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         大鏡


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「日本」は地名である前に国名

歴史といえば、大河ドラマとか歴史小説とかマンガ人物史のようなものがわかりやすく、人気があるが、そうしたものが歴史のすべてでないことは、多くの人がわかっているだろう。

 

だが、それではどう理解すればもっといいのか、ということになると、明快な答えはなかなか聞けない。

 

いま感じるのは、歴史の研究者をふくめて、多くの人は歴史の概念を曖昧に理解しているので、歴史と社会の認識が狭い限界のなかに閉じ込められやすいということだ。

 

 

...

 

 

石井進氏との対談で網野善彦氏が、

 

 

「『日本』はけっして地名ではなく、国名なのです」

 

 

と述べている。(『米 百姓 天皇』大和書房、2000年、147頁)

 

「日本」は、領域・社会・国家権力、いずれの意味にも使う言葉である。だが、歴史論理的には、ある領域で社会が営まれ、その領域を守護・拡張したり大規模工事をおこなう必要から、軍事力や労働力を持続的に動員する機構が発生し、この機構が全社会を支配する国家権力へと成長した。この国家権力が「日本」である。

 

この国家権力が支配する領域も「日本」と呼ばれるから、結果として「日本」は地名でもあるのだが、どの領域が「日本」であるかは、国家権力としての「日本」のあり方によって変化する。先に領域としての「日本」があるのではない。だから歴史論理的には、「日本」は地名である前に国名(国家権力)だという網野氏の指摘は的確である。

 

領域・社会・国家権力は、ほんらい別物である。だからこそ、同じ領域にちがう社会が営まれたり、同じ社会を別の国家権力が支配したりする。

 

そして、世界のこの領域で「日本」という国名が 7世紀末以来維持されたということは、国家権力が変質をとげながらも一貫性をもっていたことを示唆する。しかし、どのような変質、どのような一貫性か?

 

この問いに答えることが、「日本史」の中核的課題のひとつになるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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