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   『山家集』1118

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ユダの足を洗ってユダの卑しさを超えたイエス おわり

そして過越しのまつりの前、ユダの裏切りを察知したイエスは、ベタニアのマリアに似た行為を弟子たちにおこなう。

「夕餉(ゆふげ)より起(た)ちて上衣(うはぎ)をぬぎ、手巾(てぬぐい)をとりて腰にまとひ、ついで盥(たらひ)に水をいれて弟子たちの足をあらひ、まとひたる手巾にてこれをぬぐいはじめ給ふ」(ヨハネ13:5)

弟子のひとりシモン・ペテロは、「私の足を洗ってくださるのですか」と驚く。

 

イエスは、マリアが自分の足を洗ったことにヒントを得たのかもしれない。

ここでイエスは、意味深長な言葉を言う。

「我もし汝を洗はずば、汝われと関係(かかはり)なし」(ヨハネ13:8)

ほんとうの「関係」とは、このようなものだという示唆であろう。

そしてイエスはこうも言う。

「すでに浴したる者は足のほか洗ふを要せず、全身きよきなり。かく汝らは潔(きよ)し、されど悉(ことごと)くは然らず」(ヨハネ13:10)

福音記者ヨハネは、イエスを裏切ったユダだけは穢れているという意味だと注釈している。

 

だが、イエスがユダの足を洗ったかどうか。それは記していない。

断然、イエスはユダの足も洗ったのだ。

 

ユダの足を清めることで、ユダの穢れはいっそう際立ち、イエスの高貴さが勝利することになるからだ。


無償の行為の尊さを、身をもってイエスに示したのは市井の女・マリアだった。

マリアと同じように、イエスは弟子たちの足を洗い、ほんとうの意味で大いなるものとは何かを、みずから弟子たちに示した。「僕(しもべ)はその主よりも大(おほひ)ならず」(ヨハネ13:16)

マリアは自分の好きなイエスに無償の行為をおこなうことによって、そしてイエスは相手を選ぶことなく無償の行為をおこなうことによって、ほんとうの「関係」(かかわり)とはなにかを示した。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 



(おわり)



 

 

 

| 三浦 陽一 (みうら・よういち) | 希望の哲学 世界はトランスする | 06:45 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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