ごきげんようチャンネル


みにつもる ことばのつみも あらはれて こころすみぬる 三重(みかさね)のたき

   『山家集』1118

<< 神は音楽 生命は歌 生活はストーリー  | main |
生成文法はカテゴリーエラー

資本論を読んでいたら、生成文法批判としても通用する記述があった。


「一部のエコノミストが商品世界に貼り付いたフェティシズムまたは社会的労働規定の対象的外観によってどれほどあざむかれたかは、なによりも交換価値が形成されるに際しての自然の役割についての長たらしくて、愚かしくも子供じみた争いが証明している。交換価値は、物に費やされた労働を表現するための、ひとつの限定された社会的作法であるのだから、為替相場と同じく自然的素材をまったく含むことはできない。」(マルクス『資本論 第一巻』初版第一章。訳文は、筑摩書房版マルクスコレクションIII、2005年、321頁。太字は三浦による。なお、この文は資本論の現行版にもある。新日本出版社版の第一巻なら、140頁)
 

言語の交換価値(他人にも共有されるという言語の性質)は、人間がそのような属性(交換価値)が言語にあると思い、それにふさわしく行動することから生まれた「社会的作法」であって、「自然的素材」とは次元がちがう。
 
ところが生成文法は、言語の交換価値はこの「自然的素材」すなわち人間の生物的組織(とくに脳の生理的な仕組み)から直接生み出されると考える。そこでイメージされている<脳>は一個の人体器官であって、生身の人間どうしのやりとり=社会的関係は視野に入っていない。
 
一般に人間の心は、人間どうしの表現交換すなわち社会活動の産物である。言語の文法を脳のような自然的素材から直接説明しようとするのは、ある地域の交通ルール(右側通行か左側通行か、など)を車のエンジンの機能から説明しようとするカテゴリーエラーでああり、マルクスの言葉でいえば、物体をあがめるフェティシズム(呪物崇拝)である。
 
いわゆる心身問題(身体と精神はどちらが先か、両者はどういう関係にあるかといった問題)も、肉体という生理的なものと、精神という社会的なものを直接関係づけようとするもので、多くの人を妄想に陥らせてきた偽問題である。
 
最後に、マルクスの同じ本から、関連する箇所を引用しておく。
 
「これまでのところ、交換価値を真珠やダイヤモンド  [ ⇨脳] のなかに発見した化学者はひとりもいない。」(マルクス『資本論』初版、前掲、322頁)

 

 



 
| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の文法 トランス・グラマー | 00:00 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2013/12/29 4:57 PM |
管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2013/08/31 2:54 PM |









http://soundsteps.jugem.jp/trackback/3549
#誰が書いてるの?
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック