ごきげんようチャンネル

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概念は言語の非物質的側面である

言語の表現体には、認識と概念が含まれている。あるいは、認識された概念、概念化された認識が含まれている。

 

認識は、身体をもつ個々の人間が抱く、具体的な観念である。概念は、社会に共有されている非物質的で抽象的な観念である。認識は概念によって可能になり、概念は認識によって実在できる。

 

社会的で非物質的な概念は、個人的で物質的(身体的)な認識なしには実在しない。認識を持つ身体にしか、概念は生起しない。そのため、人間にとって、概念を認識から区別することはむずかしい。

 

 

「概念」を、「事物の本質的特徴」をとらえた観念であると説明した辞典がある(ブリタニカ)。

 

個々人が自分の認識を表現し、その意味を受容する作業を繰り返す中で、社会的にもっとも承認された認識とその表現体が、概念として定着していく。概念が「事物の本質的特徴」をとらえることができるのは、この社会的な洗練のプロセスがあるからである。概念は、この社会的プロセスの中で変化していく。「雷」の概念は、雷神の太鼓から空中の放電へと変化した。

 

言語は、こうした概念の組み合わせである。言語は、社会的概念の組み合わせというレベルでは、非物質的な、純粋の観念である。社会的に承認された概念の組み合わせである以上、誰が話し手であろうと、どんな認識で語ろうと、言語として成立する。現実世界に住んでいる話し手から見て、そこに対応する実物がなくても、言語世界は成立するのである。

 

 

言語が個々人に伝える具体的内容を、意味という。商品で言えば、意味は認識的には使用価値にあたり、概念的には交換価値にあたる。

 

 

 

「交換価値は、物に費やされた労働を表現するための、ひとつの限定された社会的作法であるのだから、為替相場と同じく、自然的素材をまったく含むことはできない。


(マルクス『資本論 第一巻』初版第一章。訳文は、筑摩書房版マルクスコレクションIII、2005年、321頁。資本論第二版では、新日本出版社版、第一巻、140頁。太字は引用者)

 

 

 

意味も認識も概念も、人間の非物質的な面=観念である。定義上も実際上も、観念は「自然的素材をまったく含むことはできない」。観念は物質ではない。物質ではないからこそ、物質的な限界を越えて、過去や未来や仮定の世界を作ることができるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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