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陶淵明・歸去來兮辭


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ソシュールの「恣意性」について

ソシュールの有名な命題に「能記と所記の結びつきは恣意的 arbitaire である」というのがある。

これについてヤーコブソンはフランスの言語学者バンヴェニストに賛同して、

「ソシュールの主張とは逆に、能記と所記の結びつき、言いかえれば音素系列と意味との結びつきは必然的である。」

と反論している。(ロマーン・ヤーコブソン(花輪光訳)『音と意味についての六章』みすず書房、1977年、153頁)

能記と所記の結びつきはたしかに恣意的なところがある。それは

①ひとつの言語内で、ある対象がある音声に結びついた原因

②異なる言語間で同じ対象の呼び方を比較した結果

のふたつの場合にそうである。

しかし上記の①では、いったんある対象がある音声と結びついたあとは恣意的ではなく逆に必然的となる。バンヴェニストの例をひけば、「概念<牛>は音響イメージboefの魂のようなもの」となる。(同上書、152頁)

だが、上記の②すなわち異なる言語間で比較するとき、たしかに能記と所記の結びつきはほとんど恣意的である。そこから、

「ソシュールの言語学は単一システムの言語学ではない。それは根本的に他の言語との交換(翻訳)を前提している。」(柄谷行人『トランスクリティーク』岩波書店、2004年、499頁)

という洞察も生まれる。

ソシュールの「恣意性」は、限定された場面でしか適用できない。

こういう勘違いしやすいことが、言語の話には多い。









| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 生成文法は消滅する | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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