ごきげんようチャンネル


たとい法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう.

               嘆異抄

ヘレン・ケラー "WATER!" にみる言語の真実
ヘレン・ケラーの自伝から抜粋。

有名な"WATER! "の場面。

ヘレンは、ものに名前があることを知らなかった。

あるとき、サリバン先生は井戸水をヘレンの手のひらに流し、すぐにWATER と手のひらに書いてあげた。




「そのときです。体中に電流が走りました。私は今、手に触れている冷たいものが WATER というものであり、ものにはみな名前があることを知ったのでした。

人形にも、お菓子にも、イヌにも、すべてには、そのものにしかない名前がある。そう知ったとき、ひとつひとつのものがなんといとおしく感じたことでしょう。

この時から、私の周りの世界は息を吹き返し、躍動しはじめました。

私の手を通して感じる世界は、あたたかな光の世界へと変わったのです。私はこの手のひらに、すべての闇を照らす太陽をもつことができました。… 太陽は私の中にありました。」




ものにはすべて「名前」がある。「名前」によって、実際世界とは別に、観念の世界が自立する。そのとき、世界は躍動する。

最初にそれに気づいたのが WATERという「名前」すなわち「名詞」であったのは、偶然ではない。言語は実体(表現して「名詞」)を足場にして、実際世界から自立した世界をつくるからである。

健常者には見えにくい言語の原初的真実が、「太陽」として光を放ち、ヘレンに出現した瞬間である。



そして、ものには名前があると知ったとき、ひとつひとつのものが「いとおしく感じた」というヘレンの言葉が素晴らしい。

そこには、上記のような言語の一般的特徴を越えた、ヘレン自身の感覚が表現されている。











 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 言語 | 22:22 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
ウクライナ問題の盲点
ウクライナの状況が緊迫している。

報道をみていて、ハッとさせられたコメントがあった。

米露関係の研究者・コーエン教授(ニューヨーク大学)の指摘である。



http://www.pbs.org/newshour/bb/debating-moscows-military-moves-crimea/#transcript



◯ ロシアにとって、グルジアやウクライナのような地続きの周辺地域は、アメリカにとってのカナダやメキシコとは意味がちがう。

アメリカがカナダやメキシコに軍事介入したりしないのと同様、ロシアも当然、グルジアやウクライナに介入すべきでないというのが、アメリカの発想である。

しかし、ロシアはそうは考えていない。

むろん、ロシアが本来、グルジアやウクライナに介入する権利があるのかどうかは議論の対象になりうる。

だが現在、ロシアがそのような発想に立っていることは事実であって、そのことはふまえなければならない。



STEPHEN COHEN: Well, let me turn it back to you, because it — what I hear is in the American commentary is, Russia has no legitimate national interests abroad, not even on its borders, as though we don’t care what happens in Canada and Mexico.



この根本的な発想の違いを無視し、ロシアをただ非難し、その結果、いつか住民を戦争に巻き込むとすれば、外交のやり方として「根本的に間違っている I think they’re fundamentally wrong. 」





◯キエフの「政権」は、憲法ももたず、選挙も経ていない。これは正当な政権というより、今のところ過激派の集団にすぎないとみるべきである。彼らは極端な言葉でロシアを挑発し、東西の対立関係をあおり、西側の援助を引き出すことで権力を維持しようとしている。

 

STEPHEN COHEN: Well, I don’t think Kerry is going to Kiev for the reason he’s giving. He says he’s going to find out what this so-called government in Kiev wants.

It’s an extremist government with no constitutional or international legitimacy. It’s unelected. 
 


 


◯ウクライナには、ロシア人とウクライナ系の夫婦で、子どもをもうけている人が数千万人もいる。こうした人たちからみれば、<ロシアか、ウクライナか>は無意味な選択である。

このような住民の現実をふまえず、互いに自分の発想を相手に押しつけようとする大国の空論的外交の結果、じっさいに戦争になったとき、その禍根は将来の世代にまで及ぶだろう。
 



STEPHEN COHEN: Now imagine that on the borders of Russia. I mean, just imagine what that means, the possibility of provocation, the possibility of misunderstanding.
 

And let me mention one other thing. You want to talk about Russia’s ties to Ukraine? There is simply much more primary. Tens of millions of Russians and Ukrainians are married. They are married. They are conjugal. They have children together.
 

You want to divide — put a new Iron Curtain or whatever you call it right through that biological reality? This is madness. It’s gone too far.








