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西行



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闇があるのは光がある証拠  内村鑑三の反骨精神

若松英輔『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット、2012年7月)に触発されて、内村鑑三(1861-1930)の「基督信徒(きりすとしんと)の慰(なぐさめ)」(1893年)を読んでみた。

 

まだ三十代前半だったにもかかわらず、多くの歴史上の事例を挙げているところからも、内村の勉強ぶりがうかがえる。

 

妻を亡くした悲しみとその信仰的解決への葛藤を述べた第一章がとくに心をうつが、他のところで印象に残ったエピソードがある。

 

 

 

 

支那宣教師某 四十年間伝道に従事して一人の信徒を得ず、しかれども喜悦もって世を逝(さ)れり。彼は得(え)しところなかりしや。

 

否(いな)。

 

師父ザビエーは東洋において百万人以上に洗礼を施(ほどこ)したりといへども、おそらくは現世より得(え)し真結果にいたっては、この無名の一宣教師に及ばざりしならん。

 

 

 

 

ある宣教師は、中国に40年宣教して一人の信徒も獲得できず、しかも喜んで死を迎えたというのだから、まるで冗談のようである。

 

しかし、この一宣教師は、有名なザビエルと比較しても「真結果」を得たのではないかと内村鑑三は問う。

 

このあたり、真実追求の人・内村の面目躍如というべきだろう。

 

上記若松氏の『内村鑑三をよむ』から、印象に残る文を引用しておく。

 

 

「闇があるから光があるのではなく、光があってはじめて闇があり得るように、労苦があるから救いがあるのではなく、救いがあるから労苦が人間に訪れることを、彼[内村鑑三]は決して忘れることはなかった。」

 

(若松英輔『内村鑑三をよむ』前掲、8頁)

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | イエスの虚像 | 21:04 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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