ごきげんようチャンネル

鳥倦飛而知還 鳥 飛ぶに倦みて 還るを知る


陶淵明・歸去來兮辭


<< 土台・意識諸形態・上部構造、その本質たる価値・意味・意志は、トランスしあう | main | 発音記号は英語のふりかな >>
英語はコミュニケーションの「道具」か

「外国語は道具だ」という言い方をすることがある。

 

言葉は便利に使えればそれでよく、とくに外国語は、細かいことを気にせずにどんどん使おう、という意味のようだ。

 

外国語に浸ると無意識のうちに異文化にとりこまれ、自分本来の文化的アイデンティが危うくなると考える人もいる。そういう立場からは、「外国語は道具だ」というのは、

 

 

「外国語は、あくまでも道具にとどまるべきだ」

 

 

という主張にもなる。

 

「外国語は道具だ」とは、「オレは外国語を話しても、外国の文化に染まるわけではないぞ」というツッパリ宣言にもなるわけである。

 

 

...

 

 

外国語だけでなく、言語がコミュニケーションの道具だというのは、言語が社会で果たす役割の一面を言い当てている。

 

だが、より正確にいうと、「道具」と呼ぶにふさわしいのは、言語の規範たる概念である。

 

人間にとって概念は、職人の道具箱のようなものである。道具を使って自分の作りたいものを作る(自分の認識を素材にし、概念を道具にして表現体を作る)のが、言語である。そういう意味で、概念は言語の「道具」である。

 

だが、道具は自分の動きを規定するものでもある。軽い指揮棒ひとつ持っても、人はそれにふさわしい動きしかできなくなる。

 

つまり道具(概念)は規範として作動する。

 

だから外国語を習得すればするほど、<外国語の自己>が生まれ出てくる。それは母語の自己とはちがうところがあるので、「あの人は外国語を話すと人が変わる」といわれるような現象が起こる。

 

 

 

...

 

 


 

職人やスポーツマンが道具を大事にしていい仕事をするように、人間は概念を大事に使って、いい表現体=言語を作るのが良い。

 

「外国語は道具にすぎない」とツッパるより、「外国語の道具(概念)をみがき、大事に使って、いい人格を表現しよう」と努力するほうが、立場が高いと思う。

 

外国語を粗末に扱えば、それなりの人格とみなされる。外国語を大事に使えば、外国語を通して自分の人格を高めることができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









http://soundsteps.jugem.jp/trackback/4091
#誰が書いてるの?
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
2930     
<< April 2018 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック