ごきげんようチャンネル

 魚、水を行くに、行けども際なし  道元『正法眼蔵』



コロンは「すなわち」、セミコロンは「ところが」 使い分け方のメモ

コロン:とセミコロン;をどう使い分けるか。

これはわかりにくいし、説明もあまり見かけないのでメモしておく。



■colon(コロン)[:]は、「すなわち」(that is, namely)という感じで、同じ対象について違う言い方をしたいときに使う。

 

同じことを短くいいかえるだけなので、コロンはピリオドで代用することはできない。

 

たとえば、



He lived for only one thing: money.

 

これを

 

He lived for only one thing. Money.

 

では意味をなさない。



同様の原則で、次のような用例も理解できる。



Mary: I failed in the exam.
Bob: Sorry to hear that.   (セリフの前)
 


Ladies and gentlemen: (あいさつの冒頭)
 


Dear Sirs:  (手紙の冒頭)
 


他に



The clock showed 8:15 AM.  (時間と分。「八時なのだが、詳しくいうとその15分」)
 

 

 

 



■semicolon(セミコロン)[;]は、あることを言ったあと、別のことについて、「それに対してこちらは…」という意味で対称させるときにつかう。

 

We are never deceived; we deceive ourselves. (Goethe)  「われわれはけっして騙されるのではない。みずからをあざむくだけだ」(ゲーテ)… 強く前後を対称させながらつなげている。

 

 

セミコロンは、互いに独立した内容をつなげるものなので、ピリオドにして、別の文にすることもできる。

 

 

She liked him; he was kind to her; he was rich. (ピリオドにするとニュアンスは変わるが、意味は通じる)

 

 

セミコロンの重要な用法は、consequently,  furthemore, nevertheless, however, also, besides, moreover, otherwise, hence, then, thus のような「接続副詞」の前に置いて、前後を切断しつつ接続する書き方である。

 


He graduated; however, he was unable to get any job. 
 

 

 

 

 

 


簡単には、: (コロン)は「すなわち」(=)、;(セミコロン)は「ところが」(⇔)と覚えておくといい。また、コロンのほうが使用頻度が高く、セミコロンはそうしょっちゅう使われるわけではないことも、覚えておくと役立つだろう。
 

なお、タイピングでは、コロンもセミコロンも、その後を 1スペースあける決まりになっている。

 

 

 


(以上、原田敬一『英語句読法の知識と使い方』南雲堂、1985年、41-48頁を参考にした)

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 



 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 16:30 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
概念から認識への新ルート それがトランス・グラマーだ

概念と認識。この二つが、私には長いこと区別しにくかった。概念と認識の区別はむずかしい。むずかしいからこそ、キモなのだ。

 

認識は、個々の人が創造する個人的な観念である。概念は、人々が表現を交換するうちに凝固した、社会的な、既定の観念である。個々人は、概念をそれぞれの仕方で分有している。たいていの概念は、辞書に載っている。

 

概念の例をあげてみよう。次の表は、小学校で教える日本語の「こそあど」の概念体系である。

 

 

 

 

 

品詞

近称(こ)

中称(そ)

遠称(あ)

不定称(ど)

名詞

(代名詞)

事物

これ

それ

あれ

どれ

場所

ここ

そこ

あそこ

どこ

方角

こちら

こっち

そちら

そっち

あちら

あっち

どちら

どっち

連体詞

この

その

あの

どの

副詞

こう

そう

ああ

どう

形容動詞

こんなだ

そんなだ

あんなだ

どんなだ

 

 

 

 

この表は、概念どうしの関係、すなわち個々の話し手とは無関係に、概念どうしが自立的につくった秩序を表している。もちろん、個々の具体的な認識においては、日本語を話す人がこうした概念の体系をいちいち意識しているわけではない。

 

認識は個人的で、概念は社会的だというのは、このようなことを指している。概念は、個々の認識よりも抽象的な、社会的な観念であって、個々の話者のばらばらな認識とは次元が異なり、概念どうしで関連しあっている。

  

個人の認識は、社会的な概念にのっとって行われる。社会的な概念は、個人の認識とその表現の集積によって創造され、発展する。談話、定義、詩、小説といった具体的な言語表現は、個々の認識が概念の体系にのっとって表現体に転換されたものである。

 

 

 

 

概念と認識の違いを理解することは、外国語の習得のような場面で決定的に重要となる。

  

