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あきらけき かがみにあへば すぎにしも いまゆくすゑの こともみえけり

         大鏡


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自己は個人のものではない

自己は、意識諸形態をつくる主体である。

 

自己というと、個人的なものというニュアンスもある。じっさい、個人の肉体が滅びると、その人の自己も消滅するから、その意味で自己は個人的なものではある。

 

だが、自己とは概念を参照しながら自分の意識を認識し表現する主体である。それは、労働力が労働規範にしたがいながら労働対象を商品に仕立てることと同じである。

 

労働力は、具体的には個々人がもつ能力であるが、社会的平均的な能力としての労働力というものも考えられる。「時給850円」といった一律の基準がなりたつのも、社会的平均的な労働力の存在を示唆している。

 

自己も、年齢や地域に相応の、平均的な自己というものを想定することができる。つまり、労働力と同じく、自己は社会的な存在でもある。

 

だとすれば、死とともに個人の肉体は滅び、私の自己も滅びるが、自己は概念運用の主体という普遍的な概念だから、社会には自分の自己に似た自己が存在する可能性がある。

 

だから、たとえば自分の子や孫に「託す」ことで、自己を継承してもらうこともできる。

 

自己は完全に個人のものではない。自己は開放され、社会的にシェアされるものである。そう思うと、少し気が楽になるような感じもする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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