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   『山家集』1118

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教科書で学ぶ外国語は一種の虚構である

浜田邦裕『多言語学習の練習帖』世界思想社、2010年。

 

ヨーロッパの代表的言語の文法を比較して、入門的知識をまとめた読みやすい本。

 

文法の内容以外のことで、ふたつメモしておきたい。

 

 

 

■キリル文字がつかわれているのは、ギリシャ正教が支配的な地域。73頁。 

 

音声との関係では、文字はたんに音声を記述するという面が強いが、文字そのものは文化や宗教と深い関係をもって、人々の感覚に浸透していく。

 

アラビア文字を放棄してラテン文字を採用したトルコの決断は、EU加盟というのちの政治的決断と関係があったのだろうと思う。

 

 

 

■もうひとつは、言語の実在性について。

 

「ロマンス語」という言い方があるが、フランス語やスペイン語、イタリア語はあっても、「ロマンス語」という「具体的な言語は存在しない」。19頁

 

なるほど、「ロマンス語」というのは抽象概念であって、じっさいに「ロマンス語」を話すことはできない。ロマンス語は、概念として実在するだけである。

 

同じようなことが、「ドイツ語」についても言える。現地ドイツでは、北部と南部で違いがある。「われわれが学ぶドイツ語は、人工的に作られた『標準ドイツ語』である」。25頁

 

こうした一種の虚構は、外国語を学習するとき、しょっちゅう起こることだ。

 

外国人向けの日本語教科書を日本人がみたら、どこかしら人工的な文が並んでいるように思うだろう。

 

われわれが教室で習う英語も、一種の人工語といえる。

 

じつは、同じようなことは日本語の内部でも起こっている。

 

私は関西の出身だが、東京が長かったので、ちょっとかしこまった席では「標準語」っぽい話し方をする(私は「NHK語」と呼んでいる)。だが、私にとって「標準語」は、あとづけの人工語のようなもので、それに近づいてはいくが、到達はしない言語でもある。

 

日本語を書くことも、日常語とはちがう次元をつくることであり、理想に近づこうとするが、理想に到達はしない。じつは、東京育ちの人にとっても、NHK語は、それに近づいてはいくが到達しない言語かもしれない。

 

到達目標的な存在という意味で、言語というのはどれも似たところがある。

 

そして、目標として近づいていく対象は、人間にとってやはり実在する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 19:54 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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