外国語の学習のとき、人は母語の概念による認識と、母語風の表現体(発音)に頼りがちである。しかし、これをすると、大変な遠回りを強いられることになる。

 

母語への依存による遠回りをなくすために、二つのルートが考えられる。

 

一つは、<認識から概念へ>というルートである。たとえば、具体的場面を写真や漫画や例文でたくさん見せて、英語の前置詞の概念を理解させようとする場合がそれである。 この方法は、直感的にわかる画像イメージを利用して、母語による認識を回避しているところが優れており、一定の効果があるが、単調で、飽きてしまうし、正確な概念に到達できる保障もない。現在行われている言語教育は、こちらのルートがメインであろう。

 

もうひとつルートは、<概念から認識へ>という逆方向からのアプローチである。まず外国語の概念をつかむ。それには、概念がわかる図表や動画を用いてもよいし、堂々と日本語を使ってもよい。

 

簡単な概念なら、図表や動画でもわかることがある。しかし、複雑な概念を理解するには、言語に頼るしかない。この時、無理に外国語を外国語で教える必要はない。母語もまた言語である以上、概念の直接的表現であるから、母語は外国語の概念を説明の対象にすることができるのである。わかるために使った言語は母語でも、わかった内容は外国語の概念である、ということが可能なのだ。これは、サッカーのルールや技術を教えるには、何語で指導しても良いことに似ている。

 

日本で流布している学校英文法は、「主語」「動詞」など、英文の中で語が働く機能による説明が中心になっている。しかも、練習方法が母語依存の「英文和訳」なので、本来の英語の概念に入りこみにくい。

 

図表、動画、母語によってつかんだ外国語の概念によって、具体的な場面で自分の認識を作り、この認識を外国語の表現体(音声と文字)によって表現する練習をする。こうすれば、母語への依存は回避できる。<概念から認識へ>のルートは開拓できるのである。

 

このような、<概念から認識へ>のルートは、これまで本格的に探求されなかった、ほぼ未踏のルートだと言える。英語への未踏のルートを日本語で表現したものが、私のトランス・グラマーである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
概念は<心内の対象を認識する・語彙を組み合わせる>ための規範として現象する

概念は、社会に共有された認識であるから、個人の認識は、概念にもとづいて表現すれば他者に通じる。

 

サッカーの選手は、ルールがあってはじめて他者とプレーができるように、言語の話者は、概念という社会共通の基準があってはじめて、自分の認識を他者にわかってもらえる。

 

 

心内の規範としての概念は、

 

 

心の対象を認識するための規範として現象する。語彙段階。

 

概念を組み合わせて複雑な認識を整序するための規範として現象する。いわば、概念のための概念である。句、節、文、あるいは文を集めた文章段階。

 

 

概念というと、上記の,鮖悗垢海箸多いが、概念の整序のための概念である△砲眞輒椶垢戮である。

 

 

 

 

言語には、認識を音声・文字によって物質的に表現するための規範(表現規範)もある。この物質化のための規範も、

 

 

個々の語を表現するための規範。つづり、発声。

 

文、文章(文が集まった思考のまとまり)を、まとまりとして整序して表現するための規範。声の高さ、イントネーションなど。

 

 

の二段階がある。表現規範といえば ,鮖悗垢海箸多いが、表現を整序するための規範である △砲眞輒椶垢戮である。

 

 

 

 

表現規範は、心内で規範として現象する上記の概念とは異なり、概念を体外へと表現するための規範である。そして、心内規範と表現規範が共同して、言語を可能にしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
新装開店に”NEW OPEN” は日本語です

「新装開店」の意味で ”NEW OPEN” と書いてある掲示を、ときどき見かける。

 

 

<新装+開店> → <ニューで+オープン> → <new open>

 

 

としたくなる気持ちはわかる。

 

ただ、英語としてみると、"new open" は「新しい開く」のような言い方をしていることになり、片言っぽい。

 

  "We newly open."  などとするか、宣伝文句なら

 

 

 

NEW SHOP OPENING!

 

 

 

とするとおさまりが良い。

 

open ではなく、opening にすることで、「すでに開店準備がはじまっています」「まさに開業したばかりです」のような臨場感が出るので、おすすめである。

 

 

 

ときどき見かける"Grand Open" というのも、英語として表現するなら、

 

 

Grand Opening!

