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死を超えるジャパンメソッド・武士道(4/7)

■太平記の時代

いったん確立した規範は、やがて形式化する。

鎌倉以降、武士道もお題目やうわべだけのものとなり、実際の行動が卑しい者も増えていった。

といっても室町時代の武士は、堕落のままにまかせたのではない。堕落を克服するひとつの方法が、放恣なまでの華美をあえて実行する「ばさら」であった。56頁。

「ばさら」とは、異様な「狂」の風体をいう。そこには、そのまま死んでも本望だという「死のいでたち」の覚悟がみえる。それゆえ、「ばさら」は武士道のひとつのあり方なのだ。

美しくあること、覚悟をかたちで見せること。それが生と死という対立を超える(いつ死んでも悔いはないほど今を充実させる)方法たりうることを、武士たちは知っていたのだ。

 

 

 

■戦国時代

めったに聞かないが、ありうる素朴な疑問は、

「なぜ大名たちは戦ったのか?」

である。

甲斐だ三河だ美濃だと、それぞれの領国があってそれぞれに治めていた。ならばわざわざ戦争しなくてもいいではないか。なぜ共存できなかったのか?

人間の支配欲といった超歴史的な回答もあるが、ここでは答えをふたつばかり例示しよう。

 


ひとつは、一向一揆に代表される新しい民衆的勢力が台頭していた。それを押さえつけ、武士階級の支配を守るのは誰か。それを決めるために武士たちは互いに戦った、という回答である。

もうひとつは、経済圏の拡大が統一政権を要求したからだという回答である。朱印船貿易以来、白糸、鹿皮、鉛が輸入され、金銀が輸出され、国内生産力も上昇して、全国市場が形成されていった。自由な流通を要求する経済の力が、関所の通過代とか貨幣・度量衡の不統一といった障害を廃止できる強力な統一政権を要求したのだと。59頁。

 


いずれであったにせよ、ひとつ注意しておきたいのは、日本における全国統一の世界史的なタイミングである。

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
死を超えるジャパンメソッド・武士道(3/7)

■武士道には、もうひとつ特徴がある。

それは、美との親近性である。
 


「…私が驚いたのは、武士たちの戦さの庭に向かうときの服装の美しさである。私達はこれまで戦記物を読む場合、その服装の美しさについてあまりにも無頓着であったように思う。… 源平の合戦絵巻をひろげてみたらよいであろう。彼らは、どれも誠に美しい扮装をしている。」33ー34頁。
 


この本で奈良本氏は、武将たちのいでたちの美しさをくりかえし指摘している。

私にも似た経験がある。

尾張清洲城に登ると、信長たちの等身大の人形が展示してある。そこでまず目を引くのは、大将たる信長の衣装をはじめ、周囲の女性や家臣たちの華麗なファッションである。

それぞれの身分役柄にふさわしい素材と意匠が見事であり、現代をしのぐといってよいほどの、豪華で立派な出で立ちなのである。これは人形の展示にすぎないが、参考にはなると思う。

もうひとつ、私の体験は、70歳を過ぎた老人が、「何があってもいいように、毎朝部屋をきれいにしてから出かけます」と語っていたことである。

信長も、私が出会った老人も、「死のいでたち」35頁 を念頭においていたと考えれば得心がいく。

ましてや源平・太平記の時代の戦場の武将たちのファッションが美しいのは、それが「死のいでたち」であったからに違いない。

 

 

 

 

■生でも死でもない「絶対の境地」とか、「無私の境地」56頁 とかいう。

そんなものは不可能だー

そう思う人は多いだろうし、かつて私もそう思っていた。しかしこの本を読んで考えが変わった。


「死のいでたち」とは何か。

戦場では、精悍な馬と華麗な武具に身をつつむこと。日常においては、優しさと倹約ぶりをしめす身ぎれいな生活態度をたもつこと。

大将であろうが家臣であろうが、早死にしようが長生きしようが、死の瞬間は誰にもやってくる。その瞬間を美しくすることは、誰もが平等に行えることかもしれない。

死における絶対平等の実現。美による生と死の対立の克服。

これは武士道が人類に残した、おおいなる発見だったのではないか。

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
死を超えるジャパンメソッド・武士道(2/7)

