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<哲学という名の思い出>にふける悪弊について その7

中島平三編『言語学の領域 I』(朝倉書店、2009年3月) の編者・中島氏は、言語学にはふたつの「流れ」があると書いている。


ひとつの「流れ」は、「ことば研究する」伝統的言語学である。

たとえばブルームフィールド(1887‐1949)などの構造言語学がそれで、田中克彦氏の表現によれば、「音声資料を残して音素を立てて形態素を作って文法を作る」というアプローチが代表的である(田中克彦『言語学の戦後』三元社、2008年、7、13、15、16、17、22、29、31、72、114頁)

もうひとつの「流れ」は、「ことば人間の認知作用全般のメカニズムを探ることを目的」とする「新言語学」である。10頁。

これには人類言語学、社会言語学、言語脳科学、心理言語学などがあり、その代表的なものが生成文法理論と認知言語学である。3頁。

ところが、既述のように認知言語学は一面で不可知論的であるから、それは人間の認知作用のメカニズムを探るのだと高言しながら、他方でその認知作用は、人間の身体のような客観的対象を直接認識できるわけではないとも言うのである。

これはまるでカント流の不可知論である。

それは賢明な自己限定ともみえるが、他面ではこの世界の客観的解明をめざす科学としての役割をみずから放棄するものである。

そういう開き直りともいえる態度が、みずからと他者を冷笑するかのような筆致で書かれたとき、読む側としては愉快な気持ちにはなれない。










(つづく)










| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 哲学は終わった | 10:07 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |
 「ことばを研究する」伝統的言語学とは言語実体観であり、「ことばで人間の認知作用全般のメカニズムを探ることを目的」とする「新言語学」とは言語道具観に他ならず、言語の本質を表現と看破した時枝誠記の言語過程説以前でしかないのですが、欧米追従の発想しかない著者はソシュール言語学に疑問を抱くことがないのでしょうね。■
| YAGURUMA"剣之助" | 2017/04/30 12:41 PM |









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