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沖縄・グアム・小笠原 日米共同マネージメントの拠点となった島々

真崎翔『核密約から沖縄問題へ 小笠原返還の政治史』(名古屋大学出版会、2017年4月刊)

 

これを読んで、いくつか印象にのこったこと。

 

ひとつは、沖縄返還(1972年)前、沖縄に核兵器があった時期には、小笠原諸島(父島・硫黄島)にも核兵器が貯蔵されていたこと、そして沖縄から核兵器が撤去されたあとは、小笠原諸島からも核弾頭は撤去されたが、中国やソ連からの核攻撃によるグアム壊滅などの緊急事態に、沖縄に核兵器を搬入するための貯蔵施設として、アメリカは小笠原諸島を確保していたということである。つまり、アメリカの核戦略が変化しても、アメリカの軍事戦略を縦深的に仕立てるために、沖縄やグアムをバックアップする基地として小笠原諸島は利用されつづけたということである。

 

もうひとつは、1967年春の段階ですでに、アメリカは沖縄と小笠原を日本に返還してもよいと判断していたことである。しかし、日本から有利な条件を引き出すために、この判断を日本側に明かすことはなかった。174ー175頁。外交交渉とはそういうものではあるが、この種の「表現されない意図」を解明したことは、本書の功績だと思う。当事者が表現しなかった意図を明らかにすることで、小笠原返還、沖縄返還の歴史の理解はちがってくる。

 

また、本書にはサンフランシスコ体制(1951年サンフランシスコ平和条約・日米安保条約の調印に象徴される、アメリカ主導のアジア経営体制)を日米が共同でマネージメントしていく手法が、具体的に紹介されている。

 

1961年6月、アメリカは小笠原旧島民を日本本土に強制移住させたことへの補償金600万ドルを日本政府に支払うことに合意した。しかし同時期に、日本が米国から受けた20億ドルの借款のうち、4億9000万ドルを東南アジアの開発援助に支出することで合意している。

 

「米国は抜け目なく、自国の極東における安全保障政策への貢献を、補償金を支払う交換条件として日本に飲ませたといえる。領土をめぐる問題を進展させることと引き換えに日本にさらなる[サンフランシスコ体制強化のための]支援を求める交渉手法は、小笠原返還においても沖縄返還においても、米国の常套手段となっていく。...日本政府も米国が小笠原を軍事利用することに協力的であった」43-44頁

 

私は、戦後日本の国家意志がアメリカの方針への「主体的従属」にあると考えてきた(三浦陽一「サンフランシスコ体制論」(吉田裕編『日本の時代史26』吉川弘文館、2004年)。「主体的従属」とは矛盾した概念であるが、副社長が会社で生き延びるためにどうするかを考えれば、少しわかるかもしれない。副社長は、会社の方針に主体的に従属することで、社長に対する自分の地位と、部下にたいする優越が維持できるのである。

 

 

 

...

 

 

 

 

参考までに、本書による小笠原・沖縄における核問題と返還の経緯を年表にしておく。

 

 

年表

 

1830年 25名の非日本人移民団、小笠原に入植

1862年 日本から初の入植者38名

1867年12月 明治新政府、小笠原諸島の領有を主張 住民全員日本に帰化

 

1941〜 大多数の島民、日本本土に疎開

1945年2月19日〜3月26日 「硫黄島の戦い」

1945年9月 米軍、小笠原の日本兵とほぼ全島民を日本本土に強制退去させる

1946年10月 GHQ、欧米系元住民126名を父島に帰還させる

1952年サンフランシスコ平和条約・旧日米安保条約発効 小笠原は米本土防衛のための、日本列島につぐ第二の防衛線。

 

1950年代半ば以降 米、父島・硫黄島に核配備を検討・実施 50頁 →父島1956年2月〜1965年12月、硫黄島1956年2月〜1966年2月、核兵器貯蔵。135頁。以後、ロランC基地を緊急時の核貯蔵施設として維持〜1993年。167頁

 

1967年3月〜8月 米、沖縄を返還しても差し支えなしと判断。しかし日本側には秘匿。むしろ、「日本側の事情次第で米は慎重となり、[沖縄返還は]長期延長も」と日本側に伝える。174-175頁

 

1967年11月15日 佐藤・ジョンソン会談。小笠原返還で合意と発表

 

1967年12月 佐藤、非核三原則発言(衆院予算委員会)→ 小笠原の「本土並み」返還に、核貯蔵のための密約が必要に。159頁。

 

1968年4月5日 小笠原返還協定調印・正式復帰。このとき小笠原に米が核貯蔵権をもつという「密約」に三木外相同意。160頁。「全島一括返還」というも、グアム壊滅に備えた核貯蔵予備基地として事実上硫黄島は分離。「密約」のほかに、硫黄島についていくつか取り決め。ナイキ、ホークミサイルの試射施設を日本が配置。ロランC基地(ポラリス原子力潜水艦の核弾道調整)の設置

 

1968年11月、琉球政府主席に屋良朝苗が当選。沖縄返還運動活発化(米の思惑が裏目に)137頁

 

1969年11月19日 ホワイトハウスで佐藤・ニクソンが「核密約」に署名。149頁 「米国の裁量によって、いかなる時においても返還後の沖縄に再び核兵器を搬入することができる」「事前協議は…沖縄において決定的に形骸化した」152頁。

 

緊急事態に、沖縄に核兵器を搬入するための核貯蔵施設が小笠原。157頁

 

1969年11月21日 佐藤・ニクソン会談。沖縄の早期返還を協議で合意と発表。

 

1972年5月15日 沖縄返還。 同年6月までに米、沖縄の全核兵器を撤去。145頁

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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