■武士が公家をしのぐ知恵と美徳をそなえたのは、「どん底」の体験ゆえであった。
 

 


「たとえば源義朝を引き入れて平治の乱を起こした[公家の]藤原信頼は、計画がすべて破れたとき、「日本一の不覚人」とののしられる。

さらに信頼は、東国さして落ちて行こうとする義朝に追いすがって連行を頼んだが、義朝の答えは馬の鞭であった。信頼はこれまで散々に利用した武士から恥しめの鞭を頬にうけても、なんとも応じられない。

つまり敗戦のどん底から、武家の棟梁は公家というものの無力を十分に思い知ったのであった。それが結局においては武家の政権の成立につらなっていくのである。」42頁。
 

 


武家どうし競いあい、公家たちの狡知に翻弄され、公家の唾棄すべき実態を知ることを通して、武士たちは政権を担う実力を蓄えていった。

武士道が学問から発生したのではないのと同様、武士の成長も学問のゆえでなく、実地の体験のゆえであった。
 

 


「馬上天下を取るも、馬上天下を治むるべからず」
 

 


武士の成長は、武力というものの限界に気づくところから始まった。
 

 

 

■鎌倉幕府の成立は、古典的な武士道の確立をもたらした。

いまや政権を担うことになった武士たちは、「御家人」になる法的手続きによって公式に所領を安堵され、御成敗式目(1232年)のような武家特有の法によって律せられた。ここに武士は、公家から独立した政治空間を所有するにいたったのだ。

武士たちは、戦場での「血気の勇者」であるだけでなく、支配者として生活を立派に律する「仁義の勇者」たることが求められた。「馬上天下を治むるべからず」である。
 

 


「仁義の勇者」たるに必要な徳目は、主人への忠義であり、倹約であり、いつも身ぎれいにすることであり、神仏への崇敬であり、暴力沙汰を控え、私闘を誘う悪口を言わないことであった。43ー44頁。
 

 


「彼らは、その多くが文字を知らないような人物であった。しかし文字以上に、経験的にそれ[必要な道徳]をつかんでいたと言える。[御成敗式目の規定は]京都あたりの物知り顔の連中が嘲笑するかもしれないが、逆にそれを笑い飛ばしてしまうだけのものをもっているという自信も現している。

それは、この式目の条項が文字からではなく具体的な経験のなかから打ち出されてきたものだからであった。」49ー50頁。

 

 


つねに忠義を念頭におきつつ、日常における「仁義」と、戦場における「血気」を両立させた「勇者」たるべし。

素朴とはいえ、武士道の基本がここに成立した。

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
死を超えるジャパンメソッド・武士道(1/7)

奈良本辰也『武士道の系譜』中公文庫、1975年。

平治、保元、平家、朱子学、陽明学、葉隠 … 武士道に関連する代表的文献を通して「武士道」の変遷を概観した本。今では武士道研究の古典といえるだろう。

著者が立命館大を辞職してから間もないころの執筆。個人の心情にまで迫るミクロの目と、社会の変化をすくいとるマクロの目。複眼で事実を追求している。

「死をみつめて生きる」武士道は、日本が生んだ代表的な思想であったことがわかる。

 

 

 

以下、いくつかポイントをメモしてみる。
 

 

 

■武士という階級が日本列島の歴史の主流にはっきりした姿で登場したのは、西暦1000年ごろ以降、つまり1000年ほど前の「前九年・後三年の役」(1051ー62、1083ー87。源氏による東北侵略戦)のころからである。紫式部が源氏物語を書いてから、数十年後のことになる。

もちろん、源氏の東北侵略戦の前から武力専門集団の伝統はある。大伴・物部の軍事系氏族、軍団、健児のような律令下の軍事組織、坂上田村麻呂のような武人の登場、そして白村江のような海外戦や各地に発生した多くの武力事件を考えれば、武力集団は古代から無数に編成された。しかしこれらはいずれもそれほど長続きしていない。

