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武士は、土台と上部構造と意識形態を統合する地方支配層であった その1

斎藤慎一『中世武士の城』(吉川弘文館、2006年)。

 

面白く読んだ。

 

いくつか印象に残った点をメモする。

 

 

仏像が好きな人は少なくない。だが、仏像には多種あるので、互いの違いや関係がわかる人は案外と少ないかもしれない。

 

覚えておくと面白いのは、かつては東西南北に特定の仏が配分される傾向があったということだ。中世以降のことだと思うが、次のような原則があるという解説を何かの本で読んだことがある。

 

 

 

東  薬師如来   

南  観音菩薩   

西  阿弥陀如来  

北  弥勒菩薩   

 

 

 

釈迦如来は、生身の人間というイメージもあるので、真ん中(現世)。

 

多くの仏が四方を守ってくれるというのは、薬師に十二神将、帝釈天に四天王がいるのと同種の発想だろう。

 

この本には、武士の本拠地には、こうした仏による四方守護の発想があったらしいことが書かれている。

 

例えば江戸の場合、江戸城を中心に、

 

 

 

東 寛永寺の薬師如来

南 浅草寺の観音菩薩

西 増上寺の阿弥陀如来

 

 

 

となっている。194頁。これだと北を守護する寺がないし(日光がそれかも)、正確に東西南北でもないが、江戸を代表する寺の相互関係は、だいたい上記の伝統に合致していることがわかる。

 

中世武士の各地の本拠地も、おおむねこのような方角に、それぞれの仏を安置した寺を建立する傾向があったらしい。

 

現在、個々の寺の本尊はばらばらになっているが、かつてはこうした配分によっていたことを覚えておくと、お寺同士のかつての関係や、武士の本拠地の位置を推測する材料になるかもしれない。

 

また、各地の寺には大量の経典が所蔵され、それが支配地の安穏のための重要な財産とみなされることがあった。貴重品であったため、戦いで奪取の対象にされることもあったらしい。

 

なお、祖先の霊は、西方に位置する神社や墓地や山が居場所・礼拝所とされた。

 

もちろん、以上は一般的な傾向にすぎず、じっさいには各地の実状に応じてさまざまなバリエーションがあった。

 

武士は、地域を守護する神仏という意識形態を支える土台(建築物)の建築者であり、パトロンであり、地域デザイナーでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 21:57 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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