(おわり)







 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 歴史とは何か | 09:15 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
ピート・シーガー逝く
アメリカのフォークシンガー、ピート・シーガー氏が亡くなった(94歳)。


http://www.pbs.org/newshour/bb/remember/jan-june14/seeger_01-28.html


PBSの追悼コーナーを見ていて、ふたつ印象に残った言葉があった。

ひとつは、ピート自身が晩年にインタビューで語った言葉。




「歌をうたったから、それでどうなるというものでもないかもしれない。でも、歌で人生が変わったという人はいるよ。キング牧師の運動をみれば、歌がどれほど大事かわかる。ルイス[労働運動の有名な指導者]は、みんなが歌う運動になれば勝てると言った。


"No one can tell what a song can do. All you can do is quote people who said, well, that song changed my life or something like that. And leaders like Dr. King have testified how important music has been in the movement. John L. Lewis said a sing movement is a winning movement."




もうひとつは、ピートの弟分?的に親交があった、ピーター・ポール・アンド・マリーのピーターの言葉。


ピート・シーガーは、僕たちを先導してくれた。彼がいたから、何をすればいいかわかったんだ。彼は自分自身の美学、良心を生きた。彼が考えていたことは、われわれの基盤になった。われわれは、運動の力になってくれと言われれば、いつでも音楽をたずさえて参加した。それは今でも変わらない。」


"He gave our life direction. He was our inspiration. He lived his ethic. And his whole perspective, which was that music was there to bring people's hearts together, was really the basis for Peter, Paul, and Mary's doing what we did, and always using the music when we were called upon to be a part of the March on Washington in '63, the Selma, Montgomery, march, the anti-war movement, and even through today."



やはり、人生で大事なのは、いかに自分を信じるか、そしてそのとおり実行するかどうかなのだ。










 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 06:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
NHK新会長の「慰安婦」暴言は無知からきている BBCも報道
NHK新会長が、就任早々、しかも最初の記者会見で、早くも「窮地にいる is in deep trouble」と、BBCが報道している。



http://www.bbc.co.uk/podcasts/series/globalnews



従軍慰安婦、NHKと政府の関係、領土問題などについての彼の発言内容が紹介され、彼はビジネスマンだが、報道関係の経験はなく、安倍政権が「NHKを従わせるため to bring the national broadcaster to heel」に送り込んだ人物と理解されているとも述べている。

ところが、この記者会見での暴言で、NHKを従わせるというより、「かえって不首尾 backfire」な事態になってしまったと、BBCは述べている。

この問題がどこまで波紋を広げるかは、日本の民主主義の行方をうらなうものになるだろう。



※なお、日本軍の慰安所では売春が強制されたこと、すなわち組織的強姦であったことが、他にはない大きな特徴である。そこが広く理解されていないために、「軍関係の慰安所は他国にもあった」というようなピントはずれの発言が一定の「共感」を得つづけている。








 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 10:58 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
白湯(さゆ)パワーに注目!
国際線のフライト・アテンダントに聞いた話だが、中国人は機内で暖かい白湯(さゆ)を注文するという。

彼らの知恵で、冷えを防止し、腸をととのえ、乾燥した機内での水分補給になる。

じつは、コーヒー・紅茶を飲んでも、身体にとっては白湯ほどの水分補給にならないのだそうだ。



そういう話を聞くと、さっそくやってみることにしている。



朝起きて、コップにたっぷりの白湯を飲んでみた。そのあと食事(スムージーなどとくに良いらしい)。よくかんで、胃を刺激する。

二時間後、いい感じでトイレに行きたくなった。


飲んでみて気がついたのだが、白湯は意外においしい。コーヒーや紅茶より、湯気をかぐとホッとできる感じがある。


経済的だし、なによりシンプル。


これはつづけてみよう。











 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 19:59 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
「影をなくした男」考 影は超越のシンボル
シャミッソー(池内紀訳)『影をなくした男』(岩波文庫、原作1814年)


自己論の参考になるかも…と思って読んでみた。

もしも人間に影がなかったら、この世のものではない。

この作品は、主人公が影を売ってしまったことがいろいろな不幸を呼ぶのだが、その事情について説明不足の感じがあって、私は楽しめなかった。


作者のシャミッソーは、フランスの貴族の家に生まれたが、フランス革命で一家は特権を剥奪され、15歳からドイツに住んで、「フランス系ドイツ人」ともいうべき、祖国のはっきりしない人物になったという。そこで、この作品の「影」とは、彼が亡くした祖国のことだろうと推測した人が多かったらしい。(訳者解説、146頁)

なるほど祖国は、なくしてはじめて意味の大きさがわかる。そこが影に似ている。



さて、巻末にある訳者の回想によると、子どものころ影踏みごっこをしていたら、ふと、影のほうが主人公で、自分はその従属物のような気がしたという。



「自分が黒い小鬼の指図のままに身ぶり手ぶりをしているような気がして、おもわず足をすくませた」137頁




私には、訳者のこの言葉がいちばん面白かった。



自分の従属物であるはずの「影」が自立し、自分を支配しはじめる。

精神の不安定は、なべてこうして起こる。

この作品は、そういうテーマの展開だと思えばいいのだろう。




自分の影は、自分につきものである。自分が影(もう一人の自分)をつくり、これによってわれわれは時空を超える。



最後に、この作品に附属している詩の一節を引いておく。


「影とはなにか?

