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         大鏡


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原爆投下の日によせて 日本はなぜ共和制にならなかったか

サンフランシスコ平和条約(1951年調印)は、無差別爆撃とその頂点としての原爆投下という戦争犯罪を犯したアメリカ国家と、多種広範囲に戦争犯罪を犯した日本国家が、戦争責任を相殺しあった儀式であった。

 

これによってアメリカ以外の国家への責任と、犠牲になった人々に対する日本国家の責任はあいまいにされた。そのため、日本国家は国内外からの信用回復に、長期間苦しむことになった。

 

『昭和天皇独白録』によれば、ポツダム宣言受諾を決定した8月9日深夜の御前会議で天皇は、いまや敵が伊勢湾岸に上陸し、伊勢神宮・熱田神宮の神器を奪われる可能性がある、事態がこうなっては戦争をつづけることはできないと述べた。天皇は、自分の代で皇統の正統性を汚されることを恐れたのである。国体護持とは、天皇家の生き残りのことであった。

 

だが、天皇家の生き残りとひきかえに、天皇は「平和国家」を率先して唱え、戦争放棄の新憲法を受け入れたのであった(最近のNHK報道)。

 

近代の世界では、君主制から共和制に移行した例は多いが、それで国家が瓦解したという話は聞かない。フランスしかり、ロシアしかり、イタリアしかり、ドイツしかり、中国しかり。思うに、敗戦にともない、政治制度としての天皇を廃止し、共和制になっても、日本はそれなりにやっていけただろう。日本が共和制になっていたら、そのぶん国柄の根本的変更がわかりやすくなり、歴史の区切りが明確になったはずだ。

 

じっさいには、天皇は新憲法とひきかえに自分の敗戦責任をあいまいにし、日本政府はサンフランシスコ平和条約によって、自分の戦争責任をあいまいにした。国民の多くも、こうした天皇と政府の行為によって、自分たちが直接戦争を担った責任をあいまいにできた。

 

ただ、事は満州事変(1931年9月)からサンフランシスコ平和条約調印(1951年9月)まで、20年にわたる大戦争の後始末という歴史的課題である。これだけの課題の解決には、苦しい過程が必要であった。

 

「戦後」という表現が長くつづいたが、これは、敗戦後の日本の年月が20年戦争の後始末だったこと、それが容易な事業ではなかったことを表している。

 

二十年戦争の後始末。その未解決部分をどう扱うかは、天皇から主権を譲られた国民の責任になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
これに対する一つの回答が、津田造作史観を克服した古田武彦による九州王朝論、多元的古代論であり、記紀、万葉集の解明といえます。
「新古代学の扉」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html

また、時枝誠記による言語過程説の三浦つとむによる展開もその一つであり、文、文章理解で根底的に相通ずるところがあります。

先に紹介された、岸本直文「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」(『国立歴史民俗博物館研究報告』第185集、2014年2月所収)などは、誤った大和朝廷一元史観による津田史観の展開でしかなく、宣長国学への回帰ではないでしょうか。■
| YAGURUMA"剣之助" | 2018/08/14 11:02 AM |









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