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だまし絵(ドイツ編) 私のベストショット

ヨーロッパには、壁にだまし絵を描いて楽しむ伝統があるらしい。

 

これはドイツのだまし絵。某レジャーランドの壁にあった。

 

日本にだまし絵はあるかな。

 

まてよ、そもそも絵画はどれもだまし絵じゃないのか...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:03 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
「ルービンの壺」というだまし絵があります。
「壺」と「向き合う人物の顔」のふたつの絵が見えます。
対象が二重になっています。
このふたつの絵は同時には現れません。
どちらかの絵が先に現れた後、ふいに「反転」して
別な絵が現れます。

ふたつの絵がひとつの絵として現れる意味において、
矛盾といえば矛盾だし、対立といえば対立だし、
そこには片方の絵から片方の絵への質的転化も起きているし、
それがお互いを否定して出現し合うという
否定の否定も起きている。
「反転」の恐ろしさは、
確実なものに到達しないところにあります。

「反転」という性格は、宇宙それ自体の性格です。
宇宙は生成そのもので、不動不変、不生不滅なものは
宇宙に存在しません。
いってみれば万物流転です。
確実なものは宇宙に存在せず、万物は生じては消え
またどこかから生じる。

宇宙あるいは世界のもつ「反転的性格」を
「認識」という形で受け止め理解します。
認識もまた世界の中に生起する一つの出来事である限り、
認識の根本に反転的性格を有します。
だから認識を武器に、世界や宇宙の
「確実な真理」を手に入れようとする者は失脚します。
そこに認識者が懐疑者として現れざるを得ない
理由があります。

「認識」に頼っているだけでは、確実なものに
少しも到達し得ません。
そこに生じるのは「反転に次ぐ反転」でしかない、
そう自覚したとき「弁証法」なるものの総体が
一気に把握されたのです。
| つぼみ | 2018/11/16 10:20 AM |









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