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西行



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天地創造神話は、この世への賛歌である

田川建三『キリスト教思想への招待』(勁草書房、2004年)

 

キリスト教のいい入門書はありますか、という学生に、この本を紹介することがある。

 

聖書学の碩学である田川氏。本書で田川氏は、キリスト教のよき遺産とはなにかを解説している。

 

そのひとつは、この世を力強く肯定し、感謝する精神である。

旧約聖書の創世記は、「初めに神は天と地を創造された」という有名な文にはじまる。

田川氏は、世界と人間を「造った」のが神であるかどうかは現代では大事ではなく、むしろ世界と人間が「造られた」ものであるという真実が重要だと指摘する。たしかに、誰も世界と人間を自分で作ることはできない。すべてはあきらかに被造物である。3頁。

しかも、世界と人間は驚くべき秩序を与えられている。紀元200年ごろのキリスト教著作を引用しよう。

 

 


「天がいかに広くひろがり、いかに速く回転しているか。闇と光がうまくめぐるおかげで、われわれは労働と休息を交互にとれるのだ。春は花、夏は収穫、秋の実り、冬にはオリーブ。そしてなにより、われわれ人間の形の美しさ。まっすぐな姿勢、立った顔、すべての器官が砦の中のようにうまく配置されている。」(9−10頁より要約)
 

 


だからイエスは、この世界を賛美してやまなかった。
 

 


「神の国は大地に種をまく人のようなものである。あとは昼夜、寝たり起きたりしている。しかしこの人自身が知らぬ間に種は芽を出し成長する。大地がおのずと実を結ぶのである。まず青草が、それから穂が、そして穂の中に豊かな穀物が。そして時がいたれば、彼は鎌を入れる。収穫が来たのだ。」(マルコ4・26−29)
 

 


イエスの教説の基礎にあったのは、世界と人間の強い肯定であった。田川氏は「キリスト教から創造信仰を消し去ったら、一緒にイエスまで消えてしまう」と述べている。34頁。
 

創世記の記述は、ユダヤ教の聖典である旧約聖書の冒頭に記されている。ところが、神がすべての人間を創ったことを強調すると、ユダヤ人だけが神に優遇される理由が説明できなくなる。そのため、ユダヤ教では創世記神話は重視されなかった。7頁。20世紀に一世を風靡したバルト神学も、創造神話がキリスト教独自のものではないうえに、神の子キリストがこの世にやってくる理由を説明しにくくなるため、創造信仰を「自然神学」と呼んで排斥した。30頁。

ところが、初期キリスト教の布教はむしろ創造信仰が中心であった形跡がある。8、36、39頁。周囲のユダヤ教やギリシア・ローマの伝統思想に対抗してキリスト教を布教するためには、「民族の枠をこえる」価値として創造信仰が役立ったからである。45頁。

パウロ(前10‐65ころ)も、宣教の初期には創造信仰を強調したようだ。しかし、そうすればするほど、人々は「復活のキリスト」という論理が理解しにくくなった。現世の強い肯定と、人間の原罪の強調では正反対だからである。だから人々は「ちっともパウロ流の神様を信じてくれず、腹が立ってきた。だからパウロは異邦人はみな罪人なのだと言い立てるようになっていったのだろう。」(39頁より要約)と田川氏はいう。

そもそも、キリスト教徒の使徒信条にいう「復活」とは、それぞれの肉体の復活を意味する。もしもこの自然世界、物質世界を否定するのがキリスト教なのであれば、肉体のこの世への復活を望むのはおかしい。63頁。

まして創世記は、六日間の創造の行為の記述のなかで、「神はこれを見て良しとした」という表現を繰り返している。これは他の創造神話にはない創世記の大きな特色である。

 

 

この被造世界は「良い」。「美しい」。

 

 

自然への驚嘆と感謝こそ、キリスト教の原像なのである。

 

だから、「人間は自然を征服してよい」という発想は19世紀までキリスト教世界にはなかったし、今日でも自然への感謝の念は、日本よりも深くヨーロッパに根づいているといえる。75頁。

たとえばヨーロッパのあちこちの市場で売られる自然でおいしい野菜。自然の恵みを自然なままに感謝して食べる精神。これは「創造信仰がつちかった伝統である」16頁。

 

 

自然への驚嘆と感謝は、科学とも矛盾するものではない。古代人が自然を有難い驚きと感じたのは無知だったからではなく、自然の精密さを知っていたからであった。20頁。

科学とは、正確に驚き、感謝することなのだ。

 

卵がどうして魚になるのか。種から実がなるのはなぜか。自然が神の理性によって創造されたものである以上、人間の知恵がそれに及ぶはずもない。それは科学で説明できるものではない。自然は人知を越える存在である。


そして、人間もまた神によって創造されたものであるから人知を越える存在であり、人間どうしは平等である。そういう感覚から、互いの立場を尊重する「距離の自覚」も生まれる。73頁。ヨーロッパで人権思想が生まれた遠い背景には、創造神話があったのかもしれない。


田川氏はこう述べる。



「人間が誠実に生きていくことができるためには、この自然世界の中で人間として生きているという事実そのものを有難いこと幸せなこととして自分の中で肯定的に受けとめるのでないといけない。」56頁。
 


自然への驚嘆と感謝。

それが田川氏の指摘する、キリスト教の第一の偉大な遺産なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | イエスの虚像 | 06:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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