ごきげんようチャンネル

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聖書は革命の書である

救い主イエスを身ごもったと告げられたマリア。研究によれば、そのときマリアは13歳くらいか。田舎の貧しい水くみの少女だった。

 

驚くマリアが、神をたたえて歌う。これがいわゆる「マリアの賛歌」だが、そのテキストは、バッハの「マニフィカート」などの名曲にもなっている。

 

ところで、解放の神学によれば、「マリアの賛歌」は革命の歌だという。

 

 

 

 

「わたしの魂は主をあがめます。

身分の低い、この主のはしためにも

目を留めてくださったからです…

 

 

主はその腕で力をふるい、

思い上がる者をその座から引き降ろし、

身分の低い者を高く上げ、

飢えた人を良い物で満たし、

富める者を空腹のまま追い返されます。」

 

 

(ルカ1・46〜56)

 

 

 

 

なるほど、まさにこれは革命の言葉だ(ロバート・マッカフィー・ブラウン(山下慶親・栗林輝夫訳)『意外な知らせ 第三世界の目で聖書を読む』日本基督教団出版局、1989年、99-110頁)。

 

 

そもそも未婚の女性が子を産むことが死罪とされた時代に、マリアのような貧しい女性に神の子が宿ったと主張することじたい、革命性(価値の逆転)に満ちている。(原栄作『パン屑を集める心 逆説の真理としての聖書』新教出版社、1993年、13−14頁)

 

 

 

同じマリアという名で有名なのは、マグダラのマリアである。

 

こちらのマリアは生みの親のマリアにかわって成人後のイエスにつきそった女性で、イエスの死をみとどけ、埋葬にたちあい、復活後のイエスに接したとされる。イエスの足に塗油した罪深い女マリアと同一人物ではないかと言われる。

 

つまりマグダラのマリアも、社会の底辺の象徴である。(ドナテルロの彫刻は胸をうつ)

 

 

 

 

 

 

 

ドナテルロ「マグダラのマリア」(1453-1455)

 

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Ocean/7112/museo_duomo2.html

 

 

 

 

こうした最低辺の女性こそ、聖書のシンボルである。聖書=革命の書という解釈は、聖書の本質をついていると、私は思う。

 

 

 

 

なお、旧約聖書に、「マリアの賛歌」の原型と思われる一節がある。預言者サムエルをみごもったときの「ハンナの祈り」といわれるものである。これも、地位の低い女性の歌である。

 

 

 

 

「主にあってわたしの心は喜び…

 

主は何事も知っておられる神

人の行いが正されずにすむであろうか。

 

勇士の弓は折られるが

よろめく者は力を帯びる…

 

弱い者を塵のなかから立ち上がらせ

貧しい者を芥のなかから高く上げ

高貴な者とともに座につかせ

栄光の座を代々の仕事としてお与えになる。」

 

 

 

(サムエル記・上2・1〜2・9)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | イエスの虚像 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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