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「古池や...」は禅問答だった! 空が無に帰る宇宙の連関

岡本聡「芭蕉の死生観」(『国文学 解釈と鑑賞』2008年3月号)によると、多くの傑作を生んだ晩年十年間の芭蕉(1644-1694)の精進は、まさに禅の境地を表現するところに眼目があった。

 

岡本論文によれば、芭蕉は1680年、36歳のとき臨済僧・佛頂(ぶっちょう)和尚(1643-1715)に出会い、初めての旅に出て、『野ざらし紀行』を著した。それ以来、50歳で死去するまで、芭蕉は佛頂和尚の弟子であった。145頁。

 

「野ざらし」とは、野外に死体が捨てられ白骨化することをいう。『野ざらし紀行』という芭蕉の紀行文のタイトルは、彼が「本来無一物」という禅の境地に深く共感していたことを示唆している。142頁。

 

 

 

岡本論文に紹介された逸話がある。

 

 

 

ある日、佛頂和尚が芭蕉庵を訪ねて、庭を見ながら、

 

「近日何か有り」

 

と和尚が尋ねると芭蕉は、

 

「雨過ぎて青苔(せいたい)を洗ふ」

 

と答えた。

 

芭蕉の気合いを感じたのか、佛頂和尚はここで公案に転じ、

 

「青苔いまだ生ぜざる前の春雨、春雨いまだ来たらざる前の佛」

 

と質した。

 

すると芭蕉は、「池辺の蛙一躍して水底に入る音」がしたのをとらえて、

 

 

 

「古池や蛙飛び込む水の音」

 

 

 

と答えたのであった。

 

佛頂和尚は、

 

「珍重(ちんちょう)珍重」(大変結構だ)

 

と唱え、携えていた如意(先端が曲きあがった棒)を芭蕉に授けた。

 

 

 

 

この逸話を読むかぎり、名句「古池や…」は、通常の句作というより、居士(在家の禅修行者)としての芭蕉の応答にほかならなかった。

 

 

 

 

 

 

佛頂和尚と芭蕉の子弟関係は以前から知られているし、芭蕉の晩年の旅が禅の境地と深い関係があることも広く認められている。

 

しかし、芭蕉晩年の句作が禅の実践そのものだったという突き詰めた認識は、まだあまり一般的ではないのではないか。

 

たとえば、復本一郎『芭蕉古池伝説』(大修館書店、1988年)は、「古池や…」の一句だけを追求した研究書で、そこには前に引用した佛頂和尚と芭蕉の問答も紹介されている。

 

しかし復本氏は、芭蕉がこの句をもって禅の境地に了悟したという見方は「純然たるフィクション」だと結論づけている。91頁

 

その根拠は、このエピソードを伝える文献が1762年以降のもので、芭蕉当時からだいぶ時間がたっていること、同様のエピソードを記した文献が何種かあり、それぞれに脚色され、統一性に乏しいことから、どれも信頼できないと考えるべきだからである。

 

しかし、前出の岡本論文は、だからといって「古池…」の禅問答起源説を「切り捨ててしまうのは実に惜しい」という。(岡本前掲論文、144頁)

 

じっさい、佛頂和尚が芭蕉に授けた如意は現存しており、そこには「桃青」(芭蕉の別名)「佛頂書」などの文字が記されている。佛頂和尚と芭蕉が禅問答をしたことは事実である。(岡本前掲論文、147頁)

 

なお、このとき、佛頂和尚への芭蕉の応答は「蛙飛び込む水の音」だけであって、「古池や」はあとで弟子たちと検討した結果、「寂しさや」「山吹や」などの候補をしりぞけて付加されたものだと述べる江戸期の文献もある。(復本前掲書、87頁)

 

そうだとすれば、「古池や…」の句は禅問答における芭蕉の即興的応答であっただけでなく、句作上の工夫も加えて成立したもので、いわば宗教と文芸の混合物だったことになる。

 

 

 

 

 

 

「古池や…」の本質が禅の境地であったとすれば、その境地とは、次のようなものであった。(以下、岡本論文146-147頁をヒントに私がまとめたもの)

 

 

蛙の飛び込んだ音が聞こえた。すでに蛙の姿は見えない。いまは池に波紋が残るのみである。

 

蛙は「四大」(地水火風)が仮合(かごう)した仮の姿=「空」であり、空たるものの存在は、一瞬の音によって知られる程度のものである。

 

そして空が消失した今、池の波紋が仮合以前の真実=「無」を示している。

 

 

 

以上の解釈には、いくつか注釈が必要であろう。

 

◯ この句では、蛙が池端で身構えていたり空中に飛ぶ様子ではなく、水底に見えなくなったあとをイメージすべきこと。

 

芭蕉自筆とされるこの句の自画賛がいくつか伝わっており、その多くに蛙の姿が描かれている。復本前掲書は、そのうち少なくとも二例を芭蕉の真筆と認めているようであるが、今栄蔵氏によれば、蛙が描かれているものはすべて贋作であると考証されている。(岡本論文146頁)。たとえば、井本農一『芭蕉入門』(講談社学術文庫、1977年)に紹介された自画賛では、蛙の姿はなく、池のなかに波紋だけが描かれている。

 

じっさい、「水の音」がするのは蛙が飛び込んだ後であるはずであることを考えると、池の波紋だけを描く境地を芭蕉の真意とすべきである。(岡本論文、146頁)

 

 

◯ 上記の「空」と「無」の把握は、佛頂和尚が説いた内容と合致すること。

 

雲厳寺蔵『佛頂和尚法語』に、次の語がある。

 

「即空トハ万形悉ク即空ナリト観ジテ、万般ノ迷ヒノツキ去ルヲ云フナリ。万形トハ四大ノ仮和合ナリ、本分無相ノ道体ノ仮リニ変作スルヲ云フ。…

 

然ルニ古今愚妹ノ衆生ハ、天理自然ノ定理ニタガイ、仮相ヲ執シテ実相ナリトアヤマリ来ル、故ニ生ヲ愛シ死ヲ憎ムナリ。」(岡本論文、146頁)

 

 

 

 

「古池や…」は、蛙の姿や水音のユーモラスなイメージも手伝って、口コミで世間に広がり、江戸期にすでに有名な句になっていた。(復本前掲書、65頁)

 

そして「名句」との評価が高まる反面で、「空」や「無」に縁遠い庶民の現世感覚がはたらき、「古池へその後飛びこむ沙汰もなし」など多数の戯作や自画賛の贋作が流布した。

 

芭蕉の境地は、直弟子たちでさえ十分に理解しなかった(理解しようとしなかった)形跡がある。弟子たちは、芸事としての句作が、難しい禅の修行へと変質してしまうことを、無意識のうちに危惧したのかもしれない。

 

むろん、芭蕉は僧侶ではなく誹諧師だったのだから、彼の表現は常に俳句として昇華していった。そして俳句へと昇華したからこそ、どんな名僧の言葉よりも「古池や…」が人口に膾炙したのであった。

 

 

 

古池に蛙が飛び込むように、晩年の芭蕉の旅は「空」たる自己が「無」へと帰るプロセスを体験するための、本気の没入でもあったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 名著のアフォーダンス | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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