武士登場の前ぶれのように、940年ころに平将門(たいらのまさかど)の乱が起こり、関東に「政府」を宣言したこともある。

西暦1000年ころからくっきりと姿を現した武士階級は、鎌倉幕府の成立によって自立的政治勢力となり、室町戦国安土桃山の戦乱を経て江戸幕府によって事実上の王となり、約300年後の明治維新まで政治支配の中核を担った。

武士たちは、血縁と主従関係と所領支配による強固な集団を形成し、互いに競争しつつ特有の倫理観によっても「武装」した。これにより武士は、日本史を担う代表的な階級となった。

約千年の武士の歴史には、いくつかの段階があり、「武士道」の内容も変化した。

奈良本辰也『武士道の系譜』は、そうした武士の「心のつながり」138頁 を跡付けた本だ。
 

 

 

■武士道、つまり武士が生みだした独特の倫理観の最初は、「血気の勇者」(平家物語)といわれる単純な血気の風であった。
 

 

 


「それは敵に向かってただ真正面からぶっつかることであり、それに背を向けないことであった。彼らはそのように訓練され、教え込まれてきたのである。

主君を討たれた金王丸(こんのうまる)が屋敷から逃れ出るときに、馬を逆しまに乗って、

『おれは敵に後ろをみせて逃げるのではないぞ』

と言って走り出したというが、その金王丸にどれだけの知識があっただろうか。

知識とか道徳とかいうものがさきにあって武士道が出てきたのではないのである。だからこそ、学問や知識のある公家達は、彼らを東夷(あずまえびす)とさげすみ、政治の渦中で手玉にとって翻弄したのである。」41頁。

 

 



平安のころ、武士は狡知において公家にかなわなかった。

たとえば源平の戦いは、「まさしく彼らが学問や知識のある公家達から翻弄されて骨肉が相別れて戦うという悲劇をかもし出した」ものだと奈良本氏はいう。41ー42頁。

武力が強ければ、当然高い地位を手に入れられるー

そういうイメージで考えると、歴史はわからない。社会で地位を得るには武力だけでは十分ではない。

では、武士はいかにして公家をしのぐ地位を獲得していったのか。


 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
言語と商品  概念は価値、自己は労働力、認識・表現は労働

言語と、経済学で使う諸概念の対応関係は、次のように整理できる。

 

左の斜字体が言語の諸要素、右が、それに対応する経済学的な諸概念である。

 

 

 

心内の表現対象  原材料・労働対象

 

認識   原材料調達労働   ←具体的有用労働

表現   デザイン・加工・出荷・陳列労働    ←具体的有用労働

 

 

概念   価値      ← 抽象的人間労働

 

言語規範   労働規範

 

 

音声・文字の組み合わせによる表現体=言語  商品(労働と価値を含んだ生産物。物象)

 

音声・文字の体系   貨幣体系(価値表示のための表象的単位からなる体系)

 

意味         伝達される概念としては交換価値、伝達される認識としては使用価値

 

伝達      商品流通・生産物の分配

 

意味の受容   消費

 

 

 

 

 

たとえていえば、音声・文字による表現体すなわち言語は、多種多数の貨幣(一般的等価物)を集めて作った首飾りである。

 

聞き手・読み手は、その首飾りをもらうわけではない。話し手の首にかかった貨幣の種類とそのつなぎ方、すなわち首飾りがかなでる音、見せている形を観察して、その意味の伝達を受けるのである。

 

 

 

...

 

 

 

ところで、上記の対応表に、もうひとつ追加しなければならない。それは、

 

 

 

自己  労働力

 

 

 

である。

 

マルクスは、労働(認識・表現)と労働力(自己)について、次のように述べる。

 

 

 

「人間の労働は、ふつうの人間なら誰でも特別の発達を経ることなく自分の肉体的な有機労働のなかに平均的にもっている単純な労働力の支出である。」(『資本論』筑摩書房マルクスコレクション版、69頁。太字は引用者)

 

 

 

ならば、言語を作る「労働」は、商品生産労働における社会的・平均的労働力に相当する、「自己」の支出にほかならない。人間の自己には、社会の誰もが「平均的にもっている単純な」レベルがある。その「平均」は、年齢に応じて増大する

