が生まれるプロセスを書いた部分がある(森田茂也訳『資本論第一部草稿 直接的生産過程の諸結果』光文社古典新訳文庫、2016年)。

 

『経済学批判』の史的唯物論の「定式」を補う記述なので、以下、注意すべき箇所を太字にしながら引用する。

 

 

「資本関係一般が生じるにあたっては、社会的再生産の一定の歴史的段階と形態とが前提されている。以前の生産様式の内部ですでに、交通・生産手段と種々の欲求が、古い生産諸関係を乗り越えて資本関係への転化を迫るほどに発達していなければならない。

 

しかしそれは、資本のもとへの労働の形式的包摂が起こるのを可能にする程度に発達していればよい。だが、まさにこの変化した[生産]諸関係を土台にして、独自に変化した生産様式が発展してくる。

 

この変化した生産様式は、一方では新しい物質的生産力をつくり出し、他方ではその[物質的]生産力を基礎にしてはじめて自らも発達するのであり、それによって実際に自分のための新しい現実的な諸条件をつくりだすのである。こうして全面的な経済革命が開始される。

 

一方ではそれ[経済革命]は、労働に対する資本の支配のための現実的諸条件をはじめてつくり出し、完成させ、それにしかるべき形態を与える。

 

他方では、この変革によって労働者に対立的な形で発展させられた労働の生産力、生産諸条件と交通諸条件は、資本主義的生産様式の対立的形態を止揚する新しい生産様式のための現実の諸条件をつくり出し、こうして、新たに形成される社会的生活過程のための、それとともに新しい社会構成体のための、物質的土台をつくり出すのである。」(306ー307頁。太字は引用者)

 

 

以上の文から、次の点に気づく。

 

新しい生産諸関係への転化の前提として、「交通・生産手段と種々の欲求」があげられていること。とくに、「欲求」という観念的要因が明記されていること。

 

ここに登場するキーワードの多くは、常識的な意味で使われていないこと。ここで「生産様式」とは、経済面つまり物質を対象にした労働/生産の編成方式のこととも読めるが、社会が自己を生産し超越するトランス全体(Leben)のこととも読める。「生産諸関係」とは、社会の物質面の生産だけでなく、その交通や消費まで包摂し、かつ物品や身体だけでなく人間の組織や観念的産物を含む、社会的生活全般の再生産のための、規範を指している。

 

後半にある「労働の生産力、生産諸条件と交通諸条件は...現実の諸条件をつくり出」すという表現は、社会を変革する主体が「生産力」であることを述べている(残りのふたつは「条件」)。

 

ここでは「労働の生産力」となっているが、より広くみて「生産諸力」とは、物質的財貨や人間身体や社会組織や意識諸形態を生産するだけでなく、財貨・身体・組織・表現を交通させ消費する力を含んでいるとみるべきだろう。つまり、土台・上部構造・意識諸形態(マルクス『経済学批判』序文「定式」)がもつ生産力・組織力・表現力を総合した力が、「生産諸力」である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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