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人の認識にとっては、実体より属性が本質である おわり

私は、言語をあつかうときは、実体認識を「体(からだ)」と呼び、属性認識を「態(なり)」と呼んでいる。

 

なんらかの態をとっていない体は、認識上、存在しない。態は、人の認識にとって、そのときどきに体がとる属性であり、固定せず、流動的である。だから、態に依拠する体の認識内容も、流動的ということになる。

 

「花のつぼみ」という「体」は、「赤い」という静的な「態」として認識されることもあれば、「赤らむ」という動的な「態」として認識されることもある。「花のつぼみ」という体の形式は同じでも、その態という内容の認識は、流動しうる。

 

ならば、人の対象認識の本質は、むしろ態(英文法でいえば動詞・形容詞)のほうにあり、体(英文法でいえば名詞)は、本質をいれる入れ物、あるいは、本質をおおう包み紙のようなものではないだろうか。

 

前に引用した文を再掲しよう。

 

 

 

「性質をもつその当のものと、そのものに所属する性質自身とが区別され、この区別が基準に据えられると、前者は独立して存在しうる<実体>であり、後者は実体に所属し実体に依存してはじめて存在しうる<属性>であるという考えが、そこから生まれてきます。」(藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』岩波新書、1980年、36頁。太字は引用者)
 

 

 

属性が実体に依存するというのは、認識上、属性と実体を区別したために「生まれてきた」観念である。たしかに、属性は実体から離れて存在しない。しかし、実体が人によって認識されるのは、その属性によってである。

 

実体は、属性を容れる箱のようなものである。箱という形式に入れておかないと、属性という内容は扱いにくい。しかし、箱は形式であって、入っている内容は、認識上、その属性にほかならない。

 

 

こうした実体と属性の、認識における不可分の関係を認めることから、なぜ言語では体(名詞)だけでなく、その態(動詞・形容詞など)を表現するのかが理解されてくる。

 

近代言語学は、実体と属性という基本的カテゴリーを、もういちど考えなおしたほうがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | トランスグラマー 希望の文法へ | 08:10 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
実体と属性という抽象

実体と属性は形式と内容というように、本来対立物の統一として存在している現実の物を人間の頭脳が抽象し、切り離して認識したものですが、形式論理では、あれかこれか、Aか非Aかの発想しかできません。これが、デカルト的な機械的二元論による近代合理論の限界といえます。
つまり、調和する矛盾という発想がありません。

このため、現在の言語学は実体と属性を同一平面にならべ、修飾を対象の限定、対象集合からの選択という機能的発想しかできません。
実際は、対象のあり方の反映として統語構造、文法が生み出されています。

これは中世スコラ哲学の普遍論争における唯名論と実念論の争いの延長でもあります。

実体と属性という基本的カテゴリーを考えるためには、現実が矛盾の運動であり、その反映としての人間の抽象能力という世界の立体的なあり方を理解しないと正しい理解に至らないのではないでしょうか。■
| YAGURUMA"剣之助" | 2017/08/05 12:22 PM |









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