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         大鏡


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言語の一般構造 マルクスの「価値」からわかること

「言葉とはなにか」に答えることが言語学の第一歩だとすれば、言語学は、あらゆる言語に共通する一般構造を指摘しなければならない。

 

『資本論』の第一章を読み直して、私は思った。これはやはり言語学の書でもある、と。

 

『資本論』は、こういう例からはじまる。ある量の小麦は、ある量の絹とか鉄のように、さまざまなものと交換可能である。

 

 

 

ある量の絹=ある量の小麦

 

ある量の鉄=ある量の小麦

 

ある量の牛皮=ある量の小麦 

 

 

 

この等式のリストは、そこに「同じ大きさの、ある共通のものが現実に存在している」ことを示している。(以下、『資本論』からの引用は、ちくま版マルクスコレクションIV、『資本論』第一巻上、58頁および60頁から)

 

これを言語に引きつけていうと、たとえば、ありがとうというひとつの認識を、さまざまな言語で表現できる。

 

 

 

言語Aによる表現 =「ありがとう」という認識

 

言語Bによる表現=「ありがとう」という認識

 

言語Cによる表現=「ありがとう」という認識

 

 

 

等式の左辺と右辺をつなぐ「ある共通のもの」。それが商品では使用価値のちがいを超えて存在する「価値」であり、言語では上記のリストでわかるように、表現のちがいを超えて共通する個々人の、その場での認識である。

 

だが、個々人のその場での認識にはふぞろいなところがある。それに共通性を与えるものが、認識の社会的平均的規範たる「概念」である。

 

言語を言語たらしめているものは、個人によって異なる個々の認識力ではなく、社会を構成する人間に共通の、平均的な認識力であり、その規範としての社会的平均的概念である。

 

認識力の認識対象は、自分の「心」である。認識力は、自分の心から分裂し、自分の心を客体として作動する主体である。

 

 

以上の関係は、次のようなトランス図で描ける。

 

 

 

 

     表現体          認識対象(心) 

  ▽

      

           認識力

 

 

 

 

人間は、認識力によって自分の心を認識し、それを表現体にする。この表現体が、それぞれの言語である。

 

概念の体系つまり言語規範が、この ▽ のまんなかにくる。認識力は、対象を認識するときは概念形成規範、認識を表現するときは表現規範、表現体を認識するときは意味規範に依拠する。

 

概念じたいは無色透明であり、言語によって異なる音声・文字という表象をともなって、社会の成員に共有されている。

 

この▽ が、言語の一般構造である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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