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史的唯物論の出発点は、個々人の「生活」の生産にあった おわり

マルクス『経済学批判』の「序論」から、その一部の訳文と原文を文言的に検討すれば、以上のようになる。

 

原文はいくつかの読み方を許す表現になっており、それに対応して、日本語訳もあいまいな表現を採用してきたということである。

 

私自身は、ここでマルクスがいう「個々人の生産」とは、衣食住などの生活=「個々人を生産すること」という意味を濃厚にふくんでいると思う。これを「個々人による物質生産」ととるのは、やや不自然であろう。ふつう経済学は、個々人がおこなう物質生産を、主たる問題にすることはないからである。

 

なぜ私が、このわずかな文言にこだわるか。

 

それは私が、史的唯物論で「土台」といわれる社会の基盤は、商品のような物質生産だけでなく、商品生産を媒介にした、人々の「生活」の生産を本質とするのではないか、と考えているからである。一見、「生活」という語が登場しない『経済学批判』序言で、マルクスが "gesellschaftlich bestimmte Produktion der Individuen" と書いたのは、諸個人を生産するそれぞれの社会の様式こそ社会の基盤であること、つまり「生活」という言葉の言い換えであったと考えるべきではないだろうか。

 

「個々人の生産 Produktion der Individuen」という表現を、「個々人による物質生産」といった意味に解釈しがちであったところに、史的唯物論の矮小化が象徴されているように思う。

 

 

 

 

...

 

 

 

 

今日、史的唯物論を考え直すとき、マルクスが若いころ使った「生活」という生な言葉を復活させるべきかどうかは、検討の余地があるだろう。

 

しかし、個々人の「生活」すなわち個々人を生産する様式こそが社会の土台をなす、という根本思想が、マルクスの社会観を支えていた。

 

そう認識すべきではないかと、私は考える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | よみがえる史的唯物論 | 05:10 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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