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あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


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たんなる「個人」に誰も興味はない

表現の主体が「自分」だとか「個人」だとかいう意識は昔からあるが、近代になってとくに強くなったものだろう。

 

「個人」が表現の主体だという発想には、あやういところがある。個人は社会のなかにあるから個人であり、完全に独立した個人というものは存在しない。また、ただの個人に、誰も興味はもたない。親は、それが自分の子という社会的立場にあるから、その子に興味をもつのだ。

 

表現の主体は、個人ではなく自己である。自己は、個人が社会の概念を身内にとりいれてつくった、社会的存在である。表現は、社会的立場があってはじめて意味が出てくる。

 

『精神現象学』だったか、ボヘミアン的生活というのは青年の幻想であって、人間は社会的立場を確立することが重要だというようなことをヘーゲルが言っている。

 

ここで言いたいことは、表現の主体は抽象的な「個人」ではなく、自己という観念的実在であって、自己は社会的に形成され、他者に認められて表現力を発揮するものだということだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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