ごきげんようチャンネル


"Obama got in, and he is the pawn of globalized interest." Naomi Wolf



<< ソシュールの「恣意性」徹底批判 補遺  池上嘉彦氏の指摘から その3 | main | ソシュールの「恣意性」徹底批判 補遺  池上嘉彦氏の指摘から おわり >>
ソシュールの「恣意性」徹底批判 補遺  池上嘉彦氏の指摘から その4
ここ数十年で台頭した認知言語学によると、言語の表現は、


「動機づけられてはいるが、完全に予測できるようなものではない motivated, but not predictable 」(Lakoff, 1987)」


とされる。池上同上書、90頁。

言語は、完全に恣意的ではないが、完全に予測可能なものでもない。

なぜ、このような「恣意性と動機づけのせめぎあい」90頁つまり、でたらめではないが、ひとつに限るわけでもないという、すっきり説明しきれない「困難な状況」90頁が生まれたかというと、次のような事情が立ちはだかるからである。



・「話す主体」86頁のとらえがたさ: 人間が言語用いる諸概念には、誰もがもっている典型的なものから、それほどでもないものまで、「段階性」がある。88頁 これは、どのような説明をしようと、つねに「反例」による反証の可能性があることにつながる。91頁 


・「場面」86頁を言語理論にとりいれることのむずかしさ: 言語の表現、そして動機づけは、話し手の「パフォーマンスのレベル」によって異なる。どのような場面で、どのような意図をもって語るかによって言語の表現はちがってくる。「しかし、パフォーマンスのレベルの状況に通じるということは、母語以外の場合は、構造や規則に通じるということよりもずっと困難である」92頁




恣意性を前提とする、たんなる現象の「記述」から、人間の認知能力を背景とする、よりリアルな「説明」へ。




「言うまでもなく、<記述>よりも<説明>の方が学問的要請を高度に満たした、より魅力的なものである。」89頁。




そうであるがゆえに、池上氏は認知言語学に魅力を感じる。

しかし、記述から説明に転じようとすればするほど、「場面とか、話す主体といった<非言語的>な要因」86頁を考慮に入れざるをえなくなり、理論化の困難は増す。


いまの言語学は、おおむねこのような状況にあるというのが、池上氏の認識のようである。








(つづく)








 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | トランスグラマー 希望の文法へ | 07:17 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

「場面とか、話す主体といった<非言語的>な要因」を考慮に入れざるをえなくなる理由。

 それは、学の対象たる言語の本質を正しく抽象していないからです。それゆえに、非本質的な狭雑物を呼び込まざるを得なくなります。

 ”初心に還れ”という言葉があります。
| YAGURUMA"剣之助" | 2013/12/13 9:54 PM |









http://soundsteps.jugem.jp/trackback/3651
#誰が書いてるの?
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
<< September 2017 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック