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科学とは、正確に驚くことである。 Y.M.
           

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人間と社会の研究は、なぜ遅れているか その3

自然科学に比べて人文・社会系の学問が圧倒的に遅れている根因は、価値・意志・意味という見えない世界が厳存すること、この見えない世界は、個々の人間や社会から生まれながら、個々の人間や社会から自立して、人間と社会を強く規律していること。それを学者たちがしっかりと理解していないことにある。

 

自然科学は、物質のふるまいという現象を扱いながら、実は物質の本質たる物性を研究している。これは自明のことであろう。

 

人間や社会の研究も、人間や社会のふるまいを扱いながら、実はその本質たる価値・意志・意味を研究している。ところが、この目にみえない価値・意志・意味のあり方を研究しているという自覚が、人文・社会系の学者に不足しているのである。

 

例えば、言語は、意味という目にみえない本質を表現する表現体である。意味のさらに本質は、概念である。概念は、目に見える世界から生まれながら、もはや目に見えない独自の世界をつくっている。だから、言語という目に見える表現体を扱うときも、目に見える現実を超えた、概念の世界を扱っているという自覚が必要である。この自覚が不足していると、概念の世界を扱っているはずが、無自覚のうちに現実の世界と混同する誤りを繰り返すことになる。最近の認知言語学でさえ、こういう傾向があるように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 


 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | よみがえる史的唯物論 | 04:03 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
「意味」の本質は三浦がいうように、関係と捉えるべきではないでしょうか。概念はその実体に当たり、言語において表現されるのは話者の個別認識の概念です。

言語として聞こえ、眼に見えるのは、物理的、感性的な音やインクの描線で、これと概念を結びつけている規範を捉えられないところに、語の意義と過程的構造としての意味の相違を理解できず、あやしげなスキーマを弄んでいるのが、最近の認知言語学の実態といえます。

最近も、『国語国文』や『国語と国文』にあやしげな助詞論が展開されています。■
| YAGURUMA"剣之助" | 2017/05/12 12:29 PM |









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