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オウムになるな(おわり) 中津燎子『なんで英語やるの?』から

■ 著者は、呉で駐留米軍の電話交換手をしていたとき、日系二世のJ. 城田氏に特訓を受けた。

 

この話が、じつにいい。

J・城田氏は次のように言ったという。
 

 


「あなたは私の英語のまねをするから出来ないのです。おうむのものまねには限度があるのです。あなた自身の英語を発見して下さい。

 

まねた英語はほんものではないから、ほんものの価値はあたえられません。ものまね英語を喋るより自分の国の言葉を堂々と喋るべきです。」38頁(太字は引用者)
 

 

 


これに、中津氏はこう反応する。
 

 

 


「半ばけんか腰で数回つづけるうちに、ふしぎな事に何だかわかって来た。要するに彼の発音をそのまままねようとするため、私は自分本来の声や、舌の動き方に関しては案外無神経だった。…

 


ああ、私にも私の声があったんだわ

 


とはじめて気づいて、自分を研究し始めた時から私はどんどん進んでいった。」38−39頁(太字は引用者)
 

 

 

 


ここには深い真実がある。

声はたんなる「発音」ではない。「私にも私の声がある」という確信が発音に芯を与え、伝える概念内容に信頼性を与える。


 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:01 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
詳細なコメント、ありがとうございます。発音というと、単に生理的な作業のようにイメージしがちですが、感受性や理解力も含まれてくるというのは、重要な観察と思います。
| みうら | 2017/11/29 8:23 PM |
オウムや九官鳥の脳では、聴覚野の占める割合はずば抜けて高いといわれています。

反唱や復唱ができるためには、聴覚が十分な感度を持っていなくてはなりません。それでは口腔器官はどうなのでしょうか。
発音できるためには、口を動かさなくてはならず、口を上手に動かすためにはかなりな意志的なコントロールがいるのでないでしょうか。

ところが、インコや九官鳥には固いくちばししかありません。こんなくちばしで人間そっくりな発音ができるなんて考えられないのです。ところが事実はつくられています。不思議なことにきれいな発音がつくれています。

この事実を素直に受けとめれば、どうしてもこんなふうに考えざるをえません。

それは口腔器官が十分でなくても、まず「音を聴く」力が発達していれば、そこで口腔器官があたかも共鳴板のような働きをして、たやすく反唱させることが可能になるのだと。

ところが今までの言語学はそういうふうには言われてこなかったように思います。発音とは口腔器官を使った意図的な構音運動なのであって、難しい構音をつくるには複雑な意図を含んだ構音運動を展開しなければならない。そのためには、そういう構音運動をコントロールできる理解力や技術が必要になるのだと。

だから小さい子がサ行やラ行を発音することができないはずだとされてきました。ところがヤーコブソンは生後間もない赤ちゃんの発音を調べていくうちに、喃語とよばれている発音の中に、すでに高度なテテクニックでしかできない発音のほとんどがすでに出ていることに気づきました。

「発音しやすい音が最初に獲得されるであろう、と。ところが乳幼児の言語発達における本質的な事実は明らかにこの仮説に相反する。乳幼児は喃語の時期に多種多様の音を楽に出す。ところが『単語をいう』段階に移ると、すなわち最初の意味論的価値を獲得すると、これらの音をほとんどすべてふるい落としてしまうのである。」(失語症と言語学)

つまり、何の口腔器官のコントロールもできない乳幼児が、すでに「高度」な発音をすることができていて、そして少し単語がではじめるような「ものわかり」がついてくると、途端にそういう「高度」な発音はいっさいできなくなってしまいます。

この事実は、オウムや九官鳥の「高度」な発音のできる事実と比べてみるととても興味深いです。おそらく乳幼児はオウムみたいなシステムで「高度」な発音をつくることができていたのです。

ではオウムみたいな発音の仕方とはどういう状態の事なのでしょうか。仮に、<聴覚を即反響させてつくる発音の仕方>と呼ぶことができるように思います。

こういう発音の仕方では、口腔器官を意志的にコントロールすることを必要としません。口腔器官は共鳴板の役目を果たすだけでよかったのです。

「ものわかり」がつくにしたがって、聴くことだけでなく、視ること、意志すること、感じる事、考える事、言おうとすること、伝えようとすること、といった多元的な方向の感受性や理解力を同時にもたなくてはならないことになります。その多元性は注意力を分散させると同時に、広範囲な刺激を同時に吸収していかなくてはならなくなります。道は多岐にわたり、当然進むスピードはゆっくりした徐行になります。

「ものわかり」がついてくると、聴きたいし、見たいし、知りたいし、喋りたいし‥といういろんな欲求が同時に出てきて、結局そのどれもが十分にコントロールできなくなります。発音だけに気持ちが集中できなくなります。だから発音に関しては比較的発音しやすい音からしかはじめられなくなり、当然、その他の発音は不明瞭なものになってしまいます。


| 足利 | 2017/11/29 10:31 AM |









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