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音声と文字が千年前に溶け合った西洋大陸 ラテン語の吸収が遅れたがゆえに文法書を作ったイングランド

大黒俊一『声と文字 ヨーロッパの中世6』(岩波書店、2010年2月)

  

11世紀後半は、ヨーロッパの主要言語=英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語の転換点であった。この現象を「大分水嶺 the Great Divide」と呼んでよいと著者はいう。104頁。

 

 

 

英語…ノルマンの征服(1066年)以降、イングランドはラテン語・フランス語・英語という三重言語体制となった。それ以前、古英語はヨーロッパ言語のなかでもいち早く文字化され、豊かな文献とともに統一化の様相を見せていたのだが、ノルマンの征服以降、ふたたびいくつもの方言に分裂していった。英語が再び統一されるのは。14世紀であった。78頁。

 

 

 

ドイツ語…ゲルマン語は8世紀前半から文字化したが、しばらく文字化が途絶えた。そして1050年ごろふたたび文字化されるようになった。そのときにはずいぶん違う言葉に変貌していた。これ以降、ドイツ語は中世ドイツ文学の黄金期をむかえる。79頁。

 

 

 

フランス語…ストラスブールの誓約(842年、東西フランク王国の王がそれぞれロマンス語とゲルマン語という相手の言葉で、共通の敵・ロタールに対抗する同盟関係を誓った文書。25−26頁)のあとしばらく文字化されなかったが、1050年ごろに「聖アレクシス伝」や「聖女フォワの歌」といった作品が登場した。それ以降文字化がさかんになり、以後、傑作「ローランの歌」に代表される中世フランス文学の隆盛期をむかえる。79‐80頁。

 

 

 

スペイン語…イベリア半島におけるキリスト教徒によるレコンキスタ( Reconquista 国土回復運動)は8世紀から15世紀までつづくが、1085年にカスティーリャ王国のアルフォンソ六世がトレドを奪回したことは、この王国の言葉がイベリア半島において近代スペイン語に発展していく契機となった。以降、カスティーリャ語による「わがシッドの歌」など、スペイン中世文学がさかんになる。80頁。

 

 

 

こうして、11世紀後半、ドイツ、フランス、スペインではラテン語とは異なる独自の文字化がすすみ、それぞれの現地語による文学作品が花開いた。英語だけが分裂し、非文字化していった。これが「大分水嶺」の内容である。10頁。

 

とりわけ、「大分水嶺」は、声と文字の関係に重要な変化をもたらした。

 

 

 

 

「この時期以降、発話の背後にはテクストが存在し、口頭表現はつねに隠れた参照系としてのテクストにもとづいて行なわれるようになる。人はあたかも書かれたものがあるかのごとく、仮想のテクストにもとづいて語るようになる。こうして人は語るとき、つねに書き言葉に(ほとんど無意識に)規制されながら語るようになるのだ。」(111頁より要約)

 

 

 

 

著者の主張は、「声と文字の弁証法」という言葉にあらわれている。音声と文字は「対立でも反映でもなく、複雑な絡みあいである」と著者はいう。8−9頁。言語のふたつの形式が「大分水嶺」以降、たがいに独立しながら補いあい、溶け合うようになった。

 

音声と文字。言語の二大形式がヨーロッパでは中世に溶け合い、それが各言語のラテン語からの独立を助けた。

 

 

 

 

 

 

他方、同じ西暦1050年ころを境に、英語だけが、音声が文字化されない局面に入った。

 

ブリテン島の歴史で面白いのは、ドーバー海峡を挟み、大陸のラテン語文化から距離があったがゆえに、住民にとってラテン語を咀嚼するのはむずかしく、だからこそ文法書や表記の工夫が進んだことである。

 


イングランド島にラテン語がもちこまれたのは、紀元一世紀、イングランドがローマの属州になってからである。だが、ラテン語が住民に使われることはなかった。ラテン語が本格的にイングランドにやってきたのは、紀元600年ころからのキリスト教布教以降のことであった。アイルランドに、キリスト教とともにラテン語がもちこまれたのは、それから一世紀ほど遅れてのことである。

 

こうして大陸と同様、イングランドも現地語(古期英語・中期英語およびノルマンフレンチ)とラテン語の二重言語体制となったわけだが、大陸との大きな違いは、イングランドではラテン語が遅く導入されたために、ラテン語が「完全な外国語」として受けとめられたことである。この「完全な外国語」を咀嚼しようとして、史上初のラテン語「文法書」がイングランドで作られた。44頁。

 

それまでもラテン語文法的な書物はあったが、それを読むにはラテン語を知っている必要がある類のものであったし、内容も、ラテン語の性格を論じたようなものであった。格変化の一覧表が親切に書いてあるような、初歩者用の文法書は、イングランドで生まれたのである(「島の文法書」)。44頁。

 

もうひとつ、ラテン語が「完全な外国語」であったためにイングランドがなしえた貢献がある。それは、句読点、段落表示、そしてなにより単語ごとの「分かち書き separation」の手法を編み出したことである。これは、ラテン語という外国語を、ブリテン島の人々が読みこなすための工夫であった。これが「読みやすさの文法」として受け入れられ、やがて大陸に逆輸入され広まっていった。「”読みやすさの文法”は、異文化接触の最前線で生まれ」たのだ。49頁。

 

ラテン語のむずかしさを克服するために工夫を重ねたのは、ラテン語をわがものとして運用していた大陸の人々ではなく、「完全な外国語」として格闘したイングランド人たちであった。

 

 

 

 

イングランドにおけるラテン語との格闘の経緯は、日本人が英語を受容した経緯に似たところがある。

 

幕末以来、まったく異質の言語である英語を咀嚼しようとして、日本人は多大の関心と努力を傾けた。イギリス人が作った英語の文法書と漢文訓読の伝統にしたがい、大衆にも理解しやすい形式重視の「文法」と大量の訳語をつくって、教室や受験を通じて普及させた。それは同時に、日本語の近代化のプロセスと重なっていた。近代日本語は、英語を咀嚼する過程で成立したのである。

 

ただ、ラテン語は、近代ではもはや人々が語る言語ではなくなったが、逆に、英語は世界に広がり、ますます多くの人々が語る言語となっていった。ラテン語の咀嚼は、文法と辞書と忍耐があればできたかもしれないが、英語は、語るための訓練もしなければならなくなった。

 

こうして、日本人の英語との格闘は、歴史に先例のない、困難な局面を迎えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 00:01 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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