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実体は、主体かつ客体かつ転体であり、究極的には規範である 

以下は、かなりわかりにくいかもしれないが、前から考えていたことについての、私のメモである。

 

...

 

概念とその表象は、労働対象でもあり労働手段でもあり、言語労働の規範ともなる。概念という規範に従うがゆえに、話手は言語表現の自由を手にいれる。概念は、言語労働の原料であり、かつ最終生産物でさえある。

 

労働対象・労働手段・労働生産物のいずれにもなるのは、概念だけではない。

 

一般に、生産手段には労働対象と労働手段がふくまれる。この区別は生産手段の労働過程における機能または位置による。同一の物が労働対象ともなれば、労働手段となることもある。しかも、労働対象・労働手段は、労働規範を規定する。

 

例えば、運送業者にとって一台の車は労働手段であり、労働対象でもある。そして運送労働者は、車という労働手段もしくは労働対象にふさわしい労働の様態をとらなければならない。すなわち、車は労働者にとって規範性ももち、この規範に従うがゆえに、労働者は労働の自由を手に入れるのである。そして、タクシーのような場合、車の移動そのものが労働の生産物でもある。

 

もっと一般的な言い方をすれば、実体は主体・客体・転体のいずれの位置もとれる。実体は主体かつ客体かつ転体である。そして究極の実体は、規範であり連関力である。

 

 

関連する部分を、以下にマルクスから引用しておく。

 

 

 

「最初の原料は、それ自身すでに生産物であるにもかかわらず、いろいろな過程から成っている一つの全段階を通らなければならないことがあり、その場合には、それを完成生活手段または完成労働手段として押し出す最後の労働過程にいたるまでの各過程で、絶えず変化する姿で絶えず繰り返し原料として機能するのである。

 

…要するに、ある使用価値が原料か労働手段か生産物かのうちのどれとして現れるかは、まったくただ、それが労働過程で行う特定の機能、それがそこで占める位置によるのであって、この位置が変わればかの諸規定[ある使用価値が原料か労働手段か生産物か]も変わるのである。」

 

 

(マルクス『資本論』岡崎訳 319-320頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 16:19 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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