ごきげんようチャンネル


あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


<< 原発は「高度な技術・文明」だろうか | main | 日本の大学は専門学校にすぎないのかもしれない >>
歴史を煮詰めると哲学になる

ヘーゲル哲学の研究者・真下信一氏(ました・しんいち。1906-1985)の講演録に、こういう部分がある。

 

 


「人間論が本格的に哲学の中心問題になったのは、実存主義を含めてやはり戦後なのです。ファシズムと戦争の深い体験を通してなのです。アウシュビッツとヒロシマを通過するということは、ファシズムと戦争が人間にとってはたして何であったかという問題を、いわば中央突破するということです。

歴史の長い歩みのうちには、それを思想的にこなしてからでなければ先へ進めない、あるいは進んではならない出来事があるのです。それは人類の運命に深く広くかかわった出来事のことです。

一つの時期を画するような、歴史的といわれる出来事は、すぐれて思想的な意味をもっています。それを素通りすれば、歴史によって必ず復讐され、いやでもおうでも人間たちがそれから学ばずにはいない時まで復讐は続けられます。

もしも私たちがあのアウシュビッツとヒロシマから根源的に学ぶことをせず、中途半端にやりすごすか、ほおかむりですますならば、歴史は必ずもっと大きなアウシュビッツとヒロシマを用意することでしょう。

かつてヘーゲルが「哲学とは概念においてつかまれた時代のこと」といい、シラーが「世界歴史は世界の法廷」と言ったのは、この意味だったのです。

概念において、思想においてつかまれる、時代と思想のそうしたからみ合い、相互浸透のうちに、思想のまともな意味での前進もあったわけです。

歴史というものはきちんと咀嚼されてこそ、まともな前進をするのであって、歴史の論理化が必要なのは、このゆえなのです。」(真下信一『君たちは人間だ』新日本出版社、1983年、96−102頁より要約)
 

 

 

哲学とは、次の時代へと「中央突破」するための歴史の論理化=概念化である。

 

歴史と哲学。ちがうように見えるものを、ひとつのものととらえる。

 

そこに知的緊張があり、自己超越がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









http://soundsteps.jugem.jp/trackback/4611
#誰が書いてるの?
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック