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ルソー、マルクスから AI へ  数へと収斂する現代社会

ルソーのすごみは、つきつめた思考にある。有名な「社会契約」について、ルソーはこう説明している。

 

 

 

 

「自然状態ではもはや存続できず、生存様式を変えないと、人類が滅亡するしかないところまで達したとする。

 

そのとき、人類は力の総和をつくって障害を克服するしかない。

 

しかし、各構成員は全体に結合するが、自分自身にしか服従することなく、結合前と同様に自由である、という結合は可能だろうか。

 

それは可能である。

 

各構成員が、自己と自己の権利のいっさいを、共同体に譲り渡せばよいのである。

 

これなら、みなが同じことをするのだから万人にとって条件は平等であるし、特定の誰かに自己を譲り渡すわけではない。そのうえ、結合は完全である。

 

各人は失ったものと同じ価値のものを得るし、自分のもつものを保存するために、いっそう多くの力を獲得する。」

 

 

(ルソー『社会契約論』井上幸治訳、中公文庫版、24-26頁より要約)

 

 

 

 

マルクスの価値形態論は、このようなルソーの社会契約の論法に似ている。

 

貨幣のように、あらゆる商品の価値を表現できる「一般的価値形態」がどのように成立したかについて、マルクスはこう述べている。

 

 

 

 

「一般的な価値形態は、商品世界の共同の労働としてのみ成立する。あらゆる商品の価値が表現できるのは、あらゆる商品の全面的な社会的関係によってのみである。」(マルクス『資本論』第一巻、第三節、中山元訳、100頁より要約)

 

 

 

 

すべての商品が、貨幣のような特別の商品によって自分の価値を表現することで、はじめて商品世界が成立する。この論理は、すべての構成員が「自己を共同体全体に譲り渡す」ことで、「各個人はいわば自分自身と契約している」状態となり、「この結合行為からその統一性、その共同の<自我>、その生命とその意志[一般意志]を受けとる」(井上訳、前掲、25、27頁)というルソーの議論に似ている。

 

 

貨幣のような一般的価値形態は、「すべての人間労働が分かりやすい形で受肉したものであり、人間労働が一般的で社会的な<さなぎ>のようなものに化身したものである」(マルクス同上訳書、101頁)とマルクスは述べている。

 

これはルソーが、都市国家、共和国、政治体、国家、主権者、国、市民、人民といった言葉で呼ばれるものは、いずれも個人の身体と権利の共同の譲与によって、「個人に代わって一つの精神的・集合的団体を成立せしめ」たものだ、と述べているのに似ている。(井上訳、前掲、26頁)

 

 

...

 

 

 

貨幣は、個々の商品とちがって、すべての商品の価値尺度となるという、特別の地位を獲得している。

 

国家は、個々の組織とちがって、地域のすべての構成員に一定の社会的属性(国籍、権利、納税、軍役など)を与えるという、特別の権能をもっている。

 

支配が一部分ではなく、「すべて」に及んだとき、質的な転化が起こる。その支配は、いわば不動のブランドになり、誰もがその権威をうけいれ、支配を承認するようになる。

 

逆に、こうもいえる。支配が「すべて」に及ぶのは、支配される側のあいだで、それが支配力として承認されているときである、と。

 

この支配力の社会的承認の過程に、人間社会の秘密があると考えたのが、ルソーとマルクスであった。全社会的支配力の積極面に人類の希望を見たのがルソーであり、全社会化した支配力といえども、人間の盲点をついた一種の転倒にすぎないことを重視したのがマルクスであった。

 

 

...

 

 

 

貨幣(マルクス)、国語、そして政府(ルソー)という近代社会の産物は、どれもその力の源泉たる<価値・意味・意志>が人間にとって無意識化しているため、その支配が当然のように受け入れられる。

 

<価値・意味・意志>は社会の本質であり、支配力である。だがそれ自体は、<力>であるから目にはみえない。それは<交換財・表現体・行為態>という、目にみえるものとして現象する。

 

<交換財・表現体・行為態>の実体は、人がおこなう<労働・表現・行為>である。だが、それをおこなう当人たちは、目に見える<交換財・表現体・行為態>を追いかける。だから、この「追いかけ」から自動的に発生する<価値・意味・意志>の支配力に、当人たちはなかなか気づかない。

 

<貨幣・国語・政府>という<交換財・表現体・行為態>が、<価値・意味・意志>という全社会的支配力を無意識化し、<労働・表現・行為>という実体を隠蔽した。これが近代社会の段階である。

 

現代では、<貨幣・国語・政府>を包括していた国境が取り払われ、すべてが<数>へと収斂する傾向がある。現代ではコンピュータが、これらの支配力を<数>へと一元化しつつある。

 

このごろのAIの隆盛は、このことを示している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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