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<言葉>や<心>は社会行為であって、脳の産物ではない  生成文法という現代病について
(この項は、以前に掲載したものの字句を改めたものです。)



資本論の初版を読んでいたら、生成文法批判としても通用する記述があった。
 


「一部のエコノミストが商品世界に貼り付いたフェティシズムまたは社会的労働規定の対象的外観によってどれほどあざむかれたかは、なによりも交換価値が形成されるに際しての自然の役割についての長たらしくて、愚かしくも子供じみた争いが証明している。
 
交換価値は、物に費やされた労働を表現するための、ひとつの限定された社会的作法であるのだから、為替相場と同じく自然的素材をまったく含むことはできない。」

 
(マルクス『資本論 第一巻』初版第一章。訳文は、筑摩書房版マルクスコレクションIII、2005年、321頁。イタリックは三浦による。なお、この文は資本論の現行版にもある。新日本出版社版の第一巻なら、140頁。)


 
言語は、とくに文字に書いたとき、「自然的素材」であるかのような「外観」をもつ。しかし、言語の交換価値(他人にも共有されるという言語の性質)は、人間がそのような属性(交換価値)が言語にあると思い、それにふさわしく行動することから生まれた「社会的作法」であって、「自然的素材」とはまったく次元がちがう。

 
ところが生成文法は、言語という交換価値はこの「自然的素材」のありかたそのもの、すなわち人間の生物的組織(とくに脳の生理的な仕組み)から生み出されると考える。
 
そこでイメージされている<脳>は一個の人体器官であって、生身の人間どうしのやりとり=社会的関係は視野に入っていない。
 
生成文法は、言語を脳と直接むすびつけ、現代科学的な装いをこらした俗流唯物論の一種である。それは、社会活動を生理現象と同列に扱うカテゴリーエラーともいえる。マルクスの言葉でいえば、物体をあがめるフェティシズム(呪物崇拝)である。

 
言葉がもつ交換価値は、したがって一般に人間の心は、人間どうしの表現交換すなわち社会活動の産物である。言語のあり方を脳のような自然的素材から直接説明しようとするのは、ある地域の交通ルール(右側通行か、左側通行か、など)を車のエンジンの機能から説明しようとするようなものである。

 
いわゆる心身問題(身体と精神はどちらが先か、両者はどういう関係にあるかといった問題)も、身体という生理的なものと、精神という社会的なものを直接関係づけようとするもので、多くの人を妄想に陥らせてきた偽問題である。


 
最後に、マルクスの同じ本から、関連する箇所を引用しておく。


 
「これまでのところ、交換価値を真珠やダイヤモンド[⇨脳] のなかに発見した化学者はひとりもいない。」(マルクス『資本論』初版、前掲、322頁)









 
(おわり)








 
 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 生成文法 | 06:26 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
生成文法の本質

 チョムスキーは初期著作、『言語理論の論理構造』の序論−第2節で次のように記しています。

 言語Lは有限個の「アルファベット」から取り出された有限個の記号から成る連鎖(strings)の(一般的には無限の)集合であると理解することが出来る。 そのような各記号連鎖が言語Lの文である。

 このように、対象−認識−表現の過程的構造を無視して言語を単なる文字連鎖の集合と見なす所から出発しています。

 従って、それを生みだす脳に深層構造、表層構造を設定するしかないという単純な俗流唯物論にしかすぎません。

(『チョムスキー 言語基礎論集』 2012年1月27日 第1刷発行 岩波書店)■
| YAGURUMA"剣之助" | 2013/12/29 4:57 PM |
 言語哲学の見果てぬ夢

 俗流唯物論に対し観念論の側はラッセルのヘーゲル弁証法批判から記号論理学、形式論理の普遍概念の命題の数式的等号を真理の基準とみなし、対象の指示という言語の機能に注目して言語哲学なるものを展開しています。
 そして、この両者がチョムスキーを介して野合し、デイヴィドソンの「心の哲学」や人工言語意味論へと迷走を重ねています。
 日本ではトマス・アクィナス張りの『言語哲学大全』4巻が出されています。
 西欧においてはキリスト教単性社会の限界から抜け出られない歴史的負荷を感じるのですが、日本のアカデミズムがこれを受け売りし、分析哲学の大安売りをしている現状にもどかしさを感じるこの頃です。■
| YAGURUMA"剣之助" | 2013/08/31 2:54 PM |









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