どうして世間は意地悪く

これほど影を尊ぶのか

ぼくがこの世に生をうけて以来

53年の歳月が流れたが

その間ずっと影が命だったでもいうのだろうか

命が影として消え失せるのに」134頁













 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 言語の資本論を書く | 17:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
プルーストの「私」について なぜ「私」が<普遍的非人称>になれるか
マルセル・プルースト(1871-1922)の「失われた時を求めて」の「私」について、興味深い指摘をした本があることを教えてくれた人がいた。



鈴木道彦『マルセル・プルーストの誕生』(藤原書店、2013年)



プルーストの「私 je」は、プルースト自身というより、むしろ、



「人間の原型、普遍的で非人称的な、同時にプルーストでもあれば全人類でもある原型」



であるというのである。68頁。



これは当時の現象学や匿名性の文学と関係があるというが 26頁、ここでは、なぜ「私」が一人称の限界を超えて、普遍的な非人称として自立できるか、ということについてメモしておきたい。


英語の "I" も同じだが、一人称とは、話し手が自己を話し手として認識したことを表す呼体詞(いわゆる代名詞)である。

呼体詞に限らず、言語があらわす概念には、具体性とともに普遍性がある。たとえば、すべての具体的な個人は、誰もが自分を "I" と呼ぶ。この "I" は、他にはない具体的な「私」であると同時に、<自分にとっての自分>という普遍的な関係(誰もがもつ関係)を表現してもいる。

だから、プルーストが「私」と書いているのをみて、われわれは、それが作者プルーストであると同時に、われわれ自身のことでもあると了解することができる。

プルーストは、<具体的であると同時に普遍的>という言語の性質を利用して、いったん読者の「私」に入り込む。この回り道をたどって、プルーストは、他者と自分をふくむ普遍的な「私」に到達しようとしたのである。(66頁同旨)



プルーストがこの作品のなかでほとんどすべて「私 je」とだけ述べて、それが誰であるか、固有名詞で示さなかったのは、「私」が誰でもあることを示唆するためであった。

ならば 「私」でなくて、「彼」でもよかったのかもしれないが、「彼」だと女性ではないという限定がつくこともあって、プルーストは「私」を選んだのかもしれない(じっさい、プルーストは同性愛者でもあった)。


プルーストの「私」は、具体的でありながら普遍的という概念の本質が、芸術の志向力によって異様な力を獲得した例なのだ。



最後に、本書からプルーストの言葉を引いておく。



「文体というものは、ある人びとが考えているのととちがって、いささかも文の飾りではありません。技術の問題ですらありません。

それはー画家における色彩のようにーヴィジョンの質であり、われわれ各人が見ていて他人には見えない特殊な宇宙の啓示です。」472頁。










 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 言語の資本論を書く | 18:25 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
”メタデータ” の不気味な世界
去年、アメリカのNSAが、事実上世界中のデジタル通信のデータを収集していることがわかった。

それで知られるようになった言葉が、”メタデータ metadata” 。




”メタデータ” とは、<データのデータ>のことで、たとえば、iPhoneで電話をかけると、かけた場所、受話器の製造番号、通話時間、同じ人に何時何回電話したか、といった<データのデータ>が収集される。



http://america.aljazeera.com/watch/shows/america-tonight/america-tonight-blog/2013/12/30/trends-you-mightnothavenoticedin2013.html



”メタデータ”は、個々の通話を把握しているのだが、通話内容そのものは傍聴していないというのがミソで、プライバシーの侵害とか、国家による組織的盗聴だとかいう非難を避けるためのポイントになっている。

だが、”メタデータ” が通話内容の把握につながっていることは明白で、だからこそテロリズムの捜査に使っているわけである。





この話で興味をひくのは、データというものは単層ではないということである。”データのデータ” があるのだ。ならば、"データのデータのデータ” へと到達する道もあるのかもしれない。



この話は、マルクスの<使用価値と価値>の分析を思い出させるところがある。

商品には、それぞれ異なる使用価値(データ)があるが、その底には、どの商品も人間労働の支出の成果であるという意味で同質の<価値>(データのデータ)が共有されている。

