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あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


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<社会全体の認識力>というものがある

自己とは、認識力のことである。

 

自己の集まりである社会にも、認識力がある。たとえば、中国には中国国家と中国人の認識力、韓国には韓国国家と韓国人の認識力があって、彼らはそれぞれの立場から鋭くものごとを認識する力をもっている。そして同時に、彼らには認識できない側面、つまり盲点もかかえている。日本も同様である。

 

こうした<社会の認識力>は、社会的に継承される体験、つまり日々つくられる歴史によって育まれる。

 

古代において戦争は、国家という全社会支配の力を生む原動力であった。近代国家が内戦・外戦ともにみずから否定するとすれば、それは国家の歴史的変質を意味する。日本の場合、本土での内戦は西南戦争をもって終結し、近代日本国家はもっぱら外戦を仕掛けて、ついに敗北した。

 

自分で仕掛けた国外戦争によって国家も住民も追い詰められた経験をもつ社会は、そのことから独自の認識力を身につけることになる。日本国憲法はそのような独自の経験の表現である。それは理念の言葉で書かれており、この理念を鏡として、戦後日本の住民は自分の認識力をつくっていった。日本は世界にさきがけて、戦力不保持・交戦権否定の歴史的段階に入ろうとしたのである。

 

他方、自分からしかけた大戦争で完全に敗北したことのない社会、そうした歴史の認識がない個人にとっては、自国の戦力をみずから否定するなど、馬鹿げたことに見える。戦力不保持・交戦権否定の意味を認識できる歴史的体験がないからである。

 

浄土教には「共業(ぐうごう)」という言葉がある。個人がつくる業のほかに、みんなが共通に出し合う業があって、それが世界のあり方に影響を及ぼしていることを指す。

 

業は、人間が不可避的につくる認識と行為の集積で、良い業も悪い業もある。

 

共業によって、社会の生産諸力が養成される。社会の認識力は、そうした生産諸力のひとつ、すなわち共業の一種である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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