 

われわれの身体は、「自己」という社会的・平均的な観念的労働力をもつ。自己を発揮することによって、体内に抱いた対象を、規範としての概念によって認識・表現した表現体、すなわち言語を作る。それは、労働者が労働力を発揮することによって商品を作るプロセスと同じ構造である。

 

自己による言語労働(認識・表現)の結果、われわれは<現実世界の自分>と、<自己による観念世界>というふたつの世界をもつことになる。<現実世界の自分>が生身の身体だとすれば、<自己による観念世界>は、首にかけた首飾りである。

 

認識は、自分がいる現実世界の私的な出来事だが、概念を用いた言語は、自己がつくる社会的な観念世界である。社会的な言語が作る観念世界を鏡にすることによって、われわれは自分がいる私的な現実世界を知る

 

既存の言語学は、自己という社会的言語能力の存在と成長、そしてその労働力がつくる観念世界の現実超越性・現実照出性に十分気づいていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
"アイドンノー" 現象発見!

学生と英語の発音の練習をしていたら、ひとつ発見したことがある。

 

 

"I don't know."

 

 

という表現を、

 

 

"アイドンノー"

 

 

とか、もう少しそれらしく、

 

 

”アドンノ

 

 

のように発音する学生がずいぶんいるのだ。

 

簡単なセリフだから、どちらも十分通じると思うが、 "ドンノウ" はちょっと非標準っぽいし、 "ドンノー" にいたっては、英語として落第といってもいいだろう。

 

ほかの表現なら、なかなか英語らしく発音できるのに、なぜかこのセリフになると、"ドンノウ" とか "ドンノー" になる。そういう学生がずいぶんいるところをみると、これは何かの社会的学習によるものらしい。

 

 

これに似た話で、"there are" を、"ゼアラ" と読む学生が多いことには、前から気づいていた。ちょっと通な感じの発音だが、「ゼ」も「ラ」も日本語風。この "ゼアラ"は、なかなか広く流布している。"there is" が "ゼアリズ" になるのも同じ。

 

 

そういえば、the を "ザ"と読むのも、考えてみれば妙である。the をローマ字読みしても、"ザ"と読む必然性はない。ある有名人が、theを「テへ」と読んだという話があるが、じっさい、「テへ」のほうがローマ字読みに近い。

 

the の英語の発音は、むしろ「ダ」のようになる。なのに、なぜ「ダ」ではなく "ザ" が流布したのか。「ダ」だと、断定の「だ」と紛らわしいから、無意識に避けたのだろうか。

 

 

 

 

英語のようで英語ではない「カタカナ英語」については、本が出たりしているが、こういう英語っぽいエーゴ(?) については、とくに研究もなさそうだ。

 

こういうエーゴは、どういうメカニズムで流布するのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の筋トレ イングリッシュ・ジム | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
イエスはいつも試されて十字架にいる

高久眞一『キリスト教名画の楽しみ方 イエスの生涯』(日本基督教団出版局、2009年10月)

この本の最初に、イエスが生まれた時の様子を描いた絵がある(ルーブル美術館蔵)。6頁。

空想による絵だが、ひょっとしたら、これはキリスト教のエッセンスを凝縮した作品ではないか。



まず意外なのは、イエスだけを描くという降誕図の伝統を破って、ほかの赤子が生まれた様子もいっしょに描いていることだ。イエスを見つめるマリアのほかに、もうひとり母親が描かれている。

イエスだけでなく、ほかの赤子も絵の光源になって、下方から部屋全体を照らし出している。その肌色がなまなましい。この絵はイエス以外の赤子も描くことで、生誕というものもののなまなましさを描いている。

気になるのは、画面の左端に顔が異様に膨れた幼児が描かれていることだ。誰かの腕がイエスに向かってこの幼児を差し出している。なんとかこの子を治してほしいという親の願いの表現なのかもしれない。

のちに救い主とされるイエスだが、それならイエスはこの子を治癒できるのか?