そしてマルクスの分析にはさらにもう一層がある。それが価値形態である。

価値形態は、単独の商品ごとに見るのではなく、複数の商品を等式関係に置くことで現れ、発展するもので、使用価値(データ)と価値(データのデータ)をつなぐ役割をする。

価値形態は、いわば第三層のデータ(データのデータのデータ)である。




アメリカなどがやっている<データのデータ>集めの最終目的は、通信の内容を表す<データ>を知ることである。

だが、<データのデータのデータ>を発展させるのは誰かというと、それは生身の人間、すなわちわれわれ通信利用者なのだと思う。















 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 記号論 | 21:08 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
人生を変えたふたつのマンデラ演説
TIME誌に、故マンデラ氏の有名な演説の一節が紹介されている。

いずれも、現場で聴いていた女性(現在58才)が覚えている言葉で、「自分の人生を完全に変えた言葉でした」というものである。


ひとつは、1990年、マンデラ氏が監獄から解放されて最初の演説。



「私が戦っているのは、白人の支配でもなく、黒人の支配でもない。すべての人が平等の機会と調和のうちに生活できる自由な社会。そのために私は生きたいし、必要なら死んでもいい。」



これを聴いた彼女は、それまで白人を憎んでいたが、「前に進みたいなら、相手とひとつになって慈悲の心をもつこと。憾みや敵意は人を後退させるだけ。 If you’re going to move forward, you can only unite and show love. Bitterness and hatred take you backwards.」と気づいたという。


Then, to a dangerously surging crowd, he repeated his words from his trial in 1964 at which he had been sentenced to life in prison. “’I have fought against white domination and I have fought against black domination,” said Mandela. “I have cherished the ideal of a democratic and free society in which all persons live together in harmony and with equal opportunities. It is an ideal which I hope to live for and to achieve. But if needs be, it is an ideal for which I am prepared to die.”
 

Watching then on television, transfixed, was ANC activist Charlotte Petersen-Davids. Now 58, she was in the crowd on Friday. “That speech changed me completely,” she said. “I never liked white people. I saw them as my oppressors. Those words taught me that if you’re going to move forward, you can only unite and show love. Bitterness and hatred take you backwards.”
 




もうひとつ、彼女を変えたのは、マンデラ氏が教育の重要性について指摘した演説だった。


「教育は、世界を変える最大の武器だ。Education is the most powerful weapon with which you can change the world.」


これを聴いた彼女は、40代で学校に行き直し、いまは看護士になるために大学に通っているという。
 

Not long afterwards, another famous Mandela speech changed Petersen-Davids a second time, she said. “Madiba said, ‘Education is the most powerful weapon with which you can change the world,’” she said. “I was crying. I thought, ‘This man is coming out of prison and he cares about whether we’re going to school.’” In her 40s, she went back to school, then onto university. “Now I’m studying to be a staff nurse at medical college. I’m 58!” She laughed. “He changed my life,” she said. “He changed the whole world.”






Read more: Nelson Mandela's Jailer Mourns Madiba's Passing | TIME.com http://world.time.com/2013/12/06/mandelas-jailer-he-was-my-prisoner-but-he-was-my-father/#ixzz2oiy5zRj0










 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 50代の気持ち | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
安倍首相の靖国参拝 シェイクスピアの"Sea Change" と福沢諭吉の「情海」に溺れるのは誰か
安倍晋三が靖国神社に「内閣総理大臣」として参拝した。

辺野古の米軍基地建設を、沖縄県知事が承認した。

秘密保護法はすでに成立した。

憲法改正という面倒を回避する手法をもちいて、戦争のための体制は整った。








このごろ、アメリカのメディアの見出しに、Sea Change という言葉が多くなっているような気がする。

Sea Change は、17世紀のシェイクスピアが「テンペスト」のなかで使った言葉で、現在では海の水塊の動きや潮位の変化のように、どうにもならない根底からの大変化を指す。


Sea Change は、誰にも止められない。




日本では、福沢諭吉が19世紀末の著作「民情一新」で、「情海」という言葉をつかっている。



「けだし今の世界の人類は常に理を情との間に彷徨して帰するところを知らず。

これを要するに、細事は理に依頼して大事は情に出て成るの風なれば、その情海の波に乗ぜられて非常の挙動に及ぶもまた、これを如何ともすべからず。」



(引用は、丸山眞男・加藤周一『翻訳と日本の近代』岩波新書、1996年、171-172頁より)




福沢の「情海」は、シェイクスピアの Sea Change であろう。









安倍政権の方向が「情海」であり、Sea Change だというのではない。逆である。


これだけ疲弊した地球と世界に、彼らの愚劣を許す余裕があるとは思えない。




やがて盛り上がる「情海」のSea Change に飲み込まれ、溺れ、消えていくのは、彼らであろう。











 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 靖国神社 | 08:17 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
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