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春ごとの花に心をなぐさめて 六十(むそぢ)あまりの年を経にける


西行

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「自己分裂」(三浦つとむ)とは、正確には何なのか

<人間は自己分裂して言語をつくっている>と三浦つとむが指摘したことは、人間というものの理解にとって画期的なことだった(三浦つとむ『日本語とはどういう言語か』講談社学術文庫)。

 

「自己分裂」は、欧米の言語学には登場しない。「自己分裂」という概念をもたないために、欧米系言語学は言語の形式に目を奪われ、あいかわらず低迷しているといえる。

 

私のトランス・グラマーは、三浦つとむの「自己分裂」の概念なしには作れなかったのだが、この概念はいまひとつ明確性に欠けるところもある。ここでは、トランス・グラマーの立場から「自己分裂」をあらためて規定しておく。

 

重要なポイントは、「自己分裂」は多重だということである。

 

言語のトランスの主体は、自己である。自己は人が体内に抱く意識(自分)を表現するために、人間が自分から分離させるものである。自己は、経済学でいう「労働力」にあたる。言語の主体たる自己(労働力)は、自分の意識を客体として認識(労働)し、この認識を概念にしたがって表現する。このように、自分から自己が分離することによって言語は可能になる。これが第一の自己分裂である。

 

さらに、自己は文中の概念のなかに主体を設ける。これは自己が生んだ自己であるから、これを<自己’>と呼ぶと、文の主語は<自己’>を内包し、文をみずから組織化していく。むろん、これは元の自己の監督下においてであり、<自己’>は語彙上明示されないことも多い。だが、文によって観念世界が現実から自立するには、自己から<自己’>が分離し、<自己’>の活動によって概念が組織されていく必要がある。<自己’>は、文の終了とともに自己に帰還する。この<自己’>の活動が、第二の自己分裂である。

 

第一の自己分裂は、人間が目覚めているあいだ、常時作動している(いわゆる「自覚」)。第二の自己分裂は、人間が言語で表現するときに起こるものである(いわゆる「自己表現」)。

 

言語以外でも、人間はどちらの自己分裂も活用している。自己は、目覚めた人間において常時自分から分離して作動している(第一の自己分裂)。あるとき自己は、自分が抱いた風景の感性的認識を認識対象とし、スマホをとりだして撮影=表現する。このとき、スマホの画面内の主たる対象は、自己から分裂した<自己’>とみなされる(第二の自己分裂)。自己’は、他の対象に自己’’を見出し、関係を結ぶ。写された画像は、<自己’>が<自己’’ >とのあいだで組織したもののようにみえる。じつは、撮影者たる自己の存在は写真の対象や構図じたいに保存されている。

 

三浦つとむによる「自己分裂」の説明がわかりにくいのは、このような自己分裂の多重性がきちんと叙述されていないからだと思われる。

 

私のトランス・グラマーでは、「自己分裂」という用語は使っていないが、人間は自分から分離した自己が自分を表現するのであり、自己が意識のなかに<自己’>を設定することで観念世界を自立させる。この根本原理は、三浦つとむの「自己分裂」の概念を発展させたものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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