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         大鏡


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コンサートホール 天井から概念が降りてくる空間

昨晩FMで、ブラームスの交響曲第四番を久しぶりに聞いた。2017年10月のN響、サントリーホールでの演奏、指揮者はクリストフ・エッシェンバッハ。

 

クラシック音楽は、同じスコアでちがう演奏が聞けるところが楽しみなのだが、この演奏もこれまでとひと味ちがう感じがして、最後まで聴き入ってしまった。

 

番組コメンテーターの池辺晋一郎氏が、オーケストラはあまり音がそろいすぎても良くない、演奏者の息が少しずつズレて、音に若干のバラつきがあると味わいが生まれるというようなことを話していたが、言われてみれば、この演奏はそういうズレの良さが出た実例だった。

 

音声学では、文字や発音記号が表すものは音の概念にすぎず、じっさいに発せられる人間の音声にまったく同じものはない、すべて異音 allophone になる、とされる。同じ人が発する同じ語でも、昨日、今日、明日では異音になる。すべてにズレがあるのだ。

 

音楽でも、スコアは音の概念を表した表象であって、じっさいに発せられる音は、演奏のたびに変わる異音である。

 

聞くほうのコンディションによっても、同じ音が違う風に聞こえる。これも異音的な現象だろう。

 

考えてみれば、コンサートホールで起こっていることは、指揮者も楽団員も聴衆も、天井から降りてくる作曲者の概念をそれぞれに身体で聞き取り、微妙なズレをともないながら演奏するということだ。

 

コンサートの成果は、天井から降りてくる概念を人々がどう把握するかに依存している。

 

すぐれた概念をスコアに書いて天井から降らせたブラームスも、それをすぐれた能力で個々に聞き取り、演奏したN響とエッシェンバッハも、そして会場の聴衆も、いい仕事をしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 09:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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