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春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける


西行

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<社会全体の認識力>というものがある

自己とは、客観的には認識力のことである。

 

自己の集まりである社会にも、認識力がある。たとえば、中国には中国国家と中国人の認識力、韓国には韓国国家と韓国人の認識力があって、彼らはそれぞれの立場から鋭くものごとを認識する力をもっている。そして同時に、彼らには認識できない側面、つまり盲点もかかえている。日本も同様である。

 

こうした<社会の認識力>は、社会的に継承される体験、つまり日々つくられる歴史によって育まれる。

 

古代において戦争は、国家という全社会支配の力を生む原動力であった。近代国家が内戦・外戦ともにみずから否定するとすれば、それは国家の歴史的変質を意味する。日本の場合、本土での内戦は西南戦争をもって終結し、近代日本国家はもっぱら外戦を仕掛けて、ついに敗北した。

 

自分で仕掛けた国外戦争によって国家も住民も追い詰められた経験をもつ社会は、そのことから独自の認識力を身につけることになる。日本国憲法はそのような独自の認識の集成である。それは理念の言葉で書かれており、この理念を鏡として、戦後日本の住民は自分の認識力をつくっていった。日本は世界にさきがけて、戦力不保持の歴史的段階に入ろうとしたのである。

 

他方、自分からしかけた大戦争で完全に敗北したことのない社会、そうした歴史の認識がない個人にとっては、自国の戦力をみずから否定するという思想は、馬鹿げたこと、考えられないことと映りやすい。戦力不保持の歴史的意味を認識する素地がないからである。

 

世界戦争を前提とする国家であるアメリカは、戦力不保持の日本は利用価値が低いとみた。そのため、日本国憲法的な認識力のない勢力をバックアップした。

 

「認識力」は、歴史を理解するためのキーワードのひとつになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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