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概念から認識への新ルート それがトランス・グラマーだ

概念と認識。この二つが、私には長いこと区別しにくかった。概念と認識の区別はむずかしい。むずかしいからこそ、キモなのだ。

 

認識は、個々の人が創造する個人的な観念である。概念は、人々が表現を交換するうちに凝固した、社会的な、既定の観念である。個々人は、概念をそれぞれの仕方で分有している。たいていの概念は、辞書に載っている。

 

概念の例をあげてみよう。次の表は、小学校で教える日本語の「こそあど」の概念体系である。

 

 

 

 

 

品詞

近称(こ)

中称(そ)

遠称(あ)

不定称(ど)

名詞

(代名詞)

事物

これ

それ

あれ

どれ

場所

ここ

そこ

あそこ

どこ

方角

こちら

こっち

そちら

そっち

あちら

あっち

どちら

どっち

連体詞

この

その

あの

どの

副詞

こう

そう

ああ

どう

形容動詞

こんなだ

そんなだ

あんなだ

どんなだ

 

 

 

 

この表は、概念どうしの関係、すなわち個々の話し手とは無関係に、概念どうしが自立的につくった秩序を表している。もちろん、個々の具体的な認識においては、日本語を話す人がこうした概念の体系をいちいち意識しているわけではない。

 

認識は個人的で、概念は社会的だというのは、このようなことを指している。概念は、個々の認識よりも抽象的な、社会的な観念であって、個々の話者のばらばらな認識とは次元が異なり、概念どうしで関連しあっている。

  

個人の認識は、社会的な概念にのっとって行われる。社会的な概念は、個人の認識とその表現の集積によって創造され、発展する。談話、定義、詩、小説といった具体的な言語表現は、個々の認識が概念の体系にのっとって表現体に転換されたものである。

 

 

 

 

概念と認識の違いを理解することは、外国語の習得のような場面で決定的に重要となる。

  

外国語の学習のとき、人は母語の概念による認識と、母語風の表現体(発音)に頼りがちである。しかし、これをすると、大変な遠回りを強いられることになる。

 

母語への依存による遠回りをなくすために、二つのルートが考えられる。

 

一つは、<認識から概念へ>というルートである。たとえば、具体的場面を写真や漫画や例文でたくさん見せて、英語の前置詞の概念を理解させようとする場合がそれである。 この方法は、直感的にわかる画像イメージを利用して、母語による認識を回避しているところが優れており、一定の効果があるが、単調で、飽きてしまうし、正確な概念に到達できる保障もない。現在行われている言語教育は、こちらのルートがメインであろう。

 

もうひとつルートは、<概念から認識へ>という逆方向からのアプローチである。まず外国語の概念をつかむ。それには、概念がわかる図表や動画を用いてもよいし、堂々と日本語を使ってもよい。

 

簡単な概念なら、図表や動画でもわかることがある。しかし、複雑な概念を理解するには、言語に頼るしかない。この時、無理に外国語を外国語で教える必要はない。母語もまた言語である以上、概念の直接的表現であるから、母語は外国語の概念を説明の対象にすることができるのである。わかるために使った言語は母語でも、わかった内容は外国語の概念である、ということが可能なのだ。これは、サッカーのルールや技術を教えるには、何語で指導しても良いことに似ている。

 

日本で流布している学校英文法は、「主語」「動詞」など、英文の中で語が働く機能による説明が中心になっている。しかも、練習方法が母語依存の「英文和訳」なので、本来の英語の概念に入りこみにくい。

 

図表、動画、母語によってつかんだ外国語の概念によって、具体的な場面で自分の認識を作り、この認識を外国語の表現体(音声と文字)によって表現する練習をする。こうすれば、母語への依存は回避できる。<概念から認識へ>のルートは開拓できるのである。

 

このような、<概念から認識へ>のルートは、これまで本格的に探求されなかった、ほぼ未踏のルートだと言える。英語への未踏のルートを日本語で表現したものが、私のトランス・グラマーである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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