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         大鏡


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「われありと、われ思うがゆえに、われあり」 デカルトは観念のトランスに気づいた

デカルトの有名な言葉は「われ思う、ゆえにわれあり」だが、この言葉には、

 

「われありと、われ思う」

 

という意味が含まれている。英語なら、こうなるだろうか。

 

I think that I am.

 

この文には”I”が二個ある。最初の”I”は、自己が話し手の意識のなかに見出した自己であり、二つめの”I”は、この自己が存在を認めた自己、いわば自己’ である。

 

二つ目の”I”にとっての存在根拠は、最初の”I”が think していることにある。もし"I think" が存在しないなら、"I am" もないことになる。

 

もとより、 "I think" といい、"I am" というのは、物質性を離れた観念の世界のことである。つまり、”I”をめぐる観念のトランス(自己超越)は、生身の身体から自立した世界でおこなわれており、その範囲では「われ」の存在を疑うことはできない。

 

この関係を表現すると、

 

I think, therefore I am.

 

となり、「われ思う、ゆえにわれあり cogito, ergo sum」に近づく。


 

観念のトランスの主体は自己である。自己はデカルトの身体で起った観念であるが、自己は誰もがもっているから、自己はデカルト個人のものではないはずである。

 

デカルトは、この自己に、神の創造の手、神の出張所としての人間の本質をみたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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