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         大鏡


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一杯の水 国木田独歩「河霧」

このごろ、小説を読みたいと思うようになった。それも俳優のように、心のなかで抑揚をつけながら。

 

きっかけは、この春、副鼻腔炎による激しい顔痛で 17日間大学病院に入院したこと。ベッドの横にテレビがあったが、見る気がしない。耳から入る音は苦にならないので、いきおい、ヘッドフォンでラジオを聞くことになった。

 

聞いたのは、もっぱら朗読である。

 

古い言葉がでる作品でも、聞いただけで十分わかる。このことに気づいて、私は日本語のありがたさをあらためて感じた。

 

それで、退院したあとも朗読を聴く習慣がつづいている。

 

このごろ感心したのは、国木田独歩の短編である。

 

1898年発表の「河霧(かわぎり)」という作品は、岩国に育ち、期待されて上京した男がすべてに失敗し、二十年ぶりに帰郷した様子を描いている。この男・豊吉(とよきち)は、自分の私塾の開校が明日というとき、夜遅く墓所に出る。

 

 

 

豊吉は大川の流れを見ろしてわが故郷ふるさとの景色をしばし見とれていた、しばらくしてほっと嘆息ためいきをした、さもさもがっかりしたらしく。


 実にそうである、豊吉の精根は枯れていたのである。かれは今、ゆべからざる疲労を感じた。私塾の設立! かれはこの言葉のうち、何らの弾力あるものを感じなくなった。


 山河月色さんかげっしょく、昔のままである。昔の知人の幾人いくたりかはこの墓地に眠っている。豊吉はこの時つくづくわが生涯の流れももはや限りなき大海だいかい近く流れ来たのを感じた。われとわが亡友なきともとの間、半透明の膜一重まくひとえなるを感じた。


 そうでない、ただかれは疲れはてた。一杯の水を求めるほどの気もなくなった。

 

https://www.aozora.gr.jp/cards/000038/card42200.html

 

 

 

「一杯の水を求めるほどの気もなくなった」という部分に、とくにリアリティがあった。

 

入院中の私は、周囲の人に「一杯の水」を求めた。だが心中では、この痛みが治らないなら、普通のことさえできない以上、生きていても仕方がないと、心は定まっていた。もしあの痛みが治らないと知っていたら、私は「一杯の水」さえ求めなかったかもしれない。

 

小説の豊吉は、その夜、故郷の川に停まった小舟を漕ぎ、そのまま海に出て、帰ってこなかった。

 

私は、こう思った。

 

「一杯の水」を求める人は、まだ希望をもつ人である。「一杯の水」を求めない人は、もう生きない。そして「一杯の水」を求める人に水を差し出す気力がなくなった人も、もう生きない。

 

 

 

 

 

 

 

 

              病院の食堂から

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 05:18 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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