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         大鏡


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「われありと、われ思うがゆえに、われあり」 デカルトの明証について

デカルトの有名な言葉は「われ思う、ゆえにわれあり」だが、この言葉には、

 

「われありと、われ思う」

 

という意味が含まれている。英語なら、こうなるだろうか。

 

I think that I am.

 

この文には”I”が二個ある。最初の”I”は、自己が話し手の意識のなかに見出した自己つまり自己’であり、二つめの”I”は、この自己’が存在を認めた自己つまり自己’’である。

 

”I”をめぐる観念のトランス(自己から自己’へ、さらに自己’から自己’’への二重の超越)は、生身の身体から自立した観念の世界でおこなわれている。観念上、とくに明瞭なのは、”I am” という意識の存在根拠が、”I think"  していることにあるということである。もし "I think" が存在しないなら、"I am" もないだろう。

 

これらふたつの ”I” の関係を表現すると、

 

I think, therefore I am.

 

となり、「われ思う、ゆえにわれあり cogito, ergo sum」となる。


この 自己’と自己’’ の関係は、どの個人にとってもつねに成り立つから、観念の世界が肉体とは別に存在することの証明になる。

 

そうデカルトは考えたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
自己・意識・主体からはみ出す得体のしれない閾を、

後期・フロイトは「エス」と名付け、気づいてはいました。

フロイトだけでなく西欧哲学も射程に入れていました。

でもその正体を<非自己>と対象化はできませんでした。

| 非自己 | 2018/10/02 6:08 PM |
主観と客観の対立ですね。■
| 矢車 剣之介 | 2018/10/02 10:57 AM |









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