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         大鏡


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"I can speak Dutch!" サムライ英語に学べ その4

日本文化とはなにか。

本書がサムライ英語の達人として特筆している新渡戸稲造は、日本文化を「武士道」というキーワードに凝縮してとらえ、それを英文で著述して世界的に知られた人物である。

ところが新渡戸が「武士道」こそ日本文化のエッセンスだと納得するまでに、なんと12年かかったという。197頁。

それは新渡戸が鈍感だったからではなく、無意識にまで洗練された道徳観や美意識の正体はなかなかつかみにくいからである。日本で生まれたいろいろな価値観を「武士道」に凝縮して説明できるまで、新渡戸には長い時間が必要だったのだ。201、198頁。

そして12年かかって新渡戸が到達した倫理の核は、時代と社会を越えて価値を放つ。

「封建制が生み出した武士道の光は、その母体である封建制度よりも長く生き延びて、この国の人の倫のありようを照らしつづけている。」(新渡戸『武士道』)200頁。

突飛ながら、私はここでデカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」を思い出す。これは西洋哲学の額縁に飾ってある言葉のようにみえるが、真相はそうではない。

状況や時代や社会がどうあろうと、自分の考え方はこうだと決めてあれば「ここにわれあり」と胸を張れる。それが「われ思う、ゆえにわれあり」の意味であり、般若心経の境地にも通じるもので、じつは哲学以前の「生き方」論なのだ。

武士道とはまさにその「生き方」である。

文化とは、明石氏のいう「啓蒙された国益」152頁を確定するための「生き方」であり、それは英語を受け入れるか否かではなく、英語をどう受け入れるかすなわち「われこう思う」の部分にあらわれる。

武士道によっても、英語を受け入れないという結論も、受け入れるという結論も可能である。

結論はそれぞれにちがってもよい。「われこう思う」の部分の根拠が文化であり、そこの質において思想の相違が生まれ優劣が生まれる。







(つづく)








| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 英語ブックス・どれどれ塾 | 00:00 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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