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         大鏡


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「戦力不保持」(九条)は国民の認識力・行動力の指針

日本国憲法九条には、「戦力 war potential を保持しない」  とある。「保持しない」主体は、九条全体の主語である「日本国民」である。

 

✳憲法九条

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、 国権の発動たる戦争と、
  武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない
  国の交戦権は、これを認めない。

 

戦力とは、国家が「戦争をする能力」を短縮した表現だが、なにが「戦力」かは、判断がむずかしい。たとえ自衛のための軍事施設であっても、戦争を遂行するための施設とみなすこともできるし、場合によっては侵略戦争の施設に転換することもできるからである。

 

 

ところで、「不保持」というのはなかなか味のある表現だ。

 

ノルウエーの平和研究の泰斗、ヨハン・ガルトゥングは、真の平和とは「構造的暴力の不在」のことであると定義し、これを「積極的平和」と呼んだ。「構造的暴力の不在」という<否定すべきものの否定>の概念が、平和研究をリードしたのであった。

 

九条の「戦力不保持」も、<否定すべきものの否定>であり、「構造的暴力の不在」と同じ論理構造になっている。そして「戦力」を構造的暴力の一種とみなせば、「戦力不保持」とは「構造的暴力の不在」すなわち「積極的平和」のことであるともいえる。

 

では、「否定すべき戦力」とはなにか。前述のように、これはなかなか判断しにくい。だが、判断しにくいことは、必ずしも憲法九条の欠点ではない。むしろ九条は、戦力とはなにか、それを保持しないとは何をすることかを考え、実行するように誘導してくれているともいえる。

 

たとえば、自衛隊や在日米軍が「戦力」かといった問題は、苦しい綱渡りながら、抑制ゼロでもない日本政府の憲法解釈を導いてきた。

 

<否定すべき戦力>とはなにかを考えさせる九条の力が、深いところで日本の政治をリードしてきたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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