 

 

にしたほうが良い。

 

 

もっとも、日本語の感覚では、こんな英語っぽい言い方よりも、 NEW OPEN や GRAND OPEN のほうがぴったりくるのも事実である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Rohan Perth

 

スコットランドのアウトドア衣料品チェーンの広告.  "NEW Store Opening" とある.

storeは、shopよりも品揃えが豊富で大きい店というイメージがある.

 

http://rohantime.com/24165/rohan-perth-new-store-opening/

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 08:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「心の対象を概念によって認識し、規範にてらして表現する」 それが言語だ

人が心を向けた対象を、概念によって認識し、規範にてらして表現する。これが言語である。

 

 

「対象」とは、個々人が抱く心の中の実在のことで、それが語彙や語順のような規範にもとづいて概念化される。

 

「概念」とは、対象の本質の社会的認識である。概念じたいは無色透明、無音無形だが、実際には、言語ごとに形成された音声・文字と結びついて運用される。

 

「認識」とは、個々人が抱く、自分の心の中の対象についての観念化作用、もしくはその結果たる観念的内容である。認識は、そのまま言語化されるとは限らず、虚言や無言によって表現されたり、動作、表情、絵画、音楽など、言語以外の表現体によって表現されることも多い。

 

言語の「表現」とは、物質的形象化のための社会的規範にもとづいて概念の連なりを物質化した音声・文字のことで、これが客観的な意味での「言語」である。

 

言語は、語彙、語順、物質的表現のための規範に準拠し、場面に応じた特殊性をもって表現される。言語の文法書(規範の記述)はあっても、絵画の文法書はとくにない。これは、言語は人間の表現のなかでもっとも抽象的かつ正確な概念的表現であるから、そのぶん、規範が精密になっているからである。

 

 

 

 

自分の母語の仕組みを意識化することは、誰にとっても難しい。だから言語の仕組みは、外国語の仕組みを記述したり習得しようとする中で意識化されることが多かった。

 

外国語の習得とは、その外国語の<概念+表現体>を規範にして、自分の認識を表現したり、他人の表現を理解できる身体をつくることなのだ、ということを意識すると良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
統計学は数による数の言語化

統計学では、数字がもつ意味に四種類あるそうだ。
 

 


仝澆い魘菠未垢襪燭瓩砲弔う数字(いわゆる番号)。例・男は1、女は2。従業員番号125。  (名義尺度)

⊃瑤示す順序(大小)に意味がある場合。例・嫌いは0、好きは1、大好きは2。売上成績3位。  (順序尺度)

数の間隔に意味がある場合。例・体温36度と体温39度。 (間隔尺度)

じ澆い亡慙△気擦瞳彁擦垢襪醗嫐が出てくる場合。例・身長175センチで体重90キロ。そこから肥満度が計算できる。 (比例尺度)
 

 


,鉢△麓租データと呼ばれ、単純にかけ合わせるといった計算をしても、人間にとっては意味がない。そこで、統計学では特殊な解析方法が開発されている。

とい藁姪データと呼ばれ、互いに通常の計算をすれば、人間にとって意味ある結果がえられる。



(涌井善幸『統計解析がわかった』日本実業出版社、2008年、156−157頁)

 

 

 

統計学では、数字の意味は数字じたいが決めるのではないらしい。数字の世界だけで完結する数学とちがって、統計学は、人間にとっての数字の「意味」を解析するための学問なのだ。

 

数学は、数という概念の世界の探求。統計学は、数という概念の世界が表す、人間にとっての認識上の意味の探求。

 

数字が表す概念は、個々の人間の認識とは別次元のもので、それ自体で独立した世界を作る。この数の概念の世界の探求が、数学である。人間にとっては、数学が表す数字の組み合わせ(概念)がどんな意味を持つのかは、わかりにくい。

 

統計学は、現実世界をいったん数という概念に変換したあと、それが人間にとってもつ意味へと再転換する学問、ということだろう。

 

もしそうなら、数学と統計学の関係は、言語の仕組みに似ているところがある。話者は、自分の心に実在する対象を、概念による認識へと変換するが、この概念による認識を無音無形のままにしておいたのでは、他の人に意味(対象・概念・認識の間の関係)がわからない。そこで、この概念による認識を音声・文字という表現体へと再転換することで、意味あらしめる。

 

言語は、数学と統計学が合体したようなものなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
英語の世界への三つのドア 発声・冠詞・前置詞

