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         大鏡


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マルクスの子どもたちについてのメモ

近代最大の思想家ともいわれれるマルクス(1818年5月5日 - 1883年3 月14日)の子どもたちについて、メモしてみたい。

 

以下、

 

https://www.weblio.jp/wkpja/content/カール・マルクス_家族#ウィーン(2002)

 

を下敷きに、要約する。

 

 

娘は四人生まれたが、三女は生まれてすぐに亡くなったので、事実上、マルクスには三人の娘がいたことになる。母親(イェニー Jenny)の名をとって、ファーストネームは全員ジェニー(Jenny の英語読み)。以下では、ミドルネームで呼び分けることにする。

 

 

長女ジェニー・カロリーナ(1844-1883)   パリ・コミューンに参加してロンドンに亡命したフランス人社会主義者シャルル・ロンゲと結婚。イギリスのほかフランスにも住み、五人の息子と一人の娘をもうけるが、父マルクスの死(1883年3月14日)の二ヶ月前、1883年1月11日に死去(死因はおそらく膀胱癌。39歳)。https://en.wikipedia.org/wiki/Jenny_Longuet

 

なお、マルクスの妻・イェニーは、肝臓癌により、1881年12月2日、マルクスの死の数年前に死亡している。享年67。

 

 

次女ジェニー・ラウラ(1845-1911)   インターナショナル参加のために訪英したフランス人社会主義者ポール・ラファルグと結婚。子供はできなかった。ポールとラウラは、社会主義者は老年になってプロレタリアのために働けなくなったら潔く去るべきだという意見をもっていて、1911年、ポールとともに自殺。享年66。彼らの自殺は当時ヨーロッパの社会主義者たちの間でセンセーションとなった。

 

 

三女ジェニー・エヴェリン・フランセス(1851ー1852)  気管支炎により、生まれて間もなく死亡。

 

 

四女ジェニー・エリノア(1855-1898)   エリノアは三人の娘たちの中でも一番のおてんばで、マルクスは可愛がった。晩年のマルクスは彼女が側にいないと寂しそうにしたという。彼女はイギリス人社会主義者エドワード・エイヴリングと同棲するが、この男は女優と結婚することが決まるとエリノアが邪魔になり、彼女を自殺に追い込む意図で心中を持ちかけた。エリノアは彼の言葉を信じて彼から渡された青酸カリを飲んで自殺。享年43。エイヴリングは自殺せずにそのまま彼女の家を立ち去ったが、逮捕されることはなかった。なお、エリノアの自殺については、エイヴリングが他の女性と結婚したことに絶望し、青酸カリを自分で薬局から手に入れて自殺したという、やや異なる説明もある。https://ja.wikipedia.org/wiki/エリノア・マルクス

 

 

以上、長女ジェニーはマルクスの存命中に病死している。残った次女と四女は、それぞれの理由でマルクスの死後に自殺している。

 

 

次に、男の子は二人生まれたが、いずれも若死にした。三人目として、マルクス家のメイドに産ませた隠し子があったという説があるが、この子は養子に出されたので、事実上、マルクス家では男の子が育たなかったことになる。

 

 

長男エドガー(1847-1855)   マルクスがとりわけ可愛がっていた。まだ8歳と幼いエドガーの死を、マルクスは深く悲しんだ。

 

次男ヘンリー・エドワード・ガイ(1849-1850)  イギリス議会爆破未遂犯ガイ・フォークスに因んで名付けたという。生後間もなく突然死。

 

三男フレデリック(フレディ)・デムート(1851-1929)   マルクスの妻イェニーの実家ヴェストファーレン家でイェニーのメイドをしていたヘレーネ・デムート(1820-1890)は、イェニーの母がイェニーのために、ロンドンのマルクス家に派遣した女性で、マルクス一家と一生を共にした。彼女は幼い頃から仕えてきたイェニーを崇拝しており、40年もマルクス家に献身的に仕え、マルクス家の困窮の時には給料ももらわず無料奉仕した。

 

フレディの出生証明の父親欄は空欄になっている。フレディは里子に出されたが、1962年に発見されたアムステルダムの社会史国際研究所の資料と、1989年に発見されたエンゲルス家の女中(ヘレーネ・デムートの友人)の手紙から、フレディの父親はマルクスであるという説が有力となった。

 

マルクスの娘たちはフレディをエンゲルスの私生児だと思っていて、エリノアはエンゲルスが父親としてフレディを認知しないことを批判していた。エンゲルス家の女中の手紙によれば、エンゲルスは死の直前に、人を介してエリノアに、「フレディはマルクスの子」と伝えたが、エリノアは嘘であるといって認めなかったという。

 

フレディ当人は、自分がマルクスの子であるとは最後まで知らず、ロンドンで旋盤工として働き、1929年に77歳で生涯を終えた。

 

 

...

 

 

全体に、早死したり自殺した子どもも目立つが、長女カロリーナの息子二人(マルクスの孫)は長じてフランス社会党で活動しているので、その点では、社会活動家としてのマルクスの血脈は受け継がれた。

 

マルクス家は、亡命ドイツ人の一家としてロンドンに住みながら、長女と次女がフランス人の活動家と結婚している。ドイツ語、英語、フランス語を併用する多言語の家族環境だったことがうかがえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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