ごきげんようチャンネル

Life is for those who have a hope.

Action is of those who embrace a yearning.

History is made by life and action, hope and yearning.


<< 史的唯物論の出発点は、個々人の「生活」の生産にあった その4 | main | 史的唯物論の出発点は、個々人の「生活」にあった その6 >>
史的唯物論の出発点は、個々人の「生活」の生産にあった その5

ここで、やや煩瑣かもしれないが、マルクス『経済学批判』の序説冒頭のドイツ語原文と、その日本語訳について検討してみたい。

 

マルクスの原文は、次のようになっている。

 

 

 

 

 

1. Produktion

 

a) Der vorliegende Gegenstand zunächst die materielle Produktion.

 

 

In Gesellschaft produzierende Individuen - daher gesellschaftlich bestimmte Produktion der Individuen ist natürlich der Ausgangspunkt.

 

 

http://www.mlwerke.de/me/me13/me13_615.htm#Kap_1

 

 

 

 

 

 

この部分について、岩波文庫版(初版1956年)は、

 

 

 

「一 生産

 

a) ここでとりあつかう対象は、まず物質的生産である。

 

社会で生産をおこなっている個々人、したがって個々人の社会的に規定されている生産が、いうまでもなく出発点である。」

 

 

 

と訳している(287頁。ゴチックは三浦による。以下同様)。

 

 

大月書店発行の国民文庫版(初版1953年)も、

 

 

 

「一 生産

 

a) ここでの対象はまず第一に物質的生産である。

 

社会のなかで生産をおこなう諸個人 ー したがって諸個人の社会的に規定された生産、いうまでもなくこれが出発点である。」

 

 

 

となっていて、ほぼ同様の訳文となっている(268頁)。

 

 

さらに、比較的最近の新日本出版社版(初版2001年)も、

 

 

 

「一 生産

 

a) ここでの考察対象はまず第一に物質的生産。

 

社会のなかで生産している諸個人が、ー それゆえ社会的に規定された諸個人の生産が、言うまでもなく出発点である。」

 

 

 

となっていて、やはり似ている(23頁)。

 

これらの訳文における「の」は、どれも意味が二様にとれる。

 

もともと、「の」にはいくつかの意味があり、たとえば「トヨタ生産」といえば、「トヨタによる生産」の意味であるが、「鉄鋼生産」というときの「の」は、「鉄鋼生産すること」といった意味である。

 

上記の三つの訳文の場合、「個々人…生産」とは、「個々人による生産」という意味にもとれるし、「個々人生産すること」ともとれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の歴史 トランス・ヒストリー | 05:05 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









http://soundsteps.jugem.jp/trackback/3313
#誰が書いてるの?
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
<< November 2017 >>
-->
#新しい記事
#過去の記事
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
#著書/共著
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 上 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 高杉 忠明
#著書/共著
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人 (JUGEMレビュー »)
ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
#コメント
#トラックバック