日本人が英語を習得するとき、三つの壁がある。

 

 

一つめは発声である。小学校で習うローマ字が英語のアルファベットと同じ文字であり、ワープロでもローマ字変換を使う。そのため、意識して練習しないと、われわれは英語の綴りをついついローマ字読みしてしまう。 "e" や "o" を「エ」「オ」と読んだり、"r" を日本語の「らりるれろ」で代用したりするのは、英語ではないものを英語だと勘違いする、第一の「壁」である。

 

 

二つめは冠詞である。日本語には、冠詞にあたるものがないため、「英文和訳」では訳す必要がないことが多い。だから、「英文和訳」に頼っていると、いつまでたっても冠詞についての理解が深まらず、苦手となる。

 

 

三つめは前置詞である。冠詞とは逆に、日本語には助詞(てにをは)という前置詞類似のものがある。だから、「英文和訳」に頼っていると、前置詞に日本語の「てにをは」を適宜あてはめて満足してしまう。そのため、英語の前置詞が本来どういう概念による認識なのか、なかなか習得できない。

 

 

 

他に語順感覚の習得や、表現チャンスの不足といった問題があるが、初めに壁になるのは、この三つである。この三つが壁だということは、これを崩せば、それが新しい世界の入り口になるということである。

 

三つの壁を崩すには、冠詞、前置詞を含む英語の概念を理解し(このとき日本語で説明してOK)、その英語の概念で対象を認識して、英語の発声で表現する練習をすればよい。「英文和訳」ではなく、「英語の概念による自分の認識を、英語の発声で表現」すればよいのである。そうすれば、自分が発した英語の意味(英語の概念・認識・発声の三者の関係)を、日本語を介さず直接経験できる。

 

壁が発見できたなら、そここそチャンスととらえて意識的に攻略すれば、壁がそのままドアになり、英語の世界に入れる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ラスベガス銃乱射事件 その意味は?

ラスベガスでの銃乱射事件は、死者が60人近くになったようだ。

 

トランプがツイッターにこう書いたらしい。「アメリカ国民は、事件の意味を理解しようと模索している。...they are "searching for some kind of meaning."」

 

これはなかなか適切な表現だ。

 

人は、自分が個人として認識した対象を、社会に通用している(と思われる)概念に照らして、思ったり話したり聞いたりする。「意味 meaning」とは、そのとき感じる、自分と社会にとってのメッセージである。

 

「意味を模索している」というのは、事件の内容は認識できても、それを意味づける適切な概念が見つからないということである。銃規制の不足が悪いのか、異常な人間がまた一人いたというだけなのか、社会全体に問題があるのか、犠牲になった人々の家族は.. といった疑問が渦巻き、人々は事態をうまく理解できないでいる。

 

時間の経過とともに、それぞれの人がそれぞれに、事件の「意味」を見出していくだろう。そして悲しいことに、銃が蔓延する社会に利権の根を張っている連中の下で、また庶民が犠牲になるだろう。

 

 

 

 

...

 

 

 

'Unspeakable,' 'Incomparable.' Why Words Fail to Describe the Las Vegas Shooting

Time, Oct.03, 2017

 

... Trump described the event by its indescribable nature too, saying we "cannot fathom" the feelings of the 59 families who lost a parent, a child, a brother or a sister; calling the shower of bullets that rained down from a 32nd-floor hotel room "senseless"; telling the American people that he knows they are "searching for some kind of meaning."

 

http://time.com/4965881/unspeakable-tragedy-terrorism-las-vegas/

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 03:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「冠詞、前置詞、等閑にすべからず」(内村鑑三)

明治初期の有名なキリスト教徒には下級武士の出身者が多いが、これは忠誠をつくす主君や将軍が明治維新でいなくなったため、かわりにキリスト教の「神」へと、忠誠の対象をスイッチしたのですよ...。 故司馬遼太郎氏が、テレビでサラリとそう述べたのを見たことがある。

 

なるほど、明治時代に旧武士階級がキリスト教徒になったのは、そういうつながりだったのかもしれない。

その代表例が内村鑑三(1861-1930. 高崎藩士の長男として生まれる)であるが、次の文を読むと、英語でさえも「敵国」になっている。いかにも武士の発想である。

 

 

 


「曉得(ぎょうとく)せんとする外國語に對(たい)しては、専領せんとする敵國に對する観念を抱かざるべからず、

 

