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         大鏡


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日本の大学は専門学校にすぎないのかもしれない

日本の大学は、ヨーロッパの大学とは歴史がちがう。

 

ヨーロッパの名門大学は中世に起源があり、学生と教師がつくる独立共同体のような地位が認められていた。出発時点が古いだけに、人文社会系と自然科学系はほんらい根っ子が同じで、この世界を「知る」という価値の最前線が大学、という意識があるようだ。

 

日本の大学は、明治以降の近代化のために、国家有用の「役立つ」人材づくりからはじまっており、せいぜい歴史は100年程度。学問の方法も内容もすべて輸入品。いわば学問の根っ子が浅い。江戸期にも学問の伝統はあったのだが、その多くは近代化のなかで古くさいものとして省みられなくなった。たんに学歴をつけるための「権威的機関」というイメージもある。

 

西洋的基準でいえば、日本の大学は、大学というよりむしろ専門学校に近いというべきかもしれない。

 

だからといって、日本の大学のすべてがいけない、ということにはならないが、気をつけたほうがいいことはあると思う。

 

それは、日本の発想を大事にすることである。西洋流を否定するのではなく、西洋とのちがいを意識しつつ、むしろ西洋の良さを日本人流に徹底追求することが、「日本らしさ」の発揮になると思う。そうした努力を通して、西洋流の欠点も見えてくるはずである。

 

良い手本は、イチロー選手ではないだろうか。彼は野球を外来のスポーツとして客観的にとらえつつ、その良さを徹底的に追求することで、日本らしさを発揮できたのではないかと思う。そして彼の目には、アメリカ流の野球の欠点も見えているのではないか。

 

「日本の発想」といえば、意外に発揮の余地があるのは、人文社会系の学問かもしれない。たとえば日本の歴史の研究は、西洋的な方法の良さを徹底的に追求しながらおこなえば、日本の発想が生きてくると思う。(西洋的な方法の良さとは、ヘーゲルやマルクスが追求したような全人類的普遍的な概念(たとえば「世界史」とか「所有」)を用いることが、それではないかと私は思っている)

 

日本の大学は、曲がり角にきている。すっかり専門学校化してしまうのではなく、それなりに伝統をつくってきた「日本の大学らしさ」が発揮できるように、うまく舵取りをする必要があると思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 16:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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