そういう厳しい目でイエスを見ている画家の視線がある。

イエスは、たえず試されている。だからイエスを通してこの世の真実がいつも露わになる。

そういう救いの原理が描かれているような気がする。

イエスもまた試されつづける。だからそこにイエスの偉大さ、精神を永続的に革新する力が現れる。


作者の名はエールトゲン・ファン・レイデン(1498-1564)。

この人は、たんなるイエス賛美ではなく、イエスの真実を描いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | イエスの虚像 | 00:02 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
彦根城 私のベストショット 

 

 

 

 

 

関ヶ原から幕末へ。譜代雄藩の誇りと翳り。そういうものが、ここに映ったような気がしている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 歴史とは何か | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
漱石と徴兵 『こころ』のこころについて

夏目漱石(1867-1916)は、江戸の口調と漢文の素養と英文の分析力をミックスして、近代的な人間の意識を表現できる日本語を開発した人である。

 

『こころ』はその代表例だが、これについて、故・丸谷才一氏が詳しい批評を書いている。

 

 

丸谷才一「徴兵忌避者としての夏目漱石」(『コロンブスの卵』ちくま文庫、1988年所収)

 

 

『こころ』は、乃木大将の殉死の報道をみて主人公も自殺するという結末になるが、この部分のすわりの悪さを丸谷氏は問題にしている。

 

この結末は、漱石が26歳のとき、日清戦争にともなう徴兵を逃れるため、当時人口希薄により徴兵を免除されていた北海道に自分の戸籍を移したことへの自責の念が関連しているのではないかという。

 

このあと、漱石は東京を避けて四国に、九州に、そしてイギリスにと移り住むが、この事実をとりあげた次の部分は、丸谷説の白眉であろう。

 

 

 

「ぼくには漱石が、自分の徴兵忌避の現場(それは犯行現場として意識されていたかもしれない)である東京と北海道を逃れて、その反対の方角へ去ったのだと思はれてならない。

 

北海道といふ島は彼の無意識をどこかで暗く縛っていたから、それゆえ漱石は四国といふもう一つの島に惹かれたのではないか。…

 

事実これからしばらくのあいだ漱石は、九州という島(熊本の五高)へゆき、イギリスという島へゆきして、東京と地つづきの土地を避けつづけるのだ。」(31頁)

 

 

 

<自分が徴兵を逃れることで、同世代の者を身代わりとして戦地に送り、犠牲にしてしまった>という自責の念が漱石の繊細な神経をかき乱しつづけ、それが『こころ』の結末にも影を落としている−。

 

丸谷氏のこの推測が当っているかどうか。それが確定することはないだろう。

 

ただ、戦争の発生は運命共同体としての国家意識を高めるので、そのなかの個人は、<忠義な者>になるか<裏切り者>になるか、という二者択一を迫られ、その選択は長く個人を縛りつづける。

 

世に漱石ファンは多いが、丸谷氏のように歴史的・心理的角度から漱石の作品を考えてみるのも、なかなか味のある方法だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
オウムになるな(おわり) 中津燎子『なんで英語やるの?』から

■ 著者は、呉で駐留米軍の電話交換手をしていたとき、日系二世のJ. 城田氏に特訓を受けた。

 

この話が、じつにいい。

J・城田氏は次のように言ったという。
 

 


「あなたは私の英語のまねをするから出来ないのです。おうむのものまねには限度があるのです。あなた自身の英語を発見して下さい。

 

まねた英語はほんものではないから、ほんものの価値はあたえられません。ものまね英語を喋るより自分の国の言葉を堂々と喋るべきです。」38頁(太字は引用者)
 

 

 


これに、中津氏はこう反応する。
 

 

 


「半ばけんか腰で数回つづけるうちに、ふしぎな事に何だかわかって来た。要するに彼の発音をそのまままねようとするため、私は自分本来の声や、舌の動き方に関しては案外無神経だった。…

 


ああ、私にも私の声があったんだわ

 


とはじめて気づいて、自分を研究し始めた時から私はどんどん進んでいった。」38−39頁(太字は引用者)
 

 

 

 


ここには深い真実がある。

声はたんなる「発音」ではない。「私にも私の声がある」という確信が発音に芯を与え、伝える概念内容に信頼性を与える。


 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
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