即ち之(これ)を討平せざれば休まずとの覚悟是(こ)れなり。敵地に入て克服を全(まっと)うせざる部分を遺(のこ)すことは患(わずらい)を後日に遺すことなり。

 

冠詞なり、前置詞なり、小は則ち小なりと雖(いえど)も、之を等閑に附して全部の透徹は決して望むべからず。

 

 

(内村鑑三(亀井俊介解説)『外國語之研究 復刻版』南雲堂、1984年(原本1899年)、62頁)

 

 

 

 


内村鑑三の力強い英文の背景には、烈々たるサムライの戦闘精神があったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
冠詞、前置詞は、同時通訳者でも難しい 國弘正雄氏の告白

日英同時通訳の草分けで、格調ある”クニヒロ・イングリッシュ”の使い手として知られる國弘正雄氏(1930-)。

 

國弘氏の著書の一冊に、『怒濤の入試英作文 基礎20題』(たちばな出版、2003年)というのがある。

 

大学受験者向けの参考書の体裁をとっているが、実際の答案例の添削を通じて、英語とはどういうものかを深く考えさせる好著である。

 

この本の「はじめに」で、國弘氏は次のように正直な気持ちを書いている。

 

<あの達人にして、この心境?>という驚きとともに、静かな共感があったので、メモしておく。

 

 

 

 

「英語教育に携わる人びとにとって、なにが自信を持ちえぬ難題といって、和文英訳にすぎるものはない。

 

 

われわれにとって英語はしょせんは外国語、子守唄を聞いて育った母語ではない、だからどこまでいっても、隔靴掻痒(かっかそうよう)の憾(うら)みは残る。

 

 

不肖、小生も英語を母語とする国に長年を過し、教育テレビやラジオ番組で、斬れば血の出る英語を使うべく努力はしてきたが、和文英訳ないしは英作文となると、本当のところは自信がない。われわれに可能なのは、多くの英文を読み聞き、英借文に邁進するのがせいぜいである。

 

外国人の日本語学習者にとって、てにをは、つまりは助詞の使い方がむずかしく、敬語をキチッと使いこなすことに難渋するように、たとえば冠詞や前置詞、それに名詞が単数形か複数形かなどという点になると、日暮れて道遠しの思いが離れない。一生が修行だと思い知らされては、トボトボと重い足取りを進めるばかりである。」

 

 

(國弘正雄『怒濤の入試英作文 基礎20題』たちばな出版、2003年、3頁)

 

 

 

...

 

 

 

この「道遠し」問題について、私は次のようなことを思う。

 

 

◯ 日本にいるわれわれとしては、なんでも英語で言えるようになる、書けるようになって、ようやく「英語ができる」といえるのだ、というような超人的発想はとらないほうがよい。

 

そもそもネイティブでも、なんでも書ける・わかるわけではない。たとえば私は、日本語でも医学や物理の論文は書けないし、読んでも理解できない。

 

 

「道順のような日常的なことが言えるようになってから、次にいかないと…」

 

 

というような発想をする人がいるが、これも勘違いである。道順のような生活的な事柄ほど、非ネイティブは聞いたり表現したりする経験をもちにくいので、習得は難しい。それに、たとえそういうことが表現できたとしても、文化的に高い内容というわけでもない。

 

たとえば、日本語にも英語にも九九の暗唱法があり、幼いときに学校で習得する。九九はネイティブの証しのようなものである。では、九九を英語で言えることが英語の習得に絶対必要かというと、そういうわけでもない。

 

 

むしろ、自分に必要な分野、関心のある分野を特定する。これが外国語を楽しみながら上達していく実際的なやり方である。もしも、道順が言える、ホテルで苦情が言える、英語で日記が書ける、それが私のめざす分野だ、というなら、それを極めるのも一法である。

 

 

 

◯ それにしても、上記の國弘氏の文にあるように、「たとえば冠詞や前置詞、それに名詞が単数形か複数形かなどという点」について、われわれ非ネイティブが自分なりの自信をもって話したり書けたりできる文法の確立が急務である。英文という表現を成立させるまでのプロセスを正確に追体験できる方法が、実はまだ存在しないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この鳥は、右下からの飛翔の跡を感じさせる。

この鳥が右下にいたら、左上への飛翔を予想させるだろう。

達成と未来では、意識の置き場がちがう。未来を見ながら、

すでに達成した姿を強くイメージするとき、飛翔は確実になる。

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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