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         大鏡


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権力は心の構造に基盤がある(長文)

一般に政治学では、権力 power の定義がはじめのほうで論じられる。政治は権力現象の一種なので、あらかじめ権力の本質をとらえておく必要があるからだ。

 

滝村隆一氏(1944-2016)の政治学も、権力の定義がはじめに出てくるのだが、その内容がやや難解になっている。このことは、滝村氏の理論が理解されない一因になっていると思われる。

 

滝村氏による権力の定義として、まとまりの良い部分を引いてみよう。ややこしい言い方になっているが、まずはそのまま引用する。

 

 

「諸個人によって<観念的に対象化された意志>が、ちょうど反転するように観念的に客観的な存在として、諸個人の<独自の意志>を規制し拘束したとき、この<観念的に対象化された意志>を<規範>という。そして<権力>とは、何よりもこの、諸個人の<独自の意志>を規制し拘束する、<規範としての意志>の<観念的支配力>を、とりあげたものである。」(滝村隆一『国家論大綱 第二巻』勁草書房、2014年、435頁。以下、滝村『国家論大綱』と記す)

 

 

人間社会には、物質的財貨を生む力(生産力)もあれば、人間の相互関係を生む力もあり、両者は車の両輪のような関係にある。これらをあわせて「社会的諸力」と呼ぶと、権力とは、「社会的諸力」を、人間どうしの支配/服従という側面からみたときの概念である。友人関係でも、家族でも、クラスでも、会社でも、たいていの社会関係において権力は日々発動している。

 

権力は商品のように一個の物として目に見えるものではなく、その本質は支配/服従という「観念的事象」、すなわち人間の心のあり方にある。(滝村『国家論大綱 第一巻上』56頁)

 

といっても、ここから話が少々むずかしくなってくる。ありていに言って、これまで社会科学は、人間の心の仕組みについて明確な理解をもたなかった。社会科学者ばかりでなく、たいていの人は、権力とは心の仕組みの問題だと言われても、ピンとこないであろう。

 

そこでまず、人間の心の仕組みを一枚の図に描いてみよう。もちろん、これは私(三浦)の私見である。

 

 

 

                

      対象 ←   <行動>   ←  自分

 

             規範        ↗

                ↘

              ↑   <意志>

                                               ↗

              自己

 

 

 

 

この図において、心は自己と自分に分裂している。自己は、客として、ドライバーとして、住民として...など、機会に応じていろいろな種類が立ち上がる。自己は、いろいろな規範を参照し、規範による命令を受けながら意志を形成し、その結果、身体をもつ自分が対象に向かって行動する。

 

先に引用した滝村隆一氏の権力の定義は、上の心の図の規範の部分に、<組織が制定した意志>が来る場合のことを述べていると考えられる。

 

 

 

     対象 ←   <行動>   ←  自分

 

         組織が制定した意志  ↗

                

             ↑    <意志>

                                             ↗

              自己

 

 

 

個人の自己は、おのおの独自の意志をもっているが、自己は自分の属する組織が制定した意志をつねに参照しなければならない。組織が制定した意志=組織的規範による命令を受けて、自己の意志は拘束され、この拘束された意志にもとづいて、身体をもつ自分は対象に向かって行動する。個人はいろいろな組織に属しているから、「今度の土曜は、会社を休んで子どもと出かけるべきか?」などと、父親としての自己と社員としての自己が葛藤する場合もある。このとき、<組織が制定した意志>という特殊な規範による自己の意志への支配力(図の  )が、権力である。

 

権力者とは、この<組織が制定した意志>という特殊な規範の裁可・決定権をもっている人物のことである。

 

そして権力のなかには、国家に属するすべての自己を拘束するとりわけ強力な権力=<権力のなかの権力>がある。<権力のなかの権力>には、社会の成員全員の物質的生活に関わる経済的権力(たとえば電力会社)と、社会の成員全員の観念的生活に関わる政治的権力(たとえば国家権力)がある。政治的権力には、神的・宗教的なもの、情報的・思想的なもの、法的・現実的なものといった区別がある。(滝村『国家論大綱 第一巻上』2003年、64頁参照)

 

...

 

社会関係とは人間がつくる関係であるから、当然、その本質には人間の心が関わる。

 

したがって、社会関係の分析にあたっては、人の心の構造を理解しなければならない。心の理解が欠けていれば、権力の分析といっても、目に見える具体的な行動やその結果を観察し、その社会的「機能」を論じるぐらいしか方法はなくなる。いきおい、分析は場当たり的になる。

 

滝村隆一氏は、しごく真っ当な権力観を述べているのだが、滝村氏自身をふくめて、これまでの社会科学は、上のような人間の心の構造を明瞭に提示しなかった。そのため、われわれは権力の本質についての理解を共有しにくかったのである。

 

 

 

 

 

注:権力とは、心理的服従であるという有力な見方がある(たとえば丸山眞男)。しかし、<組織が制定した意志>=規範による拘束は、心理的服従とイコールではない。心理は、同じものに対しても人によって異なりうるし、同意や承認を拒む余地があり、服従しなくても罰せられるとは限らない私的なものである。それに対して規範は、たとえば社内規定や法律のように、いったん発せられれば制定した当人も従わねばならない客観性をもち、それにしたがって行動しなければ処罰の可能性がある社会的なものである。権力とは、たんなる心理的服従ではなく、<組織が制定した意志>=規範という社会的客観的な存在がもつ、成員全員の意志を現実に拘束する一般的な力をいう。この点につき、滝村『国家論大綱 第一巻上』238ー239頁参照。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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