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   『山家集』1118

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権力は人の心の構造に基盤をもつ社会的客観的実在

政治学では、権力 power の定義が論じられる。政治は権力現象の一種なので、権力の本質をとらえておく必要があるからだ。

 

滝村隆一氏(1944-2016)の政治学も、権力の定義がはじめに出てくるのだが、その内容がやや難解になっている。

 

滝村氏による権力の定義として、まとまりの良い部分を引いてみよう。ややこしい言い方になっているが、まずはそのまま引用する。

 

 

「諸個人によって<観念的に対象化された意志>が、ちょうど反転するように観念的に客観的な存在として、諸個人の<独自の意志>を規制し拘束したとき、この<観念的に対象化された意志>を<規範>という。そして<権力>とは、何よりもこの、諸個人の<独自の意志>を規制し拘束する、<規範としての意志>の<観念的支配力>を、とりあげたものである。」(滝村隆一『国家論大綱』第二巻、勁草書房、2014年、435頁)

 

 

権力とは、人間どうしの支配/服従という社会的関係についての概念である。友人関係でも、家族でも、クラスでも、会社でも、たいていの社会関係において権力は日々発動している。そこではたいてい、現実の人間の誰かが支配し、他の誰かがその人に服従しているように見える。だが、過去の経験が政治家の行動を決めるとか、市民が税金を支払う場合のように、権力者の姿が見えにくいこともある。

 

つまり権力の本質は、人間どうしの直接の支配/服従関係の背後にある、目には見えない人間の心の特殊なあり方にあると考えられる。

 

先に引用した滝村隆一氏の権力の定義を、私なりのトランスの図にしてみると、次のようになろう。

 

 

 

             <組織>

      組織体  ←      ←    人間

              

 

         所属組織・集団の意志 

                

                ↑    <行動>

                                             ↗

              行動力(個人)

 

 

 

行動力をもつ個人は、おのおの独自の意志と規範をもっているが、自分の所属する組織や集団が制定した意志もつねに参照している。これによって個人の意志は拘束され、この拘束された意志にもとづいて、個人は人間(自分と他者)に向かって行動する。

 

個人はいろいろな組織や集団に所属しているから、複数の意志の板ばさみになって葛藤する場合もある。過去の体験が規範になる場合もあるが、これは忘れられない体験に個人がいまだ「所属」しており、規範となっているケースと考えられる。

 

このように、<個人が所属する組織・集団の意志>という規範による、個人の行動や組織への支配力(図の  ↘ )が、権力である。権力者とは、この<所属組織・集団の意志>という規範の裁可・決定権をもっている人物のことである。

 

 

以上は、組織体をつくる=組織内のトランスである。

 

組織体が拡大するためには、組織外の個人をみずからの規範に同調させるための、別のトランスすなわち組織外に向かうトランス(生産物でいえば流通のトランス)が必要になる。政党であれば、組織外の個人をリクルートしたり支持の投票をさせるのが組織外へのトランスにあたる。企業であれば、自社製品を売ることによって、「客」との流通の(すなわち組織外への)トランスを形成する。だが、組織外のトランスでは他者に行動を強制することはなかなかできないので、権力現象が起こるとは限らない。例外的に、社会全体に規範を強制できるのが、国家権力である。

 

 

...

 

 

社会関係は人間どうしがつくる関係であるから、そこには人間の心が関わる。社会関係の分析にあたっては、人の心の普遍的な構造を把握し、前提にしなければならない。心の理解が欠けていれば、権力の分析といっても、目に見える具体的な行動やその結果、およびその社会的機能を記述したり数値化したりして、現象を整理することで終わってしまう。

 

これまでの社会科学は、上図のような規範にもとづく行動・組織によって、人間が統合され組織体をつくるプロセスを明瞭に提示しなかった。そのため、われわれは権力の本質についての理解を共有しにくかったのだと思う。

 

 

 

注:権力とは心理的服従であるという有力な見方(たとえば丸山眞男)があるが、権力にもとづく規範は、たとえば社内規定や法律のように、いったん発せられれば制定した当人も従わねばならない客観的内容をもち、それにしたがって行動しなければ処罰の可能性もある社会的客観的な存在である。心理的服従は、個人的主観的で流動的な、内心の結果にすぎないので、権力という社会関係の分析には不十分である。滝村『国家論大綱』第一巻上、238ー239頁は、この点を指摘している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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