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陶淵明・歸去來兮辭


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日本語に訳しても、英語は永遠にわからない。 その1

「英語がわかるとは、日本語に訳せることだ」という考えの、どこが間違っているか。

 

これは意外と難問なので、ちょっと丁寧に説明してみよう。

 

 崙本語に訳せたら、英語がわかったことになる」というのは、直接には、「日本語にしたから、わかった」ということ、つまり、「日本語がわかった」ということである。とはいえ、元は英語だから、英語が間接的に「わかった」ことにはなりそうである。

 

△箸海蹐、そこに落とし穴がある。間接的にせよ、日本語に訳せれば英語がわかったことになると思い込んでいると、知らず知らずのうちに、英語のもつ意味のなかから、日本語にするのに必要な部分だけを拾い上げれば良い、という態度を身につけてしまう。これだと、英語がもつ意味のうち、日本語にするのに必要のない部分は無視したり、あいまいに理解してすませてしまう。これを続けていると、いつまでたっても「英語そのものがわかった」とはいえない結果になる。

 

△領磴箸靴董△錣りやすいのは冠詞や複数の-sである。

 

日本語では、「ひとつの」とか「例の」とか「いくつかの」といった、冠詞や-s の意味に近いことを言わないこともないが、言わなくてもすむ場合も多い。そこで、「日本語に訳す」ことで満足していると、英語の冠詞や-s がもつニュアンスを無視して平気になっていく。

 

最近の英文報道をとりあげよう。先日、エジプトを訪問したフランシス法王が、イスラム教徒排斥の感情が強まることの危険性を訴えたという記事があった。そのリード文は、次の通りである(ロイター、2017年4月29日付)

 

 

 

The pope has sent a strong message against Islamophobia and for religious and individual freedoms.

 

 

 

この英文を、例えば

 

 

 

「法王は、イスラム教徒排斥感情に反対し、信教の自由と個人の自由を擁護する、強いメッセージを発した」

 

 

 

などと訳せば、「英語の意味がわかった」という気になれるかもしれない。しかし、これで本当に「英語がわかった」のだろうか。

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 日本に英語はない | 21:42 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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